5.育成地

Luva


その日たまたま私は読みかけの本を終わらせようとして、執務室にこもったまま夜を迎えてしまった。手元の時計は12時を回っている。ずいぶん遅くなってしまったものである。私が本を書架に納めて身支度を始めた丁度そのとき・・・あわただしくドアをノックする音が聞こえた。

「ルヴァ様・・・ルヴァ様・・・。」
アンジェリークの声だ。どうしたというのだこんな時間に。私はいぶかしみながらドアを開けた。
いきなり弾丸のように飛び込んでくるアンジェリーク。その顔は蒼白だった。
「エリューションが・・・エリューションが」彼女が腕にしがみついてきた。全身が小刻みに震えている。
「どうしました?何があったんですか?アンジェリーク」
彼女はいやいやをするように頭を振ると更に強く私の腕にしがみつく。
「見えたんです。エリューションが。すごい水で畑がものすごい勢いで流されていくんです」
「あー。アンジェリーク。悪い夢を見たんですね」
「夢じゃ有りません!」彼女はきっと顔を上げてはっきりとした口調で言った。彼女がこんなに強い口調になることはめったになかった。
あっけにとられる私を残してアンジェリークは身を翻すと来た時以上の性急さで飛び出していった。
「アンジェリーク!」私は慌ててその後を追いかけた。

彼女は振り向きもせず、どんどん走ってゆく。
こちらは王立研究院の方角だ。
研究院にたどりつくと玄関は当然しまっている。いきなりドアに体当たりしようとする彼女を見て私は度肝を抜かれた。
こんなに激しい彼女を見たのは初めてだ。
「私が開けます。」
職務柄王立研究院を訪れることが多く、月に何回か講義も持っている関係で私は研究院の鍵を持っていた。
ドアが開くが早いか、アンジェリークはまっしぐらに中に飛び込んでいった。
遊星盤ゲートの近くのコンソールに駆け寄ると、めくらめっぽうキーを打ち始める。
無茶なことを、と思ったが止めても聞くような気配ではない。
壁にかかった育成の状況を示すモニターを見ると、明らかにデータが大きく乱れている。そのうち何かの拍子にゲートが開いた。
遊星盤に飛び乗ろうとするアンジェリークをさすがに私は引きとめた。

「アンジェリーク。あなた、何をしようというんです。」
「ごめんなさい。私、すぐ行かなきゃいけないんです。」
「指定された日以外に育成地に行くことは禁止されているんですよ?」
「でも、行かなきゃだめなんです」
----止めても無駄なようである。私はため息をついて自分も遊星盤に乗り込んだ。
「分かりました。じゃあ私もご一緒しましょう」
「ルヴァ様?」
「どんな危険があるか分からないのに、あなたを一人で行かせるわけにはいきませんよ」
アンジェリークは何か言いかけたが、はやる気持ちが勝ったらしい、ものも言わずに遊星盤を発進させた。


「これは!?」ポイントを抜けたとたんにあたりの空気が激変したのに私は愕然とした。
確かに大陸は嵐に見舞われていた。激流が畑や民家を押し流し、稲妻が流星のように地表に降り注いでいる。男の自分でさえぞっとするような光景だが、アンジェリークはもう震えてはいなかった。風の中の木の葉のように揺れる遊星盤を華奢な腕で必死に操っている。

風に進路をはばまれながら、遊星盤はどうにかこうにか、小高い丘の上に着陸した。
遊星盤が着陸すると建物の中から全身防水服に包まれた若い男・・・というか少年が「天使様〜。」と叫びながら、ころがるように飛び出してきた。
飛び出してきた少年―――エリューションの神官が語るには、1週間前から急に大暴風雨が襲ってきたのだという。家や畑が流されて相当の被害が出ているという。家を失った人はとりあえず駐在所や守護聖の建物に非難しているが、いかんせん移動できる状況ではないので、他のエリアの被害状況がつかめずにいるという。
今のところ死者や行方不明者は出ていない、と聞いてアンジェリークは大きく安堵のため息をついた。
それからアンジェリークは神官に頼んで医療品をかきあつめてもらうと今度は神官も載せて三人で次の被災地へ向かった。

それから我々の被災地めぐりが始まった。
無論、アンジェリークが来たからといって何ができるというわけではない。 しかしアンジェリークが到着すると驚くほど人々の表情が明るくなる。みんなアンジェリークが来たということで励まされているようだった。驚いたことにほとんどの人が彼女と顔見知りのようで、彼女は合う人ごとに「息子さんは大丈夫でした?」「甥ごさんは隣町ですよね?」とぽんぽん声をかけている。
被災地についてからの彼女の活動はめまぐるしく、炊き出しをして、薬草を摘み、倒れた家屋の木材運びを始めた時にはさすがにみんな止めようとしたが、彼女はがんとして聞かなかった。人々のアンジェリークへの信頼は絶大で、彼らからすれば私などはアンジェリークのお付きくらいにしか見えていないようだった。アンジェリークは一生懸命「みんなに力を下さっている守護聖様なのよ」と力説するのだが「ふーん。そうなのか」くらいの感じである。他の守護聖たちがこれを見たらなんと思うだろう。想像するとおかしかった。

