雪解け道で・・・
晴天の霹靂とはこのことか。 聖地に雪が降ったのだ。それも暦の上では夏だというのに。
しかも、それを降らせたのは規律を重んずることにかけては人一倍厳しい、我らが女王陛下というのだから・・・・。 「珍しいこともあったもんだな」
「仕方なかったのよ。・・・あの子が妙に頼みごとがうまいの、知ってるでしょ?一応日ごろは頑張って良く働いてくれてるし・・・断れなかったのよ。」 迷惑この上ないわ・・・と嘯きながら、押し付けられたバスケットは、その実かなり大振りでずっしりと重かった。
そう。聖地に雪が降るなど、おそらく女王の御世が始まって以来のことだろう。 町中が物珍しさに浮かれまくってとにかく仕事どころの騒ぎじゃない。
かてて加えて、お祭り好きな女王補佐官殿が「いっそ、その日は聖地中お休みにしちゃいましょうよ!」なんて進言したものだから今日は市街地はおろか、聖殿までもが空っぽになる有様だった。
聖殿が無人になっては女王陛下の守護をするものがいない ・・・・・・・・という理由で、俺が一日中陛下のお供をすることになったわけだが、つまりこれは、お茶目な補佐官殿の粋な計らいと言うヤツだった。
厚いマントを着込んでフードを被ってしまえば、誰も俺と並んで馬を走らせているのが女王陛下だと気づくものはいない。 「みんなこの雪を楽しんでるみたいだな・・・」
沿道の賑わいを馬上から眺めて俺がつぶやくと、女王陛下も大きくうなずいた。 「良かったわ。・・・あのおバカな子のすっ飛んだアイディアもたまには役に立つってわけね・・・。」
他人事のように言ってはいるものの、本人からしてわくわくしている様子が十分に見て取れて俺は微笑んだ。 小一時間も馬を走らせて俺が女王陛下を連れてきたのは、街が見下ろせる広々とした高台だった。
さすがに雪道をここまで登ってこようという物好きはいないらしく、一面の雪の絨毯はまだ誰にも踏み荒らされた跡がなく純白のままだった。 「靴が濡れる・・・・」
「平気よ・・・」 馬上から抱き上げた俺の腕をすり抜けると、ロザリアは果敢に雪の中に飛び降りた。 「きれいね。本当に久しぶりに見たわ、雪なんて・・・・・」
「そうだな。・・・きれいだな」 微かに頬を紅潮させて、瞳をきらめかせているその横顔を見て、俺は半ば無意識に呟いた。・・・・そうだ。とても綺麗だ。
聖殿で一分の隙も見せず俺達を叱咤する君を、俺は美しいと思い、尊敬している。 だが、こんな風に少女のように瞳を輝かせている君は・・・可愛い。ただ、愛しい・・・・・。
半年前、目の前の女性に俺はプロポーズした。 相手は顔色も変えずにそれを聞き、そして即座にこう言った。
「無理よ。」 「答えになってないぞ、それは。」 俺は食い下がった。 「俺は君に愛していると言ったんだ。それに答えをくれ。」 「聞いて・・・どうするのよ?」相手は少し怯んだようだった。まっすぐに見返していた視線が微かに揺れた。
「『無理』よ・・・・・それが答えよ。」 落ち着き払った表情を守りながら、その声は震えていた。 「用件はそれだけ?だったら退出して頂戴・・・・・」
「・・・分かった。」
向けられた背中に、俺はゆっくりと笑いかけた。「充分だ。答えは確かにもらった。」 そう・・・充分だ。君を苦しめたくてこんなことを言い出したわけじゃない・・・。 静かに彼女は振り返った。 「別に怖がることは無い。君は何も変わらなくていい。・・・俺が変われば済むことだ。」 「オスカー・・・・・・」 「君が宇宙を守らなければならないというなら、守ればいい。・・・その君を、俺が守る。君が俺や自分自身のことを考える時間がないというのなら、待つさ。その時が来るまで。」
「・・・・約束なんて、できないって言ってるのよ。」 意地っ張りに言い返す瞳に、俺は再び笑いかけた。
「そんなものは要らない。誓うのは俺だけでいい。」
ゆっくりと俺は跪いた。 世界に唯一つ、稀有なる宝石の前に・・・・。
「愛している。・・・・君を必ず守り通して見せる。君の望むことすべて、命に換えて叶えてみせる。君を誰にも傷つけさせない。この剣に賭けて、誓う。もし誓いを誤ることがあれば、この胸が、この剣の鞘となるだろう・・・・」
「止めて!」
真っ白な指が俺の口元を押さえた。
「馬鹿なこと・・・言わないでよ・・・・」
