0. あなたに言えないこと
秋が近づいている・・・・。
日の曜日、私はアンジェリークを屋敷に残して、ひとりジュリアスの私邸を訪ねた。
一人で抱えていていい問題ではないし、いざ相談するとなると、やはり彼以外に相談相手は思い当たらなかった。
「珍しいな。そなたが私の私邸を訪ねてくるとは・・・」
館の主は休日だというのに仕事をしていたらしく、デスクの上には彼らしい几帳面さで書類が整然と積み上げられていた。
「ええ。たまにはあなたとゆっくり話をしたいと思いましてねー。」
何と切り出して言いのか分からないままに、私は曖昧に笑って見せた。
「それで・・・『ゆっくり』と、何を話したいのだ。わざわざ世間話をしに私邸まで来たわけでもあるまい。」
せかされて私は苦笑した。普段ならせっかちだと思うところだが、今日は助かった。
実際持って回った言い方のできるような話題ではなかった。
私は言葉を選びながら、切り出した。
「まだ確信があるわけじゃないんですけど、これはどうもあなたには相談しておいた方がいいような気がして・・・。危険が迫っているような気がするんです。この宇宙に、徐々に、ですが・・・。」
「どういうことなのだ。」
ジュリアスの表情が険しいものに変わった。
私はジュリアスにシャンユンとヘイロンの最後の言葉を語って聞かせた。 「『お前には手に入れられない』と言われたものが欲しかった」彼らは二人とも、そう言っていたのだ。
「するとつまり、何者かが彼らの心の中の欲求を刺激して呪縛をかけ、悪行に走らせた、と、そう言いたいわけか?」
「まあ、すごく単純に言ってしまえば、そういうことです。 言ってしまえばカンみたいなもんなんですけど、それを聞いたときにいやーな気持になったんですよ。とても邪悪なものを感じたんです。」
「しかし、そなたが言うような悪しき力が働いているとしたら、陛下がお気づきにならないというのはおかしくはないか?」
「それなんですけどねー。敵も案外気が付いていて煙幕を張っているような気がするんですよ。」
「煙幕?」
私は記憶を手繰りながら言葉を続けた。
「シャンユンは黒い力を持っていましたが、それはそんなに強力な、人を傷つけるようなものではありませんでした。ヘイロンに至っては、黒い力のようなものの存在は一切感じられませんでした。動いているのはすべて普通の人間なのです。彼らは自分達は巧妙に背後に隠れて、普通の人間を使って人間同士の間の感情を操って争いごとや破滅をもたらそうとしているのではないでしょうか?
私が関わった2件の事件は、いずれも主星から遠く離れた辺境地域で起きました。陛下の力が及び難いところから徐々に突き崩していこうとしているのかもしれません。・・・・憶測、ですけど。」
そう。これはみな憶測、というか私のカンのようなものに過ぎなかった。
根拠が乏しいだけに、他人に言うべきかどうか私も迷っていた。
取り越し苦労で済めば、それに越したことはない。ただ、手遅れになるのだけは防ぎたかった。
「分かった。私も杞憂に過ぎないことを望むが、用心しておくに越したことはない。辺境での事件を集中的に調べさせよう。明日王立研究院に行く。そなたも同行して欲しい。陛下にも念のため、このような調査を行うということは申し上げておこう。」
「分かりました。」
「このことは補佐官には・・・・アンジェリークには言ったのか?」
ふと、ジュリアスの口調が穏やかで労わるようなものに変わった。
「いいえ。」
「言わぬ方が良かろう。」
「私も、そう思います。」
ジュリアスは身重のアンジェリークに余計な心配をかけないように気遣ってくれている。その気持がありがたかった。ジュリアスだけではない、守護聖と補佐官として初めて聖地で子供を持つことになる私達のことを、同僚達はみな暖かく見守ってくれていた。
私は礼を言って、ジュリアスの館を後にした。
夕方の柔らかい日差しの中、落ち葉を踏みしめながら、私はまたあなたのことを考えていた。
アンジェリーク。
今まで生きてきて、私が自分のものだと胸を張って言えるのはあなただけ。 あなたは私がこれまでずっと足りないと感じていて、だけど自分で要求することすらできなかったものを、全部この手のひらに載せてくれた。
10年前、無理やりもぎ取られるようにして失ってしまった暖かい家庭というものを、あなたは再び魔法のように私の目の前にもたらしてくれた。
そして数ヵ月後にはそこにまた新しい天使がやってくるのだ。
この幸せを大事にしたい。決して失いたくない。
いつかこれまで以上の試練が私たちに訪れたとして、私はあなたを守ることができるだろうか?あなたを、家族を、友人を、宇宙を守っていくことができるのだろうか?
