女王陛下のヴァレンタインデー <女王陛下と地の守護聖篇>



2月14日の午前中。

女王執務室から出てきた美貌の補佐官の手には、籐で編んだ可愛らしい籠が揺れていた。中からは色とりどりにラッピングされた美しい小箱が溢れんばかりにのぞいている。

「オスカーには洋酒入りの黒い箱、ゼフェルはビター・テイストで青い箱・・・・この紫はオリヴィエね・・・。」
リストを片手に確認を終えると、ロザリアは守護聖達の執務室のある一角へと軽やかに歩き出した。

そう、今日はヴァレンタインデー。
今日の彼女には『守護聖達に女王陛下の選んだチョコレートを届ける』という特別な仕事があるのだ。
ヴァレンタインデーなんてそもそも主星だけの習慣で、ここでは誰も知る人なんかいない。
だけど金髪の女王陛下はどうしてもこのイベントだけは欠かすわけには行かないと主張し、しかも自分で主星のデパートにチョコを買いに行くのだと言い出して周囲を慌てさせた。結局ロザリアが数十種類に及ぶチョコレートのカタログを手配して、さんざん叱り飛ばしたりなだめすかしたりした挙句、ようやく女王陛下を納得させたのだった。
・・・・・かくして、今彼女の持つ籠の中には宇宙各地から厳選して選ばれたチョコレートが女王陛下のメッセージを添え、美しくラッピングされて出番を待っていた。


8人の守護聖の執務室を訪ね終わり、最後に地の守護聖の執務室の前に立ったとき、彼女の籠の中は既に空っぽになっていた。
空っぽの籠を手に、ロザリアは地の守護聖の執務室をノックした。

「おや、ロザリア・・・・今日はなんのご用ですかー?」
「陛下からの伝言をお伝えしに参りましたの。」
のんびりとした部屋の主の口調に反して、彼女はきびきびと答えた。
「今日午後三時に陛下の執務室までお越しいただけますかしら?」
「三時ですね。承知しました。伺いますとお伝えください。」
優雅に会釈してドアを閉めるやいなや・・・・・ロザリアはくるりと身を翻し、足早に元来た道を引き返し始めた。



「陛下、お伝えして参りましたわ・・・・。」

――― ガラガラ、ガッシャーン

女王執務室のドアを開けたその瞬間、部屋の奥から何かが崩れるような大きな音が聞こえてきた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫ですの?」

音がしたのは部屋の奥に作りつけられたキッチンの方だった。
そこにロザリアが踏み込もうとした瞬間・・・・

「大丈夫・・・・ボウルが落っこちただけよ。台は焼きあがってるし・・・あとちょっとだから・・・。」

頭の上から真っ白に粉をかぶった女王陛下が、カーテンの向こうから入れ違いに姿を現した。
案の定、あのカーテンの向こうは戦場と化しているらしい・・・・・。

「わたくし、お手伝いいたしましょうか?」
「有り難う、ロザリア・・・だけど今年は一人で挑戦してみたいのよ。」

女王陛下は頑として言い切った。
去年のヴァレンタインデー・・・・・「大好きなあの人にチョコレートケーキを焼いてあげたいの!」と言い出した女王陛下を彼女は手伝った。・・・・・手伝っているうちに、あまりの手際の悪さに段々見ていられなくなって、結局ほとんどのパートに手を出し口を出し、結果としてケーキのデキは素晴らしかったのだけど女王陛下はそれがやや不満だったらしいのだ。

「わかりましたわ・・・。」
ロザリアはあっさりうなずいた。どうせ食べるのは女王陛下にぞっこんの地の守護聖なんだから・・・多少甘かろうが固かろうが焦げてようが、彼は気にしないに違いない。

