あなただけに Happy Birthday〜ルヴァ篇 その日はとてもいい天気で、朝から何かいつもと違っていた。 出仕してすぐ、打ち合わせのために王立研究院に向かった私は、道すがら聖殿に向かう小道を小走りに駆けてゆく女王候補のアンジェリークを見かけた。 おや・・・と思ったのは、その時アンジェリークはいつもの女学院の制服ではなく、少し丈の長いベージュのワンピースを着ていて、髪の毛もおなじみの赤いリボンをしていなかったのである。 私は驚きのあまり足を止めてしまった。 というのも、今日のアンジェリークはとても美しく、女性らしく、大人びて見えたのだ。 春の柔らかな日差しを一身にあつめて、まばゆいほど光をはじきながら、彼女は全く重力を感じさせない軽やかな足取りで、聖殿への小道を急いでいた。 何をあんなに急いでいるんだろう・・・・。思った瞬間、心中に天啓のようにひらめくものがあった。 ―――もしかしたら、彼女は今日私を訪ねてきてくれるのかもしれない。――― もちろん何の根拠があるわけでもない。希望的観測というものかも知れないのだけれども・・・・。 何となくそんな予感めいたものがあった。 実は、口にすることはおろか、胸の中で思うだけでもはばかられることなのだが、 私は、このかなり年下の、いくぶん子供子供した少女を、「好き」・・・・になってしまっているようなのだった。 もちろん、彼女はそのことを知らない。 私は彼女を「好き」に・・・・それも、かなりのっぴきならないくらい「好き」になってしまっていることを自覚して以来、必死の思いでその気持を隠してきたから・・・・・。 彼女とどうこうなりたいなんて大それたことを考えているわけじゃない。兄代わりでも先生でもなんでも構わない。彼女がそばにいてくれて、私をたよりにしてくれているというそのことが大事なのだ。 彼女のあの笑顔―――どうしてこんなに嬉しそうに笑えるんだろう、と思うくらいのまぶしい笑顔が見たいだけなのだ。 もし告白なんてした日には、この天使は驚いてどこか手の届かない遠いところへ行ってしまいかねない。そんなことになったら・・・・それは耐えがたい。それだけは避けたかった。 彼女がスカートのすそを軽やかに風になびかせながら、小鹿のように敏捷なステップで聖殿の門をくぐりぬけて見えなくなるまで見送ると、私ははっと気を取り直した。 早く用事をすませて戻らないと、彼女が尋ねてきてくれた時に留守にしていてはまずい。私は、急いで王立研究院に向かった。 慌しく打合せを済ませてもどってくると、不在の間に彼女が訪れた形跡はないようだった。 とりあえずすれ違いを防げたことにほっとして、私は幾分落ち着かない気分のまま執務に取りかかった。 すれ違ってはまずいので、その日は昼食も執務室で簡単に済ませ、リュミエールからのお茶の招待も用事にことよせて断ってしまった。レポートをまとめながらも、何度も今朝みかけたアンジェリークの姿が目の前をちらちらとよぎった。どうして今日に限って、あんなにおしゃれをしていたのだろう・・・・。 執務室を一歩も出なかったせいか、夕方にはあらかたの仕事は片付いてしまった。しかし私はまだ退出するつもりはなかった。アンジェリークは帰りに寄ってくれるつもりなのかもしれない。彼女は育成や相談ごとなど、私に特別な用事が無い時でも、挨拶や世間話のためにこの時間帯に私の執務室に寄ってくれることがしばしばあった。なんだか今日は絶対彼女が来てくれるような気がしたし、絶対来て欲しかった。 私は、とりあえず、手がすいたら読もうと思っていた本を数冊机の上に並べて、本を読みながら彼女を待つことにした。 読書を始めると時間を忘れてしまうのはよくあることだったが、この日もふと気が付いたときには、日はとっぷりと暮れ、時計の針は夜8時を指していた。 現実に引き戻されたとたんに、私はなんとも言えず重苦しい気持に捕らわれていた。 我ながら、ばかげている。 どうして彼女が絶対に来てくれるなんて思ったんだろう。 