あなただけに Happy Birthday〜アンジェリーク篇
事の起こりは数ヶ月前のこと・・・・・。
図書館でばったりルヴァ様にお会いして、その後寮まで送っていただいたときのことだった。
その日、私はついに前からルヴァ様に聞きたかったある質問を口にした。
「ルヴァ様、お誕生日はいつなんですか?」
「誕生日・・・・ですか?」
私の質問に対して、ルヴァ様はちょっぴり驚いたような顔をされた。
「そうですねえ・・・・・確か7月の中旬くらいだったかと思うのですが・・・・」
「くらいって・・・・ルヴァ様、ご自分のお誕生日をご存知ないのですか?」
私はびっくりした。だって、自分のお誕生日を知らないなんて、そんなことってあるんだろうか?
驚いた顔をする私に、ルヴァ様はちょっぴり決まり悪そうに微笑んだ。
「子供の頃にはそれなりに祝ってもらったりしたこともあったんですけど、そう言われてみればここに来てからは何も無かったですからねー。すっかり忘れてしまってました。今度ちゃんとした日付を調べておきますね。」
ちゃんとした日付を調べておく・・・・というところがいかにもルヴァ様なのだが、生真面目なルヴァ様は、本当に翌日、誕生日を調べてきて教えてくれた。
7月12日---私はその日付を密かに心に刻み付けた。
そして、数ヶ月が経ち、今日がその日---「ルヴァ様のお誕生日!」なのだ。
私はいつもより3時間早くベッドから飛び起きた。というより、興奮しちゃって昨日はほとんど眠れなかった、というのが正直なところなんだけど・・・。
プレゼントは手作りのケーキを差し上げようと決めていた。もともとお菓子作りは大好きだったんだけど、いつも以上に気合を入れて、先月から何度も試作品を作って練習もバッチリだった。材料は昨日のうちに買い揃えてあるし、デコレーションの完成図もすっかり頭に入っている。
レシピどおりに念入りにケーキを焼き上げて、抹茶入りのクリームとフルーツで飾り付け、丁寧にラッピングすると、私はそのケーキをいったん冷蔵庫にしまった。
その後、いつもは着ないちょっぴり大人っぽいワンピースに着替えて、髪の毛も念入りに梳かし、そして私は意気揚揚と聖殿へと向かった。
本当は今日は一日育成はお休みしてまっすぐルヴァ様の執務室に行くつもりだった。
だけど、昨日大陸を見に行った時に緑の力と光の力が急に大量に求められていることが分かったので、急遽育成を済ませてから執務室に行く作戦に切り替えたのだ。
もともとルヴァ様はのんびりしていらっしゃるので、多少執務の時間を過ぎても簡単につかまえられるとそう踏んだわけだ。
ところが、そう甘く考えたのが間違いのもと・・・・・。
最初のアクシデントは、午後に訪ねた光の守護聖の執務室で訪れた。
女王史についてジュリアス様に訊ねられた私は答えられずに立ち往生してしまったのだ。
「何・・・・知らぬ・・・・?」
「は・・・・はい。・・ごめんなさいっ!」にらまれて私は思わず首をすくめた。
「そのようなことも知らずに女王候補が務まると思うのか?」
「・・・・・すみません。」私はシュンとうなだれた。
確かに女王になるんだったら女王史を勉強しなきゃいけない、くらいのことは考えれば分かりそうなもんだけど、実際、私は考えたことも無かった。
「まあよい。明日女王史について質問をするから、今日中に調べておくがよい。」
「今日中・・・・ですか?」
(今日はルヴァ様のお誕生日・・・・)、がばっと顔をあげた私の視線に、ジュリアス様のするどーい視線が突き刺さった。
「わっ・・・分かりました。どうもすみませんでしたぁ!」
ぺこりと頭を一つ下げると、私は逃げるようにそそくさと光の守護聖の執務室を後にした。
今日中に女王史について調べる・・・・といっても何をどう調べたらいいのやら・・・・・。こういうときに頼りになるのは本当はルヴァ様なのだけど、今日に限ってはルヴァ様とそんなお話はしたくない。
私は多少遅くなるのは覚悟で図書館で本を借りてからルヴァ様の執務室に向かおうと決めた。
猛ダッシュで図書館に向かう。
育成コーナーの本の配置は熟知していたけど、歴史のコーナーはあまり足を踏み入れたことが無い。探している本はなかなか見つからず、やっとの思いで数冊借りて図書館を後にしたときには、すでに夕方になっていた。
慌てて寮に戻って、本と入れ替えにケーキの箱を手にして、今度は聖殿に向かって小走りに歩いていると、後ろから聞き覚えのある声で呼び止められた。