私は今となっては彼女が女王候補に選ばれた理由を疑ってはいなかった。彼女には何か人の心を明るくし、奮い立たせるものがある。
そして私はもう一つあることに気がついていた。あれだけの災害だったというのに、どこの被災地でも倒れている建物がほとんどない。民家や畑は流されたが守護聖の祝福を受けた建物はごく初期のものを除いてほとんど倒れておらず、被災者の収容所となっているのであった。
彼女の育成はいわゆる促成栽培ではなかったが、目に見えないところで深く強靭な根を張っているらしい。

「あのー守護聖様」
5日目の晩、例の子供のような神官がもじもじしながら、珍しく私に話し掛けてきた。
「はいー。なんでしょうかー。」
「あのー。天使様はそろそろお帰りにならなくても大丈夫なんでしょうかー?天に戻らないとあの王立研究院の人に叱られたりしませんかー?」
どうやらパスハはこの神官まで恐れられているらしい。
「そうですねー。そろそろ帰らないとまずいような気はするんですけどねー。でも彼女、いっこうに帰りそうにないですねー。」
私はため息混じりに言った。
聖地ではもう翌日の夕方くらいか・・・さすがにもう騒ぎになっているに違いない。ディアやジュリアスには戻ったら私から説明するつもりではいたが、やはり、あまり騒ぎが大きくなってはまずい・・。私も実はアンジェリークに早く帰るように促すつもりではいたのだが、彼女があまりにも一生懸命なので言い出せずにいたのだ。
考え込む私を見て微妙な気配を察知したらしい。子供のような神官がきりっと眉毛を上げた。
「分かりました。」そのままくるっときびすを返すとばたばたと走り去ってゆく。
彼のこういう唐突なところも妙にアンジェリークに似ていた。

翌日。例の神官がアンジェリークのもとにニコニコしながらやってきた。
「天使様。今日はいいお知らせがあるんですよー。」
「どうしたの?」
「この上の高台の畑は被害に遭わなかったみたいで、流されずに残ってたんですよー。みんなでとりあえずこれだけあったら何とかなるよなって言ってたとこなんです」
「ほんと?よかったぁ!」
早速見に行こうということになって、みんなでその高台にあがってみると、大きいとは言いがたい面積ではあるが、確かに畑があった。その畑とやらを一瞬見たとたんに私はなにやらうさんくさーいものを感じた。
植えられている植物は見たこともない怪しげな、これが食べられるんだろうかと思うような代物だったし、荒れ果てた周囲の光景に反してそこだけは妙に不自然に整然と残っていた。

しかしアンジェリークはどうやらこの不自然さに気がつかないようで、神官と抱き合って飛び跳ねて喜んでいる。
「天使様。これで被災地の処理もどうやら一段楽しましたね。」
「そうねー。すっかり長居しちゃったけどそろそろ帰らないとねー」
アンジェリークのこの言葉に居合わせたもの達は会心の笑みを浮かべた。
昨日の話もあって私には彼らのたくらみがすぐにピンと来た。彼らはアンジェリークを安心させ、聖地に返そうとしているのだ。そのためにろくに農具もない中で急遽畑らしきものをでっちあげたのだろう。
神官が小走りに走ってきて、小声で私に言った。
「あの・・・黙っててくださいね」私は彼に笑顔でうなづいたのだった。


「みんなありがとうね。がんばってね。」笑顔で遊星盤に乗り込んだアンジェリークは神官達の姿が見えなくなるまでずーっと手を振りつづけていた。
周囲に何も見えなくなって風を切る音だけがひびくようになってから、彼女はふい振り向くと私にぺこりと頭を下げた。
「ルヴァ様。あの・・・すみませんでした。結局1週間もかかっちゃって・・・。ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい!」
「謝る事ないですよ、アンジェリーク。一緒に来ようって約束してたじゃないですか。私はここに来て良かったと思ってるんですよ。来てみて初めて分かりました。あなたは本当にエリューションの民に愛されているんですねー。」
アンジェリークはちょっとはにかんだように笑って言った。
「みんな、優しい人達なんですよねー。私のためにあんなへたくそな嘘までついて・・・。」
「・・・アンジェリーク。・・・・気が付いてたんですか?」
「分かりますよー。だって、周りの木まで全部なぎ倒されてるのに、畑だけあんなにきれいに残ってるわけないじゃないですか。草だってちょっと見れば食べられない草だってすぐわかりますよ。もう、みんな、私が何にも知らないと思ってるんだから」

私は自分の不明を恥じた。彼女が気づいていないはずがない。誰よりもここを愛し、彼らを愛しているのはアンジェリークなのだ。

「アンジェリーク。私も一つ謝らなきゃいけないことがあります」
「ルヴァ様?」
「一緒に建物を増やす方法を考えましょうっていいましたよね。でも、私も気が変わってしまいました。 あなたの言うとおりです。私も建物の数なんかどうでもいいと思えてきてしまいました。こんなんじゃ試験のお役には立てませんね・・・・。すみません、アンジェリーク。」

アンジェリークはまっすぐに私の目を見ると嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。
「私、明日からがんばります。一から育成やり直します。力を貸してくださいね。」

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