彼女がいつになく大人っぽく、美しく装っていたからといって、どうしてそれが自分のためだなんて、ばかげた思い込みをしてしまったんだろう? 自分の愚かしさを笑ってやりたいところだったが、胸が詰まって、笑えなかった。 あんなにおめかしいていたのだから、当然、誰かに見せるつもりだったに違いない。 誰のところに行ったんだろう。誰にその姿を見せたのだろう。誰に向かって微笑んだのだろう。 考えるとつらかった。 私は本を閉じると、馬車を正門に回してくれるように頼んだ。 館に戻ると私は食事もそこそこに部屋にこもった。 告白する前に失恋するというのも滑稽な話だが、なるべくしてそうなったという気もする。 彼女と自分じゃ年齢も趣味も気性も何もかも違いすぎる。相手にされるわけが無い。 ・・・考えれば考えるほど気分がめいってきた。午前中のあのうきうきするような期待感が嘘のようだった。 こんな日は早く寝てしまうに限るのだけれど、こんな日に限ってなかなか寝る気にもなれないのだ。 さりとて読書する気にもなれなくて鬱々としていると、 ふと誰かに名前を呼ばれたような気がした。それも・・・・窓の外から・・・・。 私はふと、子供の頃読んだおとぎ話を思い出していた。ナイチンゲールという神秘的な鳥がいて、夜になると美しい声で歌うのだが、誰もその姿を見たものはいないという・・・・・・。 私はなんとなく落ち着かなくて、椅子から立ち上がると窓辺に立ち、カーテンを開いて窓を押し開けた。 「アンジェリーク!!!!」 そこにアンジェリークの姿を見て私は思わず絶句した。 なんで・・・・どうしてこんなところにアンジェリークが?? 月の光を受けて大木の枝にちょこんと小鳥のように止まっているアンジェリークはまるで童話に出てくる妖精のようだった。これはいったい・・・私は夢でも見ているのだろうか? 「・・・ルヴァ様・・・・・」 彼女に名を呼ばれて私ははっと我に帰った。 「そそそそんなところで、一体どうしたんですか?」 とりあえず、声をかけてみる。木の幹にかじりついた彼女の姿はいかにも頼りなげだった。二階とはいえここは各階の天井が高いからかなりの高さがある。落ちたらひとたまりもないだろう。見ている私の方が目がくらみそうだった。 「ごめんなさい。・・・あの・・・どうしても今日中にルヴァ様にお話したいことがあって・・・・。」 彼女は木の幹にしがみついたままそう言った。声が震えている。私はもう、気が気ではなかった。 「とっとにかく・・・・そこは危ないですから、中に入ってください。」 私は思わずベランダに飛び出すと、手すりから身を乗り出して大きく両手を広げた。 彼女は少しためらった後、私の胸に体を預けてきた。私はとても大事な宝物を扱うように、間違っても彼女を落としたりしないようにその柔らかい体をありったけの力で抱き寄せた。 花のような優しい香りがあたりに漂った。頬と頬が触れ、彼女の真っ白な額がすぐ目の前にあった。今ならこの白い額に唇を触れてもわざととは思われないだろう・・・・一瞬うかびかけた、抗いがたい誘惑を私は理性を総動員して制止した。 なんだか夢を見ているようだった。アンジェリークは私の腕の中で目を閉じてすがりつくようにして震えている。その姿は完全に私を頼りきって、私にすべてを委ねているように見えた。彼女がほんの少し眉をひそめたのを見て、私は慌てて腕の力をゆるめた。これ以上力をこめたら、この華奢で頼りなげな体を壊してしまいそうだった。 そのままテラスの上で彼女を降ろすこともできたのだが、私にはどうしても、腕の中にいる彼女をそんなにあっさりと手放してしまうことが出来なかった。私は必要も無いのに、部屋の中央まで彼女を胸に抱いたまま連れて行った。 そっと抱き下ろすと、アンジェリークはまだ小刻みに震えていた。 まだ怯えているのだろうか?もう一度強く抱きしめたくなる衝動を私はぎりぎりのところで押しとどめた。 「駄目じゃないですかアンジェリーク。こんな危ないことしちゃあ。」 気持を隠そうとするあまり、私は思わず邪険な言葉を口にしてしまった。 本当は叱り飛ばしたいのはヨコシマな自分の方で、彼女が理由も無くこんなことをするわけがないというのは分かりきっているのだ。 