私は首を振って不吉な考えを払いのけた。
確かなことは何もない。思い過ごしである可能性が高いのだ。 今、できることをやって、それ以上は考えるのは止めよう。
彼女に不安な顔を見せてはいけない。 彼女は今とても大切な時なのだ。
アンジェリーク。
私は不安を追い払ってくれる守護天使の姿を頭に思い描いて家路を急いだ。
もうすぐ、この子に会える。
子供の名前はもう決まっていた。
男の子の名前を考えて欲しいと言ったら、ルヴァは例によって何10冊も本を読んで、数日後、私にこう言ったのだ。
「ユーリはどうですか?」
「ユーリ、ですか?ステキ。きれいな名前ですね」
ユーリ。その名前は地下道で見たあの透き通るような少年のフンイキにぴったりだった。
「どうやって決めたんですか?」と聞くと、ルヴァは照れたように笑った。
「私の故郷の、ごくごく良くある名前なんです。主星で言うところの『太郎』みたいなもんですかね。芸がないんですけど、本で見たのは、どれもあまりしっくり来なくて・・・・・。」
ユーリ・・・・。
もうすぐこの子に会える。その日がとても待ち遠しい。早くこの手で抱いてあげたい。
だけど、その反面、この子が私の中で成長するに連れて、私の中にはひとつの消せない不安が育ち始めていた。
あの日、地下の坑道でルヴァを守ろうとして翼を広げた時、私のサクリアははっきりと尽きていた。 自分でもありありとそれを感じた。 だけど、どうしてもルヴァを守らなきゃならないとそう思ったときに、別の力が働いたのだ。
手のひらから湧き上がってヘイロンの拳銃を曲げた時のあのサクリアは緑色だった。
ルヴァの、地のサクリアにとてもよく似ていたけど、ルヴァのとは違った。
あの時の緑の光は柔らかくて透き通るようでルヴァのサクリアの重厚さの替わりに新緑のような若々しさと幾分の危なっかしさがあった。
ルヴァは既に守護聖としては年齢の高い方に入っていたけれど、ルヴァのサクリアは全く衰える気配はなかった。むしろ年齢とともに調和が取れて、その効果は上がってきているようだった。サクリアと年齢の関係はありそうでなさそうで、30代半ばくらいまで守護聖として在籍した例もないわけではないし、人によっては10代で退籍する人もいるのだ。
もしかしたら、この子は・・・・・ユーリは・・・・。
だとしたら、私たちは・・・・そしてこの子は・・・・・。
考えたくない。
考えたくなかった、そんなこと。
「アンジェリーク」
耳元で不意にルヴァの声がして、私はびっくりして振り向いた。
「どうしたんですか?ぼうっとして」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事してました。いつ、帰ってきたの?全然気が付かなかった。」
「少し庭にでも出てみますか?風が気持いいですよ。」
「はい。行きます。」
「ころんじゃいけないから、私につかまって・・・。」
ルヴァはごく自然に私に腕を差し出して、私はごく自然にその腕にすがった。
ルヴァの腕はとても温かかった。
緑色のサクリアのこと、ルヴァにはまだ話していない。
人一倍「家族」というものに思い入れのあるルヴァは、今では私以上にユーリとの対面を切望していた。
ルヴァはとても幸せそうに見えた。
ルヴァには言いたくない。
一点のかげりもなく、この子を迎えてやって欲しい。
私の杞憂に過ぎないかもしれないし、そうであって欲しい。
「大丈夫ですかー?またぼうっとして。」
「あっ。ううん。なんでもないです。ちょっとおなかすいちゃったかも・・・。」
「じゃあ、もう戻りましょうか?そろそろ晩御飯ですし・・。」
私はルヴァに向かって笑顔でうなずいた。
憶測に過ぎないことで悩むのは止めよう。
ごめんねユーリ。あなたのことでこんなに悩んだりして・・・。
ひとつだけ言える事はね。
ユーリ。
あなたのこと、お父さんもお母さんも、とってもとっても愛しているのよ。
とっても、とっても・・・待っているからね。
早く会いたい。
ユーリ。あなたに・・・・。
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