「アンジェリーク・・・・。良かった。あなたにここでお会いできて。」
優しいその声の主は水の守護聖リュミエール様だった。
「こんにちわ。リュミエール様。・・・・どうかなさったんですか?」
「ええ。実は明日聖地の子供達を集めた音楽会がありまして、私もそこでハープを弾くんですよ。」
「子供達にですか?楽しそうですね。」
リュミエール様はにっこりとうなずかれた。
「ですが、今になって、決めてあった曲順がどうもしっくりしない気がしてきまして・・・・あなたに相談にのっていただきたいと思ったんですよ。」
「私ですか・・・・でも、私、音楽のことはあまり分かりませんし・・・・。」
「いつも私の部屋でリクエストしてくださる時に、あなたはとてもいい感覚をもっていらっしゃると思ったんです。あの調子で構いませんから・・・・。」
どうしよう?・・・・もう6時を過ぎている。
時間がちょっぴり気になったけど、リュミエール様には普段いつも相談にのっていただいているし、演奏会は明日なんだから今日中に決めないと間に合わないし・・・・。
私は結局請われるままに、リュミエール様とならんで並木道のベンチに腰をおろした。
なんだかんだと意見交換した挙句、意外にすんなりと曲順はまとまった。
「ありがとうアンジェリーク。やはりあなたに相談して正解でした。」
お礼に食事でも・・・・と誘われるのを丁寧に断って、私はリュミエール様と別れてその場を後にした。
もうすぐ6時半・・・・さすがにルヴァ様はもう帰ってしまったかも知れない。
不安な気持で公園に続く道を走っていると、今度はいきなり後ろから軽快な足音が響いてきて・・・・
「お嬢ちゃん!ちょっとすまない。助けてくれ!」
「えっ?・・・・あっ・・・・」
声がしたときには私はもう強引に植え込みの影に引きずり込まれていた。
「オスカー様あー」
「どこへいらしたんですのー」
次の瞬間にはもう、女性達の一群の黄色い声があっという間に公園中を埋め尽くしていた。
私はというと、木陰で彼女達に背を向けたままオスカー様にぎゅううっと抱きしめられて声も出せずにいた。 苦しくて身じろぎしていると、耳元でオスカー様が
「いい子だから助けてくれ。しばらくじっとして・・・・」と、妙に甘い声でささやいた。
耳たぶすれすれに聞こえる低ーい声に、思わずぼうっとしそうになるのを、必死に両足で踏ん張ったその瞬間・・・・
「あー。オスカー様!」
私たちは、かなりあっさりと見つかってしまった。
だってそんなの当たり前で、私が目隠しになっているとはいえ、オスカー様のほうが私より頭一つ分以上背が高いわけだから、隠せるわけが無いじゃない!!!
ところがなぜか、オスカー様は私の手を握ると
「お嬢ちゃん!走れ!」
と叫ぶや急に走り出した。
「ええええええっ!なっ・・なんで私が〜!」
叫びもむなしく、次の瞬間には私もつられて走り出していた。
さんざん走りまくった挙句、私たちはようやく女性達の一団を振り切ることが出来た。
「ありがとうお嬢ちゃん。お陰で助かった。お嬢ちゃんは意外に足が速いんだな。」
涼しい顔のオスカー様とウラハラに私はもう息があがりきっていた。
「おっ・・・オスカー様っ・・・・なっ・・・・なんでっ・・・・私っ・・・・まで・・・・・」
ぜいぜい言いながら聞くと、オスカー様は更に済ました顔で
「すまなかったお嬢ちゃん。今日の君があまり可愛かったんで、あの場で別れるなんて俺にはとてもできなかったんだ。迷惑をかけてすまなかった。お詫びに食事でも・・・・。あっ、おい、お嬢ちゃん!」
オスカー様の言葉を、私は最後まで聞いていなかった。 だってもう、それどころじゃないんだもん。 今日は大切な「ルヴァ様のお誕生日」だっていうのに・・・・・。どうしてこの日に限って、こう次から次と問題が起きるんだろう・・・・・。
ひたすら走って、やっと聖殿のほど近くまで戻ってきた時にはもう夜の8時近かった。
私邸に帰ってしまっている確率がかなり高いけど・・・・でも、ルヴァ様はたまーに、調べ物とかで異常に遅くまで執務室にいらっしゃることがあった。私は一縷の望みにすがって聖殿に向かって再び走り出した。
公園を横切ろうとした時
「・・・・・・ひっ・・く・・・・・・・・・」
静かな公園の中で、かすかに子供の泣き声が聞こえたような気がして、私は足を止めた。
なんで、こんな時間に子供の声が・・・・?