案の定、彼女のシュンとした顔を見ると私はすぐに後悔した。うつむいた彼女の瞳から今にも涙がこぼれそうなのを見ると、私はもう、居ても立ってもいられなくなってしまった。 「ごめんなさい。こんな遅くに・・・帰ります。失礼しました。」うなだれて部屋を出ようとする彼女の細い腕を私は慌てて捕えた。 「すみません。大きな声を出して・・・。あの・・・怒ったんじゃないんですよ。ただその、あなたが落っこちてしまったらどうしようかと心配で気が動転してしまって・・・・・。」 必死に言い訳をしてみる。とにかく、こんな風に泣き顔のまま彼女を追い返すようなことになったら、自分で自分を許せなくなりそうだった。 「ごめんなさい・・・。」彼女は振り向くと素直にぺこりと頭を下げた。 「いいんですよー」私は彼女が留まってくれたことに、心中安堵のため息を漏らした。 「ここに座ってください。・・・・・さあ、腕を出して・・・・・。」 私はアンジェリークを座らせると救急箱を引っ張り出してきて、彼女の痛々しく血が滲んでいる擦り傷の手当てを始めた。 アンジェリークはおとなしく真っ白な腕を私に差し出したまま、うつむいている。 ワンピースのスクエアにカットされた襟元からは彼女の真っ白なうなじと形のいい鎖骨が見えた。 ―――これは、心臓に悪かった。心拍数が急速に上がってくるのが分かる。 まずい。彼女に聞かれたらヘンに思われてしまう。 私はなるべくそっちを見ないようにして、彼女の真っ白で華奢な腕に神経を手中させ、しみないようにゆっくりとクスリを塗った。 彼女がちょっぴり眉をしかめるたびに、胸がちくりとするのはなぜだろう。これも心臓に悪い。いっそ、自分が怪我した方が、まだ気が楽だった。 「ところで私に何か話があったんじゃないですか?」 手当てを終えたあと、私は本題に入った。こんな時間にあんなところから訪ねてくるなんて、よほどのことがあったに違いない。どんなことであれ、彼女が困っているのだとしたら何とかしてあげねば・・・・。 私のこの言葉に、うつむいていたアンジェリークは、はじかれたように顔を上げた。 そして次の瞬間、アンジェリークは、これ以上ないくらいの真剣で必死な表情で、こう言ったのだ。 「あの・・・・ルヴァ様・・・・お誕生日おめでとうございますっ!」 えっ・・・・? ―――オタンジョウビオメデトウゴザイマス――― 彼女の言葉をゆっくりと頭の中で反芻してみる。 今日は・・・・・そうだった7月12日。 もう随分前にアンジェリークに誕生日を聞かれて教えたことがあって、その時は「なんでそんなことを聞くんだろう?」と不思議に思ったものだけど・・・・・・。 では彼女はそれをずっと覚えていてくれて、ずっと祝ってくれるつもりでいたのだろうか? じゃあ、怖い思いをしてこんな夜中に木登りまでして来てくれたのも、けがしているのも、どろだらけになっているのも、こんなに思いつめた表情をしているのも、全部全部、もしかしたら私のため・・・・・なのだろうか? 胸の奥底から、ぐっとこみあげてくるような思いがあった。こんな感覚、随分長いこと忘れていた。 どうしよう。思いが溢れてきてどうにかなってしまいそうなのに、私はそれをどう表現していいのか分からなかった。 「あなた、それを言いにわざわざ来てくれたんですか?」 私がようやくの思いでそれだけ口にすると、アンジェリークは真っ赤になって慌てたように言った。 「いえ、それはその・・・執務室に伺うつもりだったんですけど、図書館が・・・えっと・・・後、演奏会の曲順がその・・・・子供が迷子になって・・・・それで遅くなっちゃって。」 私は思わず彼女の小さい両手をにぎりしめた。 とりあえずそうでもしないと、本当に彼女を抱きしめてしまいそうだった。 「ありがとう・・アンジェリーク。何と言うか・・・なんだか言葉にならないくらい嬉しいです。」 吟味する間もなく、正直な気持がことばになっていた。 この暖かい手のひらをいつまでも握りしめていたかったけれども、彼女を驚かせてはいけない。 