<夏草の髪飾り4> それでも私は彼女の言うとおりにするしかありませんでした。
それが彼女の望みであれば、どんなにつらいことでも、どんなに馬鹿げたことでも、私にはそうする以外の選択肢はないのです。 私は結局、あなたが最後の日々を過ごしたこの宿屋にその後もずっと留まることになりました。
あなたの最後の願いを叶えるために・・・・ 宿屋のおかみをしていたハンナという女性は、まだ幼い頃に両親を無くしアンジェリークに引き取られたのだと言っていました。
アンジェリークは彼女に「いつかもしルヴァという名前の人がここに来たら、客室じゃなくて書庫に泊めてあげて」と、そう言ったそうです。 「でも、同じ名前の他の人だったらどうします?」ハンナがそう聞くと、彼女は笑って
「じゃあ、その人に『この宿の名前の由来を知ってますか?』って聞いてみて。その人なら知ってるはずよ。」そう答えたのだそうです。 「彼女は幸せだったのでしょうか?」
そう聞くと、ハンナは実直そうに首をかしげてこう言いました。 「さぁ・・・・・ずっと独身で、あまり出歩きもせずに、古本を買う趣味があるくらいでしたが、・・・・・・それでもいつも笑っていて、幸せそうに見えました。よく夕方になると、店先に立って、誰かを待っているようでした。」
あの夜以来、あなたが私の前に姿を現すことは一度もありませんでした。 あの書庫で、何度も寝ずにあなたを待ち続けてみましたが、結局会うことはできませんでした。
あなたのいない世界に、ゆっくりと時は降り積もり・・・・・ 
それが訪れたのは、ある、良く晴れた春の日のことでした。 「やっぱり、あなたでしたか。」 窓から吹き込む風に、私は微笑んで広げた本から顔を上げました。
二十六のままのあなたは、七十になった私を見つめて、困ったような、拗ねたような笑顔でこういいました。 「もう、ルヴァったら・・・。私はそんなつもりじゃなかったんですよ。私はあなたに、普通に結婚して・・・幸せになって欲しかったんです。」
私も彼女に笑い返しました。 「どうしてですか?私はとても幸せでしたよ。いつも、あなたに喜んでもらえることを考えてきました。 ほら、あなたとの約束、全部ちゃんと果たしましたよ。あなたの宇宙、私の力の及ぶ限り守りました・・・・。この図書館も、本の数は少ないですけどね、選りすぐったものばかりです。あなたの名前を付けた図書館ですよ。」
「ええ、ホントに・・・・。すごいですね。とっても嬉しいです。ありがとう・・・・。ルヴァ・・・・・・。」 「・・・・・よかった。」 私は深い満足とともにため息をつきました。
「こうしてまたあなたに逢えたし、あなたに喜んでもらえて・・・・。今度こそ私ももう思い残すことはありませんね。 ・・・・・・ ああ、それから、・・・・・もうひとつ約束がありましたね。・・・覚えてますか?」
「約束?」 あの頃のままの愛くるしい仕草で小首をかしげるあなたの前に、私は書架から一冊の本を取り出すと終わりのほうのページを広げてみせました。
「あの話のね、続きを書いたんですよ。」 「はい。・・・・・知ってます。」 あなたの表情が嬉しそうに輝きました。 「最後の言葉はこうでしたね。―――
『私たち、一緒にいた時間はほんのわずかでしたけど、でも、考えてみれば、私はずっとあなたのそばにいたような気がします。―――私はとても幸せでした。』」
私はうなずくと、ゆっくりとあなたの顔を見上げました。 あなたの目が微笑みながら私を見返しました。 「じゃあ、行きましょうか?」
そう言って伸ばした手を、あなたは嬉しそうに駆け寄って、両手で握り返しました。 「はい。行きましょう。」 「もう、離しませんよ。」
「ええ・・・私も・・・私も離れません・・・・。」 窓から吹き込む風が静かにページをめくっていきました。
――― 愛したことは、間違いじゃなかったですよね? ――― 私たちはとても、幸せでしたね?
fin
創作TOPへ
|