振り向くと子供が川っぷちで腹ばいになって川に向かって手を伸ばそうとしている。
「ちょっ・・・ちょっと、やめなさーーーい。あぶないでしょう!」
慌てて駆け寄って抱き起こすと、子供は堰を切ったように盛大にしゃくりあげ始めた。
「ジョージが・・・・ジョージが川に落ちちゃったんだよおう!」
「ええええええええ!?」
一瞬、子供が落ちたのかとびっくりしたけど、よくよく話をきくとどうやらぬいぐるみの人形を川に落としたらしい。私はほっと胸をなでおろした。
「じゃあね、ぼく、お姉さんが明日いっしょに探してあげる。今日はもう遅いし、おうちの人も心配してるから、お家に帰ろう、ねっ?」
こういうと子供は火がついたように大声で泣き出した。
「いやだあ。ジョージと一緒でなきゃやだ。一緒に帰るんだあ!」
こうなるともう手のつけようがなかった。
確かに大事なものを置き去りにすることができないという、その気持も分かる。
「分かった!お姉ちゃんが探してあげる!」
私は意を決して言った。
「そのかわり、君はそこでおとなしくしててね。見つかったらすぐにお家に帰るのよ。」
私はワンピースのすそをまとめてベルトにはさむと、とても人には見せられないようなかっこうで、膝まで水の中に入って手探りで人形を探し始めた。流れはそんなに速くないし、底は大きな石がごろごろしているから多分流れずにどこかにひっかかっているのだろうけれども、暗くて水の中は全く見えない。
ちょっと向こう側に赤いものが見えたような気がして一歩踏み出したその瞬間、足元にぬるっとしたこけの感触がして・・・・・・・・・・
バッシャアアアアーーーーーン
次の瞬間には、私は、派手に水しぶきを上げて、思い切り、鼻の頭から水中にダイブしていた。
「・・・・・・・・・・・ぶ。」
もがきながら立ち上がったときには、もう全身びっちょりと濡れねずみになっていた。
おまけに転んだ時に鼻をすりむいたらしく、鼻のあたまがじんじんと痛い。
不幸中の幸いというか、転んだ時に手に触れた柔らかいものは、果たしてお目当てのサルのぬいぐるみだった。 こういうのを転んでもただでは起きないっていうのかしら。
その後私は、ぬいぐるみを抱いて上機嫌になった子供の手を引いて、市民の居住地のほうに向かった。
街の入り口でちょうど子供をさがしまくっていた親御さんにばったり出会い、無事子供を引き渡すことができた私は、ほっと胸をなでおろした。
「うちで着替えていってください」という言葉は何とか遠慮したものの、「ほんのお礼です」と差し出された山のようなリンゴはさすがに断りきれなかった。
私はずっしりと重いリンゴの袋とケーキの箱を抱えて、公演に立ち尽くしていた。
すでに日はとっぷりと暮れている。というか、もうすぐ夜中ってカンジだ。
噴水の傍らの時計を見上げるとすでに10時を回っていた。
「お誕生日が終わっちゃう!」
私はリンゴとケーキを抱えたまま、再び猛ダッシュで聖殿を目指した。
息を切らして聖殿にたどり着いた時には、あたりはひっそりと静まり返って、地の守護聖の執務室の窓は明かりが消えていた。 当たり前だ。こんな時間に、約束したわけでもないのに、いるわけがない。
ぐったりと全身の力が抜けていくのが分かった。
悲しくって、鼻のあたりがまたツンとした。
為すすべもなく、呆然と立ち尽くしながらも、不思議とあきらめて帰ろうという気持には少しもなれなかった。
頭の中にルヴァ様の言葉がよぎった。
『子供の頃にはそれなりに祝ってもらったりしたこともあったんですけど、そう言われてみればここに来てからは何も無かったですからねえ。すっかり忘れてしまってました。』
お誕生日なのに、何年も誰からも祝ってもらえないなんて・・・・・・・ 。
それで自分のお誕生日を忘れちゃうなんて・・・・。
そんなのダメ。だめだめだめだめ、ぜったいにだめ!