「じゃあ、私戻るわね・・・・・」

女王陛下は再びカーテンの向こうに姿を隠し

――― ガラガラ、ガッシャーン・・・・カランカランカラン・・・・・

再び何かが転げ落ちる音がした。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


そばにいるとまた見ていられなくなりそうなので、ロザリアはさっさと退散することにした。 ・・・・・・まるで娘を見守る母親の心境である。







午後3時―――


地の守護聖は、女王執務室の小さなティーテーブルの前にかけさせられていた。
テーブルをはさんだ向かい側には、金髪の女王陛下がやや緊張した面持ちで彼を見守っている。

「・・・・・・どう?大丈夫かしら・・・?」
「・・・とっても、美味しいですよ〜。」 地の守護聖はにっこりと答えた。
「よかったぁ〜!」
女王陛下は安堵のためいきをつくと、これ以上はないくらいの幸せそうな笑顔になった。

「あの・・・まだありましたら、もう一皿いただいてもよろしいですかー?」
地の守護聖は笑顔で、・・・・・ちょっぴり遠慮がちに切り出した。
「もちろん!まだまだありますから、全部食べちゃってくださいっ!」
女王陛下は飛び上がらんばかりの勢いでキッチンに飛び込んでゆくと、大きくカットしたケーキのおかわりを持ってあらわれた。 そのまま、頬杖をついて幸せそうに彼の顔を覗き込む。


実はこのケーキ・・・・スポンジ台は下のほうが歯が欠けそうに固くて、上のほうは逆にややねっとりして生焼けだった。クリームはかなり水っぽかった。彼が好きだから・・・という理由で問答無用に生地にねじ込まれた抹茶や小豆は、本体のココア生地と得体の知れない不調和をかもし出していた。
しかも、このケーキにはそれ以前に重大な根本的な問題点があったのだ・・・・・。


こういうとき、指摘してあげるのも愛情なのかもしれない。 だけど、蕩けるように幸せそうな表情を浮かべている彼女を見ていると・・・。
いいじゃないか、塩と砂糖を間違ってるくらい・・・。彼は、そう思うのだった。
この表情こそが何よりのご馳走なんだから。つまらないことをいって泣き顔にさせてしまってはいけない。

女王陛下を心から愛する地の守護聖は腹をくくった。 何が何でもこのケーキを1ホール平らげてしまおう。下手に残して彼女に味見でもされたらタイヘンなことになる。自分が食べてしまえば誰も気がつく人はいない。このことは二人にとって素晴らしい思い出になるのだ。


「あの、もう一皿・・・・」
「はい!すぐ持ってきますね!」

『はい!』・・・だって・・・・・・・まるで奥さんみたいである。 ・・・・・可愛すぎる。
もう味なんてどうでも良かった。

「あの〜。ついでにお茶のおかわりも・・・・」
「はい!ただいま!」


我慢強さにかけては右に出るもののいない地の守護聖は、笑顔で黙々とケーキを食べ続けた。






午後4時 ――――


地の守護聖が退出した頃をみはからって、ロザリアは女王執務室に戻ってきた。
実はここを出てからも、気になって仕事どころではなかった彼女である・・・・・。


「どうでしたの?」
「聞いて、ロザリア!彼、すっごく喜んでくれたの!ちょっと失敗したかな?と思ったんだけど味は大丈夫だったみたい。すごくおいしいって言って、1ホール全部食べてくれたのよ!」
「・・・・・・・・・1ホール全部?」

賢い女王補佐官はここで不自然さに気がついた。
地の守護聖は決して大食漢ではない。・・・というか、普通の人だってチョコレートケーキを1ホール食べるのは並大抵のことじゃない。

「さあって、片づけしなきゃ。」
「手伝いますわ。片づけならいいでしょう?」
「有り難うロザリア!」

キッチンに入っていった女王補佐官は、テーブルのど真ん中に置かれた青い袋を見て棒立ちになった。
朝も見たけど、・・・・・減り方が半端じゃない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あんた、これ。」
「どうしたの?ちゃんと教えてもらったとおりきっちり計ったわよ。ちょうどカップ1杯でしょ?」
「カップ一杯・・・・?・・・・これを・・・?」
「そうよ。レシピに書いてあるじゃない、砂糖一杯って・・・・・ 」