蒼い、蒼い瞳が、俺をまっすぐに見つめていた。 その瞳からは、透明な涙が、幾筋もあふれ出していた。
初めて見る彼女の涙は、とても美しく、一途で、 心を抉られるような愛しさを、俺はその時初めて知った。
「・・・・・ぐはっ!」 いきなり顔面で雪球が弾けて、俺はのけぞった。 「ぼーっとしてるからよ」
「・・・・・・この・・・」 追いかけると少女は笑いながら身を翻して奔り出した。深い雪に足を取られながらも、その足取りはかなり敏捷だった。
両腕を伸ばして捉えようとすると、少女は身をよじって避けた。そして・・・ そのまま足を取られて雪の中に倒れそうになるのを、俺は慌ててその体の下に滑り込んだ・・・・・・・。
――――バサッ
見事に雪の中に半分埋もれかかりながらも、俺の両腕は何とか深い雪の中からロザリアを支え上げることに成功した。
「うふふ・・・、あなたのその格好ったら・・・。」
誰のお陰で助かったか忘れたように、俺の腕に身を預けたまま少女は嬉しそうに喉を鳴らして笑った。 「あなたのこんな姿を見たら、聖殿の女官たちは何て言うでしょうねぇ・・・・。」
その無邪気な笑顔がどんなに男心を蕩かす危険な代物か、多分、自分では分かっちゃいないのだろう。 幸い、他の男は誰も見たことがないのだろうけれど・・・それだけがせめての救いだ。 俺は肩をすぼめて呟いた。
「・・・・・・生殺しか?・・・カンベンしてくれよ」 「えっ?何かおっしゃいまして?」 「こういうことだ・・・・。」
俺はゆっくりと支える腕の力を緩めた・・・・・。
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東屋でバスケットの中のサンドイッチとコーヒーを平らげた後、ロザリアは雪でいくつもウサギを作って、ついでに俺にも作らせて「不器用だ」と笑った。
ゆっくりと空気が藍色に染まってゆく。 たった一日降っただけの雪は、ふもとでは早くも解け始めているようだった。 女王陛下の魔法も、そろそろ解ける時間だった。
帰り道、今度は二人で同じ馬の背に乗った。 マントに包まれたまま俺の胸に顔をもたせていたロザリアがポツリと呟いた。 「・・・帰りたくない・・・・」
「我侭だな」 俺が笑いかけると、ロザリアはマントの中でツンと顔を逸らした。 「分かってるわ。・・・・・帰ります。」 「それは駄目だ。」
「えっ?」 「あいにく、俺は君以上に我侭なんだ。」 いきなり馬首を聖殿とは逆の方向・・・俺の私邸の方向へ向ける。 ロザリアが驚いたように顔を上げた。 「駄目よ・・・本当にもう帰らないと・・・・。」 「ご心配なく・・・補佐官殿にはあらかじめフォローを頼んである」
「でも・・・・・」 「そのくらいはいいだろ?君だってあの二人のためにサクリアの大盤振る舞いをしたんだからな・・・・。気楽にやればいい。一晩くらい女王陛下を休んだってバチは当たらないだろう・・・・?」
「・・・・・・・。」
黙り込んでいたロザリアが、ふいにマントの中で伸び上がった。
「・・・・お・・・・」 頬に触れた温かい感触に、俺は思わず手綱を引いて彼女の顔をまじまじと見下ろした。 つまり、・・・・これが初めてだった。・・・彼女からというのは・・・・。
「気楽にやればいいんでしょう?」俺の腕の中でロザリアが少女の顔で微笑んだ。「ほんの、お礼よ。今日の・・・・。」 その表情がどうにも愛くるしくて、俺は本当に歯止めがきかなくなりそうだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」 俺は馬を止めると、腕の中のロザリアをしっかりと抱きなおした。 身動きもできないくらい強く抱きしめると、そのままゆっくりと口付ける。
真っ白に降りつのった粉雪は触れると解けてしまうけれど この腕の中の純白はそうじゃない。 しっかりとその感触を確かめて・・・・今はもうすっかり普通の少女に戻って頬を染めている少女の耳元に、俺はそっと囁いた。
愛してる、ロザリア・・・・。
純白の雪道に足跡を刻み込むように。
今夜ふたりの思い出を・・・もうひとつ、増やしてみようか?
-Fin-
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