私邸まで行こう!
唐突に私は決めた。
何が何でも絶対に今日中に言わなくちゃいけない。
だって試験に負けたら主星に帰らなきゃならないんだから。 来年の今日にはここにいるかどうかは分からないんだから。 お祝いしてさしあげられるのは、一生で今日だけなんだから。
私は方向を変えて、宵闇の中を地の守護聖の私邸に向かって再び歩き始めた。
厄介なことにルヴァ様の私邸は守護聖様方の中でもダントツに辺鄙なところにあった。
一度お邪魔した時には馬車だったし、方向音痴でもあったので、時々道を間違えたりして、ルヴァ様の私邸の前にたどりついた時は、すでにもうあたりは真夜中だった。
ルヴァ様の私邸を前にして、私はまたもや途方にくれていた。
勢いでここまで来てしまったけど、さんざん走ったり、川に入ったりで、お気に入りのワンピースには水にぬれてどろだらけ、クツもヒールが半分とれかかっている。自分じゃ見えないけど、髪の毛もばさばさに乱れているだろうし、鼻の頭からは血が出てるかもしれない。こんな情けない格好で、とてもルヴァ様を訪ねられたものではない。
いっそあきらめて帰ろうかとさえ思った時に、ふと二階の明かりがついた部屋で人影が動くのが目に入った。
緑色の影―――ルヴァ様だ。
まだ起きてらしたんだ。
私はふいに心を決めた。
せめてお祝いだけでも言いたい。本人が気が付かなくてもいいから、窓越しでもいいからとにかくおめでとうを言おう。
私は迷わず中庭にそびえたつ大きな木の幹にしがみついた。
手にもったケーキの箱がちょっぴり邪魔だったけど、木登りは元々得意だったので、ちょっと手足をすりむいたくらいで、二階の目指す窓辺までたどり着くことができた。
部屋の中はまだ灯りがついていて、カーテン越しにぼんやりと緑色の影が見えた。
大きくて優しい緑色の影。
こんな私をいつもいつも暖かく支えてくれる世界で一番大事な、大好きな人・・・・。
「ルヴァ様・・・お誕生日、おめでとうございます。」
小さな声で、だけどありったけの思いを込めて、つぶやいたその時、信じられないことに、いきなり目の前のレースのカーテンがひかれ、窓が開かれた。
「アンジェリーク!!!!」
ひょっこりと顔を出したのは案の定ルヴァ様だった。
「・・・ルヴァ様・・・・・」
私はもう恥ずかしさで卒倒しそうだった。こんな情けない姿で、こんなへんてこなストーカーまがいの行為をしているところを見られてしまうなんて・・・・。どうしよう!!あまりにもサイアクな展開だった。
「そそそそんなところで、一体どうしたんですか?」
ルヴァ様は心底驚いていらっしゃるみたいで、思いっきりどもっていた。
普段は切れ長の目がまん丸になってる。
私はやっとの思いでおずおずとこれだけ言った。
「ごめんなさい。・・・あの・・・どうしても今日中にルヴァ様にお話したいことがあって・・・・。」
「とっとにかく・・・・そこは危ないですから、中に入ってください。」
ルヴァ様はベランダに飛び出してくると、手すりから身を乗り出して「さあ・・・」と、私に向かって手を伸ばした。
これは・・・・これは・・・・ルヴァ様に抱きついて部屋に入れってことかしら。 考えただけであたまがくるくる回りそうだった。いくらなんでもそんな恥ずかしいことできるわけがない。
「あの、いいです。私、下から・・・・・」
言いかけて下を見た私は又愕然とした。下から見た時も、いつも登っている高さよりは高いとは思ったけど、上から見ると思ったよりずっと高かった・・・・。急に足がガクガク震えだした。怖い・・・・。何にも考えてなかったけど、急に恐怖がこみあげてきた。
見ると目の前でルヴァ様が、ベランダの端まで来て心配そうな顔で大きく両手をひろげている。
その姿は気のせいかなんだかとっても大きく見えた。
そう、ルヴァ様はいつもとても優しくて、頼りになって、いつでも支えてくれて、いつも変わらなくて・・・・。
「さあ・・・アンジェリーク」
再び励ますように言われて、私はおずおずとその腕の中に体を預けた。
突然、思いのほか強い力でぐっと体が抱き上げられるのを感じた。