私は名残惜しい気持で小さな手のひらを解放した。 ふと、テーブルの隅に置き忘れられた小さな箱が目に入った。 「それは・・・?」 ちょっぴり潰れかかった白い小箱には、私が好きな濃い緑色のリボンが凝った結び方で飾られていた。 「もしかしてプレゼントまで用意してくださったんですか?」 「はい・・・でも、それはもう駄目になっちゃってるんで・・・その・・明日また持ってきます。」 彼女が慌てて隠そうとするよりも早く、私がその箱を取り上げていた。つぶれていようが壊れていようが、そんなことは全然問題じゃなかった。これはまぎれもなく、彼女が私のために少なからぬ努力を払って持ってきてくれたもので、その気持が何よりも嬉しいのに、そんな大事なものを一目も見ないうちに捨ててしまうなんてとんでもないことだった。 「だめですよ。せっかく苦労して持ってきてくれたんですから・・・・・・開けていいですよね?」 私は彼女にためらう隙を与えないように、さっさと小箱に巻きついたリボンをはずしてしまった。 ふたを開けると、箱の中からクリームの甘い香りと抹茶のさわやかな香りが同時に流れ出してきた。 中には小さな丸いケーキが入っていた。 買ったものでないのは一目瞭然だった。抹茶とか小豆とか普通ケーキには使わないような素材が使われていたし、真ん中の小さな四角いクッキーには(残念ながらそれも割れてしまっていたが)彼女の丸い字で私の名前らしきものが書かれていた。彼女が自分で作ってくれたのだ、私のために、今日のこの日のために・・・。 私の狂気じみた歓喜は既にピークに達しようとしていた。 私はまだ不安そうな表情でこちらを見ているアンジェリークに、自分がどんなに喜んでいるかを伝えたかった。もう、どうにかなっちゃいそうなくらい嬉しいのだということを伝えたかったのだが、普段からこういう感情表現に慣れていないせいか、私に言えたのは実にありきたりな言葉だった。 「あー。ケーキですね。すごいですねー。これもあなたが作ったんですか?」 「あの・・・・でも、やめましょうルヴァ様。これ、つぶれてますし・・・・。」 まだためらっている彼女の意見を、私は思い切り無視することにした。 「大丈夫。味はいっしょですよー。ちょうどお湯も沸いたし、お茶でも入れていただきましょうかー?」 こうして二人はテーブルを囲んでケーキを食べ始めた。 ケーキはすばらしくおいしかった。甘さも柔らかさも実に程よくて、しかも、何かとても懐かしい、なんとも表現できないような味わいがあった。 「とてもおいしいですよ。あなたは本当にお料理が上手なんですねー。」私は相変わらず月並みな賛辞を、私にしてはいくぶん興奮気味に語った。 「いえ・・・あの、気を使ってくださらなくても・・・。」 「本当ですよ!」私は慌てていった。 「私に今まで食べたケーキの中でいちばん、おいしいです。客観的に言っても本当にそうです。」 私の言葉に、アンジェリークの心配そうな顔が、徐々にちょっぴり恥ずかしそうな笑顔に変わっていくのが分かった。なんて嬉しそうに笑うんだろう。私は自分までますます嬉しくなって更に続けた。 「なんだか嬉しいですねー。だって私の好きなものばかり使ってあるじゃないですかー。こんな風に誰かが仕事でもなんでもなくて、私のために特別に何かをしてくれるなんて、なかなかないことですよねー。・・・えっ?」 言った後で、私の頭の中でフラッシュバックするように蘇るものがあった。 まだ幼かった頃、両親がいて、兄弟がいて、その日はいつもより夕食の品数も多くて、めったに出ない焼きっぱなしのケーキみたいな甘いものもあったような気がする。そして何よりも、みんながやたら喜んで祝ってくれた。私の誕生日であるという以外、物理的には他の日となんら変わることもないこの日を・・・・・。 ふいに目の前のアンジェリークと視線がぶつかった。嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた彼女の表情が、あの日の家族の笑顔とオーバーラップした。 