4.育成日記

Luva


あれからアンジェリークはちょくちょく執務室を訪れるようになったが、 最初の日の涙はウソのようで、毎日元気いっぱいである。
彼女は意外に勉強熱心なようで、図書館の本や王立研究院の資料を持ってはわからないところを聞きにくるのが常であった。

時々彼女と本の話をすることがある。
実は、私はこれまで人と本について語ることを意識的に避けてきた。
好きな本の話になるとつい熱が入り止まらなくなってしまうので、たいがいの人は話せば話すほど退屈させてしまうのだ。
しかし彼女はこの話題が好きらしく、しょっちゅう話して聞かせて欲しいとねだられた。しかも彼女は聞きながら手を叩いて喜んだり涙ぐんだり、実にいいところで質問を入れてきたりするのでつい自分のペースで何時間も話をしまくってしまうのだった。

話を聞いてくれるからというわけではないが、彼女は可愛くて、素直で、とてもいい子だと思う。
最初のうちこそ、ついついロザリアと比べてしまったが、彼女はもちろん決して頭が悪いというわけではない。真面目だし、時折投げかけられる質問は、(突拍子もない質問も多かったが)何か特別なひらめきのようなものを感じさせることがある。
何より彼女は泣くのも笑うのも育成をするのもとにかく一生懸命で、不器用ではあるがひたむきさが伝わってくる。なんだか手を差し伸べたくなってしまう・・・そんな子なのである。

最近は他の守護聖も彼女から同じようなものを感じ取っているようで、最初のうちは「なんでこんな子が・・・」と口には出さないがそんな雰囲気であった守護聖たちの多くが、二月と経たないうちに彼女に好意を持ち始めているのが分かった。
女性と見れば誘わないのは失礼、と感じているオスカーは別として、同年代のランディやマルセルとはいつもじゃれあっているし、オリヴィエやリュミエール、そして驚いたことにジュリアスやクラヴィスまでもが日の曜日に彼女を誘いに行っているようであった。
私にとっても彼女は今となっては大事な教え子の一人であり、その人気があがっていくのは決して悪い気はしなかった。


しかしあくまでも好意と試験は別物で、育成をはじめてすでに二月が経とうとしているが、すでにロザリアとアンジェリークの大陸の建物の差は大きくひろがっている。今から挽回するのは限りなく不可能に近い。
「もう、やるだけ無駄なんじゃねーの」ゼフェルなどは、そう嘯いている。
「そんなこと言うもんじゃありませんよ。アンジェリークだって一生懸命やってるんですから」と、一応たしなめると
「っせーな。んなこと分かってるよ。あいつは誰よりも一生懸命やってるよ。だからよけーに・・・残酷じゃねーかよ、こんなの」吐き捨てるように行って走り去ってしまった。
どうやら気難しいゼフェルまでがアンジェリークには好意を抱いているらしい。

「何とかしなければなりませんねえ・・・。」さすがに私もそう思い始めていた。
あくまで中立の立場を貫かねばならないが、こうまで差がつけば少しくらい応援しても大した問題にはならないだろう。
私は王立研究院から持ち帰ったエリューションの育成の経過を最初から見返してみた。育成が進まないのには何か原因があるはずだ。ヒントくらいあたえてもバチはあたらないだろう。


その日折りよくアンジェリークが執務室にやってきた。
「あー。アンジェリーク。ちょうど良かった。私も今日はあなたとゆっくり話をしたいと思っていたんですよー。」
アンジェリークの表情がぱっと嬉しそうにかがやいた。こういう気持がすぐに顔に出るところは実に可愛い。 私は彼女を座るように促した。
「あなたのエリューションについて、これまでの育成の経過についてもう一度見返してみたんですよ」
育成に関わることと知って彼女の笑顔が真面目な表情にかわった。
「あなたの力の送り方は民の望みとかなり食い違っているような気がするんですよ。どうもそれが育成が進まない原因じゃないかと私は思うんですね」
アンジェリークはじっとまっすぐに私を見つめたまま返事をしない。
「あー。もちろんあなたにはあなたの考えがあってのことなんでしょうから、周りがとやかく言うことではないというのは分かっているんですよ。ただ、アンジェリーク、あなたはこのまま負けてもいいんですか?」
「いいんです」
まっすぐ私を見つめたまま、このとき初めてアンジェリークはにっこりと笑った。
「はあ?」意外な答えに私は当惑した。
「あ、誤解しないで下さいね。棄権するとか、どうでもいいと思ってるとか、そんなんじゃないんです。ただ、建物の数は私、どうでもいいんです。」
「はあ、どうも私にはあなたの言ってることが良く分からないのですが・・・」
「だってルヴァ様最初におっしゃったじゃないですか、大陸に住む人たちを幸せにしてあげることが私達の任務だって。私、あれで目からウロコが落ちちゃったんです。もう、そのことだけを考えようと思って・・・。」
それから彼女はとうとうと語り始めた。