力いっぱい引き寄せられたので体と体がぴったりくっついて、私のおでこにルヴァ様の息がかかっていた。
かすかにインクの匂いがする。体が、熱い。体温が一時にきゅうっと急上昇していくのが分かった。
そのままベランダから部屋の中までルヴァ様の腕の中で運ばれると、私はふわりと部屋の中に降ろされた。
「駄目じゃないですかアンジェリーク。こんな危ないことしちゃあ。」
夢見ごこちから引き戻されるように、思いがけない強い語気で叱られて私はしゅんとうなだれた。
そうだ。お祝いどころか、こんな時間に押しかけて、心配させて、逆にメイワクをかけちゃったんだ。 私ってどうしていつもこうなんだろう・・・。思わず泣きそうになって、私は慌てて下を向いた。
「ごめんなさい。こんな遅くに・・・帰ります。失礼しました。」
うなだれて部屋を出ようとすると、ルヴァ様はあわてたように私の腕をつかんでこう言った。
「すみません。大きな声を出して・・・。あの・・・怒ったんじゃないんですよ。ただその、あなたが落っこちてしまったらどうしようかと心配で気が動転してしまって・・・・・。」
「ごめんなさい・・・。」
私が再び小さくあやまると、ルヴァ様はいつもどおりの笑顔になって「いいんですよー」と首を横に振った。
「ここに座ってください。・・・・・さあ、腕を出して・・・・・。」
ルヴァ様は私を座らせると、救急箱を出して私の腕の擦り傷を消毒してクスリを塗ってくれた。
かなりしみるはずの消毒薬が今日は全然痛くない。というか、心臓がどきどきどきどきして、もう痛いどころじゃない。 ルヴァ様の大きくて温かい手のひらが触れたところが熱を持ってじんじんするみたいだった。心臓の音がはっきり聞こえている。恥ずかしい。これってルヴァ様にも聞こえちゃってるんだろうか?
「ところで私に何か話があったんじゃないですか?」
私の鼻の頭にばんそうこうを貼り終わると、 ルヴァ様は私に向き直ってそう言った。
私はとっさに時計を見た。11時半。まだ間に合う・・・。
「あの・・・・ルヴァ様・・・・お誕生日おめでとうございますっ!」
精一杯の気持をこめてこの言葉を口にした後、私はしばらく顔があげられなかった。
しばらくの沈黙の後、おずおずと顔をあげてみると、ルヴァ様はちょっぴり驚いたような、だけど、とっても優しい目で、じいっと私のことを見ていた。
やがて、ゆっくりとルヴァ様が口を開いた。
「あなた、それを言いにわざわざ来てくれたんですか?」
じっと見つめられて、私はさらにしどろもどろになった。
「いえ、それはその・・・執務室に伺うつもりだったんですけど、図書館が・・・えっと・・・後、演奏会の曲順がその・・・・子供が迷子になって・・・・それで遅くなっちゃって。」
いきなりルヴァ様の大きな手のひらが私の両手を包んだ。
「ありがとう・・アンジェリーク。何と言うか・・・なんだか言葉にならないくらい嬉しいです。」
ルヴァ様は両手で私の手のひらを包んだまま、依然として私のことをじいっと見つめている。 私の心臓は再び、もうどうにかなっちゃいそうなくらい激しく加速していた。
(ルヴァ様。はやく・・・はやくその手、離してください。それでないと息が出来なくなっちゃいそうです。)
もうだめ・・・・と、思った瞬間に、ルヴァ様はふっと私の手を離し、テーブルのすみのひしゃげた箱を指差した。
「それは・・・?」
置き忘れられたケーキの箱は、潰れてクリームがはみだし、見るも無残なありさまになっていた。
「もしかしてプレゼントまで用意してくださったんですか?」
「はい・・・でも、それはもう駄目になっちゃってるんで・・・その・・明日また持ってきます。」
私が慌ててケーキの箱を隠そうとするより早く、ルヴァ様の細長い指が白い箱をとりあげていた。
「だめですよ。せっかく苦労して持ってきてくれたんですから・・・・・・開けていいですよね?」
答えも聞かずにルヴァ様はひしゃげた箱のリボンに手をかけた。
「あー。ケーキですね。すごいですねー。これもあなたが作ったんですか?」