パチンと頭の中でパズルの最後の1ピースがおさまる音がした。 そうだ、そうなんだ・・・・・これが・・・・・・。 「ああ、そうでした。思い出しましたよー。これが"お誕生日"なんですねー。」 思わず口にした言葉に、私は自分で笑ってしまった。 そうだった。誕生日。忘れていたけれど、嬉しくて楽しいものなのだ。 アンジェリークがとなりで嬉しそうにうなずいた。 ケーキを食べながら彼女と他愛も無いおしゃべりをするひと時はとても楽しくて、私はいつまでもこの時間が続けばいいのにと心から願った。だけど、楽しい時に限って時間はあまりにも早く過ぎてゆくのだ。時刻はとっくに12時を回っていた。彼女を送り返さなければならない。 その段になって、私の胸の中にはまたしても漠然とした不安が湧いてきた。 ずっと二人でおしゃべりをしてきた気安さで、私はつい、その不安を彼女に対して口にしてしまった。 「ひとつだけ、すごく気にかかることが有りまして・・・・・・。聞いてもいいですか?」 「はい。何ですか?」 アンジェリークが素直に微笑んでみせると、私はたちまち自分が失言をしたことに気が付いた。 それは聞いてはいけないことなのだ。聞いても彼女を困らせるだけなのだ。 「・・・・すみません。やっぱりいいです。」 「なんですか?言いかけたんですから最後まで言ってください。」 アンジェリークに腕をゆすられて、私は激しく動揺した。それは私だって本当は知りたいのだ。あなたの本心を・・・。 「あの・・・いえ・・・その・・・あなたは優しいから・・・その・・・」 「・・・・・・え?」アンジェリークが首を傾げる。 「ですから・・・その・・・・・、他の守護聖の誕生日もこうやって祝ってあげるんですよね?」 言ってしまった。ついに言ってしまった。私は自分のこらえ性のなさを呪った。 こんなこと聞くまでも無い。誰にでもやってあげてるに決まってるじゃないか?自分で墓穴を掘るようなことを言ってどうするつもりなのだ。 「ルヴァ様?」 そら見たことか、アンジェリークが怪訝な顔をしているではないか・・・。 私はあわてて弁解に走った。 「あっいえ・・・・その・・・気にしないで下さい。私だけだったらいいのになあ・・・なんて、つい思ってしまったものですから・・・。」 あせって弁解しようとした私はまたしても思いっきりホンネを言ってしまった。 私ときたら、普段言いたいことも言えないくせに、どーしてこんな時に限って言わなくてもいいことまで言ってしまうんだろう・・・・? 「ルヴァ様だけです!」 一瞬の沈黙の後にアンジェリークのはっきりした声が響いた。 「おめでとうって言うかもしれませんけど、もしかしたらプレゼントを差し上げるかもしれませんけど、手作りのケーキを差し上げたいとか、何度も試作品作ったりとか、こんな夜中でもどうしても届けたいとか、どうしてもどうしても今日中じゃなきゃだめだって、そういうのはルヴァ様だけです!」 「アンジェリーク・・・・。」 彼女の名を呼んだつもりだったが、言葉にならなかった。 これは・・・・これは、どういうイミなんだろう。 私だけだということは、私が特別だということで、それはつまり、もしかしたら・・・・・。 自分でも分かるくらい、急速に体温が上昇してきていた。体が熱い。心臓が飛び出しそうなくらい激しく鼓動を打っていた。 二人はしばらくそのままうつむいて黙りこくってしまった。 何か言わなくちゃ、とあせった私は、またしてもへまなことを言った。 「あっ・・・あの・・・・もう遅いですし、送っていきますね。」 せっかくこんな雰囲気になっているんだから、もう少し後で切り出せばいいものを、動揺のあまり、口と脳がすっかりパラレルになってしまっているみたいだった。 「ええっ!そんないいです。大丈夫です。だってもう遅いし、寮まで遠いし・・・・・。」 アンジェリークが遠慮してそう言ったのを幸いに、私はわざとさりげなくこう言った。 「うーん。それじゃアンジェリーク。あなた今日はここにお泊まりなさい。」 どのみち今日は彼女をもう帰したくなかった。 