里帰り (5)



懐かしい我が家の玄関先に立つと、私はもうそれだけで泣き出しそうになった。
ルヴァは私を引き寄せるとおでこに軽くキスをして「泣かないおまじないですよ」と言って笑った。

大きく息を吸って、それから・・・・
「ただいま!」そう言って私はドアを開けた。

今度ばかりはルヴァのおまじないもなんの効き目もなかった。私はドアを開けてくれたママの顔を見た瞬間、声をあげて泣き崩れていた。
パパもママも年寄りになんかなってなかった。ちっとも変わってない。
「あらあらこの子ったら・・・・。いつまでたっても子供みたいなんだから・・・・。」
ママが私の背中を撫でてくれているその横でパパとルヴァは、
「なんだか初めて会ったような気がしないねえ」
「はい」
と、不思議な会話を交わしていた。


やっと泣き止んだ私は居間に通された。
何もかも昔のまんま・・・・と、思った私の目の前に、額に入った1枚の大きな写真が飛び込んできた。
そこに飾られていたのはなんと私の結婚式の時の写真だった。ルヴァの国の装束を着て幸せそうに笑っているこの写真はルヴァのお気に入りで、我が家にも書斎に同じ物が飾ってあった。

「こっ・・・・これどうしたの?何でここにあるの?」
「ああ、ルヴァが送ってくれたんだよ。」パパが平然と答える。
「ええっ?」
「ルヴァは毎月のように長い手紙をくれてね、写真も何枚も送ってもらったし、お前ががんばっているのは聞いていたよ。」
私がびっくりして振り向くと、ルヴァはあっという間に目をそらした。


「よっくわかりました」
私は両親の目を盗んでこっそりルヴァの脇を肘でつついた。
「・・・何がですか?」
「・・・ずいぶん私にいっぱい隠し事をしてるんですね。」
「隠してたわけじゃないんですけどね。言うとあなたが怒ると思って、黙ってたんですよー。」
「そーゆーのを『隠し事』って言うんです!」
「・・・すみません。」ルヴァは首をすくめて謝った。


一週間はあっという間に過ぎた。
パパはルヴァのことがすっかり気に入ったようで、一緒に将棋を指したり釣堀に行ったり、あちこち連れまわしていた。
ルヴァはあっという間に将棋のルールを覚えて、しかもめっぽう強かった。パパに連れて行かれた将棋仲間のサロンでいきなり10人勝ち抜きをやらかしたらしく、帰ってきたパパは「うちの婿殿はすごい!」と鼻高々だった。
私はママと買い物に行ったり、せっかくの機会だからママを手伝って季節はずれの大掃除をしたりした。
ママは私がちゃんと主婦としてやっていけているのかしきりと心配した。
「ルヴァが優しいからって甘えてわがままばっかり言うんじゃないのよ」
「夫の健康管理は妻の務めですからね。あなたちゃんとお料理とかできてるの?」
「多少仕事で嫌なことがあっても旦那様に不機嫌な顔を見せるんじゃないのよ」
「けんかしたら変に意地を張らずにあなたのほうから折れるのよ。相手は年も上だし男の人なんだから・・・・」
口うるささも相変わらずだった。
しかもさすがにママは私の性格を知り抜いているだけあって、言うことがいちいち的を得ている。耳の痛いことこの上なかった。

ママはさんざんお説教した後で、ノート2冊にわたるお手製のレシピ集をくれた。
久しぶりに味わうありふれた日常生活。私はこのままこの生活が永遠に続くんじゃないかと錯覚しそうだった。


やっぱりそれは錯覚だった。終わりはあっけなくやって来てしまった。


「帰りたくない・・・・・」
出発前夜、またしてもぐずぐずとべそをかく私を前に、ルヴァはもてあましたようにため息をついた。
「もう休暇は終わりなんですよ」
「だって・・・・・・」
「陛下がお困りになるでしょう?」
「ルヴァだけ、先に帰って」
「だめですよ。そんなことできないの、分かっているでしょう?」
「なんでですかー。」
「決まってるでしょう、私にはあなたが必要なんです。いないと困るんです。」
「でも・・・・・。」

「泣いてもわめいても、引きずってでも連れて帰りますからね。」
口だけすごんでみせてるけど、それを言っているルヴァの表情はとても優しかった。私のことを心配しているんだ。
私はルヴァの胸にもたれてまたぐずぐずと泣き出した。
ルヴァはそんな私を抱きしめると、また、髪を撫でてくれた。
「はいはい。今日のうちに泣いておきなさい。明日はだめですよ。泣いたまんまお別れじゃご両親が心配しますからね。明日はちゃんと笑顔を見せてあげてくださいね。」


そして、いよいよ別れの時がやってきた。
玄関先に立った私は、なるべく別れを意識しないように、楽しいことを考えるように努力した。
「ルヴァ・・・ちょっと。」
パパはルヴァを手招きすると何事かを耳打ちした。
ルヴァはうなずきながら、「はい。分かりました。努力します」なんて、神妙に答えている。

私は、おなかから息を出して精一杯元気に言った。
「じゃあ、又来るからね。元気でね。体に気をつけて。」


角を曲がった瞬間に、涙がどっと溢れてきた。この十日あまり、本当に一生分くらい泣いたような気がする。
盛大にしゃっくり上げる私の肩を抱き寄せると、ルヴァはとても優しい声でこう言った。
「よく我慢しましたね。」
「ルヴァ・・・・」
「はい。なんですか?」
「・・・・・・ありがとう・・・・。」

ルヴァが無理やり連れて来てくれなかったら、多分一生パパとママに会うこともなかったろう。そして、いつの日か、本当に後悔したかもしれない・・・。
ルヴァは返事の替わりにいつもの笑顔で微笑んでこう言った。
「また行きましょうね。」
「うん」
「今度は子供を連れてね」
「うん。・・・・ん?」
「約束ですよー」
「ちょっ・・・ちょっと待って。そんな私まだ子供なんて・・・・」
「だってさっきお父さんに頼まれたんですよー。『次は孫の顔を見せてくれ』って・・・。」
「そんな話をしてたんですかー?」
「あー。急がないと飛行機に間に合いませんねー。」
「もー。はぐらかさないでくださいっ!」


いきなり歩みを速めた夫に歩調を合わせて小走りになりながら、私はなんとなく想像していた。
いつかこの人との間に子供ができて、みんなで一緒に「お里帰り」する。
―――(それもいいかもなー)なんて、思い始めている私が、そこにいた。


=完=



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