ルヴァ様の言葉に、恐る恐る箱の中をのぞきこんでみると、案の定あんなにきれいにデコレーションしたケーキはつぶれて見るも無残な姿と化していた。
「あの・・・・でも、やめましょうルヴァ様。これ、つぶれてますし・・・・。」
「大丈夫。味はいっしょですよー。」
ルヴァ様はいやにきっぱり断言すると、
「ちょうどお湯も沸いたし、お茶でも入れていただきましょうかー?」と、いそいそとお茶の支度をし始めた。
こうして二人は真夜中にもかかわらず、テーブルを囲んでつぶれたケーキを食べ始めた。
「とてもおいしいですよ。あなたは本当にお料理が上手なんですねー。」
ルヴァ様は誉めてくれるけど、皿の上のそれは実際ケーキと呼べたシロモノではなかった。
「いえ・・・あの、気を使ってくださらなくても・・・。」 再びうなだれかけた私に
「本当ですよ!」
ルヴァ様が勢い込んで言った。
「私に今まで食べたケーキの中でいちばん、おいしいです。客観的に言っても本当にそうです。それに・・・」
ちょっぴり口ごもった後で、ルヴァ様はまた嬉しそうにつぶれかけたケーキに視線を戻した。
「なんだか嬉しいですねー。だって私の好きなものばかり使ってあるじゃないですかー。こんな風に誰かが仕事でもなんでもなくて、私のために特別に何かをしてくれるなんて、なかなかないことですよねー。・・・あっ!」
ルヴァ様は突然何か思い出したようにポンと両手を打ち合わせた。
「ああ、そうでした。思い出しましたよー。これが"お誕生日"なんですねー。」
嬉しそうに自分の言葉に自分でうなづくルヴァ様を見て私は思わずちょっぴり笑ってしまった。
なんだかいつものルヴァ様とちょっと違う。子供みたいで、かわいい。ついそんな、ばちあたりなことを考えてしまった。
他愛も無いおしゃべりをしながらケーキを食べ終わったその後、ルヴァ様は再びまた真顔になって私の方に向き直った。
「あのですね。ひとつだけ、すごく気にかかることが有りまして・・・・・・。聞いてもいいですか?」
「はい。何ですか?」
いきなり真剣な表情を見せるルヴァ様に、私は思わず膝を正した。
ところがルヴァ様は、今度は自分の方から、目が合った瞬間にすっと視線をそらしてしまった。
「・・・・すみません。やっぱりいいです。」
「なんですか?いいかけたんですから最後まで言ってください。」
「あの・・・・いえ・・・・・その・・・・・あなたは優しいから・・・・・その・・・・・」
「・・・・・・え?」
意味がわからずに、私は思わず聞き返した。
「ですから・・・・・その・・・・・、他の守護聖の誕生日もこうやって祝ってあげるんですよね?」
「ルヴァ様?」
「あっいえ・・・・その・・・気にしないで下さい。私だけだったらいいのになあ・・・なんて、つい思ってしまったものですから・・・。」
「ルヴァ様だけです!」
私は思わず叫んでいた。誰でもだなんてとんでもない。
突然大声を出した私にびっくりした様子のルヴァ様を前に、私は夢中でまくしたてた。
「おめでとうって言うかもしれませんけど、もしかしたらプレゼントを差し上げるかもしれませんけど、手作りのケーキを差し上げたいとか、何度も試作品作ったりとか、こんな夜中でもどうしても届けたいとか、どうしてもどうしても今日中じゃなきゃだめだって、そういうのはルヴァ様だけです!」
突然、色白のルヴァ様の顔がきゅうっと赤くなった気がした。
つられて私も頬が熱くなるのを感じた。
しばらく二人してうつむいて黙りこくってしまった後で、ルヴァ様がはっと気を取り直したように言った。
「あっ・・・あの・・・・もう遅いですし、送っていきますね。」
「ええっ!そんないいです。大丈夫です。だってもう遅いし、寮まで遠いし・・・・・。」
私は慌てて遠慮した。だって私を送って戻ってきたら、もう明け方近くになってしまうかもしれない。
「うーん。それじゃアンジェリーク。あなた今日はここにお泊まりなさい。」
ええええっ! ルヴァ様の意外な言葉に私は思わず言葉を失った。
泊まる?ここに?今夜?これから?