「アンジェリークっ!」
「はい?」
「あんた・・・あんたこのラベル・・・ちゃんと見なかったのっ!?」

「え・・・・?」


長い長い沈黙の後・・・・・



「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


思いっきり、絶叫・・・・・である。

「ロザリア・・・どうしよう〜!どどど・・・どうしたらいいの?」
「ここはいいから!すぐに行きなさいっ!こんなに塩分とって!今頃倒れてるかもしれないわ!」


女王陛下は泣きながら、後も振り返らずに執務室を飛び出していった。






「ルヴァ!」
ノックもせずに執務室のドアを押し開けると、そこにはぐったりと机に突っ伏している愛しい人の姿があった。デスクに置かれた大きな水差しが空になっていることが、彼に起こった悲劇を如実に物語っている。

「うっ・・・・うっ・・うぇっ・・・うぇ〜ん!」

どうしていいのか分からずに、女王陛下は床にぺったりと座り込むと泣き出してしまった。

「アン・・・陛下っ!」
突っ伏していた地の守護聖は、愛しい人の鳴き声にがばっと顔をあげた。

「ごめんなさい・・・ごっ、ごめっ・・んなさっ・・・ルヴァ・・・・ああああ〜ん!」
「どっ・・・どうなさったんですか、陛下!」


地の守護聖は駆け寄ると、すかさずドアが閉まっているのを確認して彼女を抱きしめた。
ぎゅ〜っと抱きしめておいて、柔らかな金髪をくりくりと落ち着かせるように撫でてあげる・・・・・彼女を慰めることに関しては彼は実にプロフェッショナルなのだった。
案の定、腕の中の女王陛下の号泣はものの数分も立たないうちに小さなすすり泣きに変わっていった。

「ルヴァ・・・ひっく・・・ごめんなさい・・・・ひっく・・・・あのケーキ・・・ひっ・・ケーキ、すごくしょっぱ・・・ひっく・・・・かったでしょう?」
「ああ〜、なんだ・・・そんなことを気にされてたんですか〜。」
すかさず彼はにっこりと笑った。

「気にすることはないんですよー。世の中には甘い料理も辛い料理もあるじゃないですか?私はあなたが忙しい時間を縫って私のために作ってくれたって、それだけでもう充分幸せなんですから・・・・・・」
――― うまい言い方をしているが否定はしていない。・・・・つまりはやっぱり『まずかった』のである。

「それにね、最近なんだか疲れがたまってるみたいで、ちょうど塩分を多めに採らなきゃいけないと思ってたんですよ。」
――― これもでまかせだった。馬じゃないんだから・・・疲れたときは「糖分」だろう?

「来年も絶対作ってくださいね。買ったりしちゃ駄目ですよ。本当に楽しみにしてるんですからね・・・・」
――― そう言いながら、彼が楽しみにしてるのは、実はケーキじゃなくて彼女のエプロン姿なのだった。


恋人の胸の中で言葉たくみにあやされているうちに、女王陛下の涙は急速に収まってきた。
ここに着てからジャスト10分間。地の守護聖・・・・見事なお手並みである。


「ありがとう、ルヴァ。・・・・・私、来年こそ、あなたに喜んでもらえるように、すごく美味しいケーキ作るから・・・・・・・。」
まだ涙の滲んだままの瞳でじっと見つめられて・・・・・しかもこのいじらしいセリフ・・・・・。

頭を撫でる手がふと停止した。
彼は不安を感じていた。来年まで・・・・果たして自分は我慢できるんだろうか・・・?
我慢・・・・・できそうになかった。
地の守護聖は再び素早くドアロックを確認した。


「ところで陛下・・・・・しょっぱいものを食べると甘いものが食べたくなりますよね?」
「えっ?・・・・はっ、はい・・・・。」
「・・・・・いただいてもいいですか?」
「えっ?」

彼は素早く彼女の前に長い背をかがめると、目の前の柔らかそうな唇にそっと口づけた。

「・・・・・ごちそうさま。」

真っ赤になっている女王陛下に、彼はゆっくりと微笑みかけた。
女王陛下の唇は確かにチョコレートよりも、とてもとても甘かった。




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