別にヘンなイミじゃなくて、もう少し彼女を見て、彼女としゃべっていたいのだ。まだ離れたくないのだ。 その挙句どうこうなるかなんてことは考えてないし、なったところでそれはそれで・・・・・。 それに、本が多すぎてそう見えないかもしれないが、この部屋は実は寝室だった。カーテンの向こうにはちゃんとベッドだってある・・・・・。 ここまで考えて、私は自分はいったい何を考えているんだろうと反省した。 彼女に誕生祝をしてもらって「ルヴァ様だけ」と言われた嬉しさについ有頂天になってしまった。 「客間にベッドがありますから、今夜はそこで寝てください」 私はもろもろの思いを押し殺して、極力フツーに聞こえるようにこの一言を言った。 「き・・・・客間・・・・ですね?は・・・はい。」 アンジェリークは素直にうなずいた。 「明日の朝寮までお送りしますからー」 ところが、このひと言にアンジェリークは飛び上がらんばかりになった。 「あー。明日!」 「どっどーしたんですか?アンジェリーク」 急に大声を出したアンジェリークに私は慌てて駆け寄った。 「私やっぱり帰ります!」 「帰るって、もう夜中ですよ、アンジェリーク」 「宿題があったんです。本を寮に置いてきちゃって」 「本って、何の本ですかー?」 「女王史についてなんですけど」 「女王史ならここにも本はありますよ。何を調べればいいんですか?」 「そんなっルヴァ様にゴメイワクかけられません。本を貸していただければ私が調べますからっ」 「でもねアンジェリーク。女王はこれまで歴代255人存在するんですよ。本もこーんなに厚いんです。読むだけで朝が来ますよ。」 「に・・・・にひゃくごじゅうご・・・・?」 思わずよろけそうになるアンジェリークを私は慌てて両手で支えた。 可愛そうなアンジェリーク。誰がそんな無理難題を押し付けたかは想像に難くないが、私がついている限り、断固として彼女に不名誉な思いをさせたりするものではない。だいたい彼が出題するようなオーソドックスな問題なら100問も想定しておけばカヴァーできるはず。付け焼刃でも一晩あれば何とかなる量だった。 私は絶対の自信を込めて言った。 「大丈夫です。どういう課題なんですか?言っていただければ私が要点を整理して教えて差し上げます。」 「だめです、そんなの・・・・ルヴァ様まで寝る時間がなくなっちゃいます。しかも今日、お誕生日なのに・・・。」 可愛いこの人は、自分自身がピンチにいることも忘れて私の睡眠時間や誕生日の心配をしているらしい。私にとってはあなたを守ることこそが最重要課題であり、あなたの役に立つことが一番のよろこびだと言うのに・・・・。 「大丈夫。ほら、もうお誕生日は終わってますから・・・・・。」 半べそ状態のアンジェリークに、私は時計を指さしてみせた。時計は12時を回っていた。 「それに・・・・・私はその・・・むしろ嬉しいんですけど・・・・あなたの役に立てますし・・・。」 言ってしまった・・・・・。ちょっと恥ずかしかったけれど。 だけどこれが本当のところのホンネだった。 私は実は嬉しくてしょうがないのだった。なぜって、これで少なくとも後7-8時間は、あなたを独り占めできるはずなのだから・・・・・・・。 <そして、後日談> 朝方、アンジェリークと私が馬車に同乗していたことは、驚くべき速さで聖地中に広がった。 午後から同僚達が矢継ぎ早に私の執務室に押しかけてきては同じ質問を問い掛けてきたが、私は一切答えなかった。 嘘はつきたくないし、言ったら何もなかったことがばれてしまう。 私は本気で一生アンジェリークと離れたくないと思うようになっていた。絶対、離れたくない。 来年も再来年もその翌年も、5年後も10年後もその後もずーーーっと、私の誕生日には彼女に隣にいて欲しいのだ。 サラに聞いて彼女の誕生日がもうすぐであることも確認した。ロザリアに彼女の指輪のサイズも聞いた。 彼女の「お誕生日」―――。その時こそ、私から、勇気を出して言うつもりなのだ。 「お誕生日おめでとう。愛しています、アンジェリーク。」 =完= |