再び上がりだした心拍数とともに、今度は体内のアドレナリン値までもが急速に上昇してきた。
それは・・・・それはルヴァ様の好きだけど、とってもとってもとっても好きだけど、だけど、急にそんなこと言われても・・・心の準備がぜんっぜんできてない。だいいち、コクハクだってまだなのに・・・・・。
「客間にベッドがありますから、今夜はそこで寝てください」
実にすずやかなルヴァ様の声で、私のあがりきった心拍数は一気に沈静化された。
「き・・・・客間・・・・ですね?は・・・はい。」
「明日の朝寮までお送りしますからー」
『明日の朝』---ルヴァ様のこの言葉に、私は忘れていたあることを思い出した。
「あー。明日!」
「どっどーしたんですか?アンジェリーク」
突然すっとんきょうな声を上げた私にあわててルヴァ様が駆け寄った。
「私やっぱり帰ります!」
「帰るって、もう夜中ですよ、アンジェリーク」
「宿題があったんです。本を寮に置いてきちゃって」
「本って、何の本ですかー?」
「女王史についてなんですけど」
「女王史ならここにも本はありますよ。何を調べればいいんですか?」
「そんなっ。ルヴァ様にゴメイワクかけられません。本を貸していただければ私が調べますからっ」
「でもねアンジェリーク。女王はこれまで歴代255人存在するんですよ。本もこーんなに厚いんです。読むだけで朝が来ますよ。」
「に・・・・にひゃくごじゅうご・・・・?」
思わず卒倒しそうになる私をルヴァ様が、がしっと支えてくれた。
「大丈夫です。どういう課題なんですか?言っていただければ私が要点を整理して教えて差し上げます。」
ルヴァ様はきりっと眉を上げて、きっぱりと言ってのけた。相変わらずめちゃくちゃ頼りになる人である。真っ赤になってもじもじしてたさっきとは別人のようである。
だけど、全部私が悪いのに、しかも今日はお誕生日なのに、とてもそんなことお願いできるわけがない。
「だめです、そんなの・・・・ルヴァ様まで寝る時間がなくなっちゃいます。しかも今日、お誕生日なのに・・・。」
「大丈夫。ほら、もうお誕生日は終わってますから・・・・・。」
半べそ状態の私にルヴァ様はにっこりと微笑んで時計を指さしてみせた。
時計は12時を回っていた。
「それに・・・・・私はその・・・むしろ嬉しいんですけど・・・・あなたの役に立てますし・・・。」
再びルヴァ様の顔がきゅうっと赤くなり、つられて私まで、また、頬が熱くなった。
<そして、後日談>
かくして私たちは妙な形で「一夜をともに」することとなった。
翌朝、ひとつ馬車に揺られて寝不足顔で聖殿にむかった私達のことは、あっという間に聖地中のウワサになった。
私は取り返しのつかないことになった、とひたすらあせり、ルヴァ様に泣いてあやまったが、本人は相変わらずどこ吹く風で「気にしないで下さい〜」なんて、にこにこしていた。
それもそのはずで、どうやら他の人から「何があったんだ?」と突っ込まれるたびに、ルヴァ様は完全なるポーカーフェイスでノーコメントを貫き通し、それがまたウワサの火に猛烈に油を注ぐ結果になったらしい。
あっという間に事実を差し置いて、ふたりは「公認のカップル」ということになってしまった。
それでかどうか知らないけれど、私はその翌年も翌々年も、そのまた翌年も・・・・・つまりは一生、毎年ルヴァ様のお誕生日をお祝いしてあげられるようになったのだけれど、それはもう少し、後のお話・・・・・。
=完=
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