「最初は民の望みのとおりにやっていたんです。でも、時々『これは違うんじゃないかなー』と思って・・。ほら、いつでしたっけエリューションで地震が起きたことがありましたよね。」
「ええ、覚えていますよ。まだ育成をはじめたばかりの頃でしたね」
「あの後、民の一番の望みを見たら『安らぎ』になってたんです。確かに地震でひどい目にあって安らぎが欲しいというのは分かるんですけど、・・・でも、こんな時だからこそ勇気が必要ですよね。それとパワー。力です。みんなにもっと元気を出して欲しいと思ったんです。」
「だから勇気と力を山ほど送ったわけですね。うーん。それは確かに一理ありますが、ひとそれぞれに考え方というものがありますからねえ・・・。」
「それだけじゃないんです。」と、彼女は勢い込んでごそごそとバックから分厚いノートを取り出して広げだした。何か彼女の育成日記のようなものらしい。
「ええと、今月の始めなんですけど、エリューションに初めて工場ができてそれがぱっと広がった時に、おばさんが泣いてたんです」
「はあ・・・。」
彼女が言うには、エリューションを視察に行った時に尋ねた農村で、そこの農家のおかみさんが泣いていたのだという。
「出稼ぎに言ってる息子さんが村の祭だって言うのに帰ってこない、これまでそんなことは一度もなかったのに工場に勤めだしてからぱったり帰ってこなくなったっていうんです」
「で・・・その時の民の望みはなんだったんですか?」
「鋼です」
なんとなく彼女の言いたいことが分かってきた気がした。
「それで貴方は何の力を送ったんですか?」
「地の力を」心なしか頬を染めて彼女は答えた。
「私、神官に急がなくてもいいって言ったんです。工場を慌てていっぱい作らなくても、きちんと勉強して必要な時に1個ずつ作ればいいんだからって・・・。」
「それで息子さんは帰ってきたんですか」
「次の土の曜日に視察に行ったら年末の休みに帰ってきたって言ってました」
「うーん。」私は頭を抱えてしまった 。
要するに思いつきで力を送っているように見えるが、彼女には彼女なりの理屈が有るらしい。荒唐無稽には見えるが、その理窟にも一応の説得力はある。
「ルヴァ様・・・私のやってることって間違ってますか?私エリューションのみんなを不幸にしちゃってるんでしょうか?」アンジェリークはにわかに不安になったらしく、真剣な目で私を見ている。
「いえいえ。そんなことはありませんよ。あなたらしい考え方でいいと思いますよ。ただね、民の望みに沿った力が受け入れられやすいと言うのは、確かなデータ-によって裏付けられた事実なんですよー」

アンジェリークは叱られた子供のようにがっくりと肩を落とした。
彼女が腕を下ろした拍子に彼女が持っていたノートの見開きが視界に飛び込んできた。いつも持ち歩いているらしい少しよれたページには、細かい字がびっしりと書き込まれている。
「これは・・・?」
「あ、視察に行ったときの日誌です」
「ちょっと見せていただいてもいいですか?」
「はい・・・あ、でも走りがきだから字が汚くて・・」
「いえいえ。きれいに書けてますよ〜。」 私は半ば強引に彼女からノートを受け取って読み始めた。

ノートには育成地で彼女が見聞きした出来事がびっしりと書き込まれていた。
闇の村と光の村ではケンカが絶えないけど祭の時には両村の対決イベントが一番盛り上がったとか、緑の村で品評会用に育てたトマトがかぼちゃより大きくなったとか、新興の商店街が初売りでバーゲンをしたらみごとに売れ残って、しょうがないからその場で料理して売ったらたちどころに売り切れたとか・・・。
大体がそんな他愛もない日常的なできごとなのだが、当事者のセリフまで詳細にメモってあるので、妙に臨場感が有りおもしろく、ところどころがまんできずに声を出して笑ってしまった。

そういえば以前パスハが「アンジェリークの視察はいつも一日がかりだ」と苦笑交じりに言っていた。
仕事が速いロザリアは朝一番で視察に行っては午後早くには戻ってくる。 アンジェリークは同じような時間帯に視察に出るものの、戻ってくるのはいつも夕方か夜だ。
もちろん長くいればいいというものではない。人を使うことに長けているロザリアは、神官に効率よく質問し、手際よく見て回って、留守中のできごとを神官にまとめさせている。それが神官の能力アップにもつながっているわけだ。
アンジェリークと彼女に似てやや不器用なエリューションの神官は二人であちこち飛び回り、実際に現地レポートをやりまくっていたらしい。こちらで丸一日というと現地では1週間は泊まっている計算になる。泊り込んで直に大陸の人々の声を聞いて回っているのだ。
そういえば土の曜日の晩、ドロドロになってヨタヨタ歩いているアンジェリークを見かけたことがある。
彼女は「転んじゃいました〜沼で〜」なんてニコニコしていて、私も「気をつけてくださいよ〜」なんてヘラヘラ返事をしてしまったが、そうか、そうだったのか・・・。

アンジェリークは恥ずかしそうに、でも私がエリューションに興味を持っているのが嬉しいらしく、じっと私の顔を覗き込んでいる。
ふいに霊感が働いたというのか、私は彼女の正しさを直感した。
「ちょっと待ってください」
私は裏づけを求めて慌てて手元の資料を繰った。じっくりと見直してみるとエリューションの建物1棟に対する人々の幸福度はかなり高い。つまり人口は少ないが、住んでいる人の満足度は高い・・・ということになる。何しろ絶対数が少ないので見落としていたのだが、これは大きな発見であった。
「うーん。アンジェリーク。貴方の考えは決して間違ってはいないし、それに実に興味深いと思いますよ」今度は私は心からそう思っていた。
「ほんとですか!」彼女の顔が嬉しそうに輝く 。
「ですが、建物の数で試験の結果が決まる以上、このままではあなたの負けになってしまいます。それはちょっと残念な気がしませんか?」
「それは・・・。」彼女は口篭もっている。
「こうしませんか?今度の視察の時に私も一緒にエリューションに行きましょう。実際に現地を見て、それでもしかしたら幸福度を上げると同時に建物も増やせるようないい考えが浮かぶかもしれません」
ちょっとした思いつきで出た言葉だったが、私はこの思いつきに満更でもない気持になった。
この興味深い仮説を裏付ける何かが得られるかもしれないし、育成で大きく出遅れているアンジェリークを助けることができるかもしれない。

私とアンジェリークは次の土の曜日、一緒に視察に行く約束をした。 しかし、その機会は予想外のアクシデントにより思っていたより早く訪れたのである。

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