女王陛下のヴァレンタインデー <女王陛下と炎の守護聖篇>



2月14日

朝8時 ――― 微妙な時間だ。

ほんの2時間前、俺達はまだベッドの中にいた。
俺は起きようとする彼女を捕まえて 「『愛してる』って、3回言うまで離さない」・・・・・なんてくだらない戯言で彼女をムキにさせて楽しんでいた。
そして・・・・後1時間もすれば朝の謁見が始まる。
その時には俺達はもう女王陛下とその臣下でなければならないのだ。それぞれの役割を完璧に果たす。夫婦だからという甘えは許さない・・・・それが俺達の決めたルールだった。

だから、毎朝私邸から執務室へと彼女を送り届けてから、それぞれの執務が始まるまでの数十分・・・・それは俺達にとってはなはだ曖昧な、どっちつかずの時間帯なのだった。



「・・・・それでは失礼いたします。」

俺は時計を見上げて女王陛下に一礼した
名残惜しいがそろそろ時間だった。これから夜までの数時間、二人は束の間他人になるのだ。

「・・・・お待ちなさい」

背を向けて退出しようとした俺を、彼女がふいに呼び止めた。
振り向くと彼女はどことなく不機嫌そうな顔をしている。
俺は首をかしげて聞き返した。

「何か・・・?」

ほんの一瞬口ごもった後で、彼女は顔を上げると挑むような目つきでこう言った。
「今日、・・・・・・もらったら、承知しないから。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


今度は俺が押し黙る番だった。
今日は2月の14日・・・・・・そうか・・・それでだったのか・・・。
今朝から彼女が何となく不機嫌だった理由が俺にはやっと飲み込めた。


「何を・・・ですか?」

よせばいいのに、俺は聞き返した。
焼餅を焼かれるのは別に嫌じゃない。
彼女みたいな女性にやきもちを焼かせるのは男にとってむしろ名誉と言えるだろう。
だけど俺は素直に喜べなかった。今の言い方はちょっとばかり可愛げに欠ける。「もらうな」と言うなら、逆に何かあってしかるべきじゃないのか?他に何か言うことがあるんじゃないのか?

「しらばっくれて・・・・」
彼女はいらだたしげにパチンと音を立てて手元の扇を閉じた。

「・・・・もしかして陛下”やきもち”を焼いていらしゃるんですか?」

俺の言葉に彼女は大げさに胸をそらした。
「ご冗談を・・・。れっきとした妻がいるのに、他の女性からチョコレートをもらうなんてそんな不道徳極まりないことは人の模範たるべき守護聖にあってはならないことだと注意して差し上げているのですわ。」

要するにヤキモチじゃないか・・・・。

俺が肩をすくめたのが目に入ったのか、彼女はきりっと眉を上げた。
「とにかく、1個でももらったら公開で絞首刑だから。」
「・・・ちょっと待て。チョコ1個で絞首刑か?勘弁してくれよ。」
「チョコレートの問題じゃありません。女王不敬罪です。」
「思いっきり公私混同じゃないか。」
「別に欲しくなきゃいいでしょ?もらわなくったって。」
「くれるものはしょうがないだろう?断れば相手が傷つく。」
「くれる人がいるのはあなたに隙があるからでしょう?」
「送ってくるのはどうするんだ。全部送り返すのか?」
「ご心配なく。1週間前から家とあなたの執務室のポストは封鎖してあります。」
「・・・・・・・・・・・・・」

俺は頭を抱えかけた。
どうりで・・・・ここのところ郵便物が1件も来ないと思ったら・・・・。
ポストごと封鎖なんて・・・・・公務の連絡はどうするつもりなんだ・・・・・。


「・・・・で、そこまで言うなら、用意してあるんだろうな?」
「・・・何を?」
今度は彼女の方が、俺を上回る白々しさでとぼけてみせた。
俺は思わず彼女の前に身を乗り出した。
「言っておくが、俺は甘いものはキライだ。1年に1回食えば十分なんだ。1個でいいんだ。だから、その1個はちゃんと用意しとけ。」
「ご自分で要求なさるの?珍しい方ね。」
「・・・・・・・・・。」

ああ言えばこう言う。実に可愛くない。だが、俺はやはり甘いものはキライだった。癪なことに、やっぱりこういう歯ごたえのあるタイプの方が性に合ってるのだ。


――― くすっ・・・くすくすくす。


突然聞こえてきた笑い声に振り返ると、そこには金髪の女王補佐官が、我慢できないといった風情でおなかを抱えて笑い転げていた。
そうだった・・・朝の打ち合わせに来て部屋の隅で控えていた彼女のことを俺達はすっかり忘れてしまっていた。

「・・・・・いたの?」
ロザリアが照れ隠しのようにわざと醒めた声で言うと、アンジェはまだ笑いが収まりきらない様子で顔を上げた。
「ごっ・・・・ごめんなさい。だって・・・さっきから20回くらい「外しましょうか?」って言おうと思ったんだけど、お二人がすごい勢いで話していらっしゃるからとても口が差し挟めなくて・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・」

黙り込んでしまった二人の間に笑顔で割ってはいると、金髪の女王補佐官は俺に向かってにっこりと微笑んだ。
「陛下、用意していらっしゃいますよ。・・・それも、3ヶ月も前から。」
「アンジェ・・・。」
ロザリアの目配せを無視して、アンジェリークはにこやかな笑顔で付け加えた。
「私が材料調達しましたもん。もちろん、1個分だけ。」

もう一度ロザリアを振り返ると、彼女はすっかりこちらに背中を向けてしまって素知らぬ顔で扇で顔を仰いでいる。

俺は密かに満足のため息をつくと、陛下に向かって再度敬礼した。
「承知しました。一切受け取りません。・・・それでは、失礼いたします。」
「そう。分かればいいのよ・・・・。」
意地っ張りに言い返しながら、彼女はまだこちらに背を向けたままである。

俺はドアのところまで歩きかけて・・・・・思いなおして部屋の中に引き返した。
「・・・陛下」
「何?」
「ひとつ忘れ物が・・・・。」

俺は振り向きかけたロザリアの首にすばやく腕を伸ばすと、そのまま引き寄せて唇に口づけた。
驚いた彼女が慌てて俺を打とうと手を挙げるよりも早く、俺はドアの前まで下がると彼女に向かって片目をつぶってみせた。

「それじゃ今夜、楽しみにしてる・・・・早めに帰るから・・・・。」

手を振って部屋を出る背後から、悔しそうなこんな声が聞こえた。

「帰れるもんですか!死ぬほど残業させてあげるから!」


俺は笑いながら女王執務室を後にした。
さて、・・・笑ってる場合じゃない。実はこれからがたいへんなのだ。
面と向かって拒絶してレディを泣かせるような真似は俺としては忍びがたい。今日は一日出歩かず、女官もすべて遠ざけて執務室にこもることになりそうだった。

まぁ、たまにはそれもいいか・・・・。
俺は心の中でつぶやいた。
女王陛下のチョコレートを手にするためには、そのくらいの犠牲はしかるべきものだった。


俺は「頼むから女性とすれ違わないように・・・」と念じながら、執務室に向かう足を速めた。

=Fin=








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