1.私達の天使

Luva

早いものでユーリが生まれてそろそろ3年の歳月が経とうとしている。

生れ落ちたその瞬間から、ユーリはとかく私達夫婦の心配の種だった。

妊娠8ヶ月目、早産で生まれたユーリは、母親の胎内を出た直後、自分で産声を上げることが出来なかった。
生まれたての赤ん坊にとって「泣く」という行為は、初めての自立的な呼吸活動で、それができないということは即、死を意味する。
ユーリはまさしく、一度は死にかけた。

担当の若い医師は咄嗟に生まれたばかりの子供の足首を持つと逆さに吊り上げて、思いっきりお尻を叩いた。 ショックを与えて、気管を開かせようとしたのだが、それでもユーリはぐったりとしたまま泣き出そうとはしなかった。医師がついにあきらめて子供を降ろそうとしたそのとき、ベッドの中で異常を感じて体を固くしていたアンジェリークが、半身を起こして、恐る恐る赤ん坊に呼びかけた。

「・・・ユーリ?」

その瞬間だった。

ユーリはようやくひとつ小さく身震いをすると、か細い泣き声をあげ、ささやかな生命の主張を始めたのだった。

忘れもしない。5月8日、午前11時28分。
私たちのユーリの誕生だった。


保育器を出て、やっと我が家に迎え取ってからも、ユーリからは少しも目が離せなかった。
ひっきりなしに高熱を出し、ひきつけをおこし、発疹を出し、お乳をあまり飲まず、飲んだら吐いてしまい、もうあきれかえるくらいの虚弱さだった。
私達夫婦は何かあるたびに二人して青くなって右往左往し、看病で幾晩も徹夜した。
健康面だけはアンジェに似て欲しかったのに、ユーリはどちらかと言えば体力が無く腺病質な私の血筋を色濃く引いてしまったようだった。

その代わり、妙なところがアンジェに似ていた。
人並みに走れるようになると同時に、ユーリは母親譲りの突飛な性格を発揮しだしたのだった。

最初は月見の宴の時だった。
聖殿の池の端に宴席を張って、みんなで月見の宴を催すことになったのだ。
最初はユーリを連れて行く予定ではなかった。
陛下の「あら、連れていらっしゃいよ。私も会いたいわ」のひと言で、急遽ユーリもお相伴に預かることになったのだ。
もともとおとなしくて行儀のいい子だったんで、そんなに心配はしていなかった。 同僚達は子供が珍しいらしく、ユーリはたちまち、あちこちで引っ張りだこになった。 アンジェに似て人なつっこいユーリは、親切にされて気を良くしたらしく、ひたすらご機嫌だった。

そして、リュミエールが
「ほんとうに、きれいなお月さまですねえ・・・・」と言ったその瞬間。
ユーリはいきなり母親の腕をすり抜けて走り出すと

トポン

と音を立てて、池の中に飛び込んだのだった。

あたりは突然、上へ下への大騒ぎになった。
「ユーリっ!ユーリ!」
「落ちたのかっ!」
「医者だっ!医者を呼べ!」
「誰か!ロープを!」
「ボート!ボート!」

結局、ユーリはすぐさま池に飛び込んだランディによって救い出された。

「どうしてこんなことを!」と、叱り付けると、ユーリは泣きじゃくりながら
「お月様があったの・・・・・取ってあげようと思ったの」と、そう言った。
つまり、ユーリは、リュミエールに優しくされたのが嬉しくて、リュミエールにお月様を取ってあげたかったのだそうだ。


家でのお茶会の時にはオリヴィエがターゲットになった。
テーブルをはさんで私と話しに熱中していたオリヴィエが、ふいに
「ちょっと、ユーリ。ひっぱんないでよ、首がしまるじゃない・・・・」
と後ろを振り向いたその瞬間、
・・・・・・・ オリヴィエの声が絶叫に変わった。

「すき・・・きらい・・・・すき・・・・きらい・・・・・」

そう言いながら、ユーリはオリヴィエのおろし立てのストールからオーストリッチの羽を必死になって1枚1枚むしりとっていたのである。

これはアンジェリークのせいだった。その日の午前中お茶会の席を飾ろうとユーリを連れて花を摘みに行ったアンジェリークは、ついでにユーリの前で花占いをして見せた。たまたまそこにあった花の花弁は6枚で、何回やっても「きらい」で終わるもので、アンジェリークは例の芝居がかった仕草でユーリの前で盛大にがっかりしてみせたらしい。
これは明らかにアンジェリークが悪い。なんで花びらの数を数えてからやらないんだろう?奇数でなきゃ意味が無いって、 ちょっと考えれば分かりそうなものなのに・・・。

とにかくユーリは、最後を「すき」で終わらせて、母親の落胆を何とかしたいと思ったらしい。
最後の1枚をひきぬいて
「すき!」と、自分に向かってにっこり微笑まれた瞬間、オリヴィエは気絶寸前になっていた。


今年に入ってからはこんなことがあった。
家に帰るなり、
「おとうさあああん!おかえりなさあああいー!」と叫びながら、ユーリが階段の上から降ってきたのである。

あれは・・・・あの時は、もう死ぬかと・・・・心臓が止まるかと思った。
何とか走って受け止められたからよかったものの、そのまま尻餅をついた私は腰を強打して1週間起き上がれなかった。
「こうやれば飛べるんじゃないの?」ユーリは私の胸の上に乗ったまま、両手をばたばたさせて、困ったような顔で私に聞いた。



「どうしてまた元気で健康なところは似ないで、こういう突飛なとこばかりあなたに似たんでしょうねえ」
私が愚痴っぽく言うと、アンジェはアンジェで不本意そうに頬を膨らませた。
「えー?何でも試さないと気がすまないトコは、ルヴァにそっくりですよー。」
「・・・・・・・・・・。」

確かに・・・・そうかもしれない。

要するにユーリの中では私の好奇心とアンジェの突飛な行動力が奇妙に融合してしまっているらしい。おまけに私に似て体が弱く、アンジェ並に衝動的だった。
普段、なまじ聞き分けが良くておとなしいだけに、いつ何を仕出かすか予測もつかない。 まるで小さな爆弾を抱えているようだった。



だけど・・・・・。
ユーリはとても可愛かった。
とてもとてもとても、可愛かった。

こぼれるような愛くるしい笑顔で「おとうさん」と舌足らずに呼びかけられると、それだけでもう、胸が疼くくらいに愛しかった。

それもそのはずで、この小さな砂糖菓子のような体には愛だけが詰まっているのだ。
このあどけない小さな生命体は、私とアンジェのふたりの愛情から生まれた。
人間の一番優しい、清らかな愛情から生まれてきて、周り中から注がれる愛情だけを食べて生きている天使なのだから・・・。

私達の愛しい、大切なユーリ。

多少体が弱かろうが、とんでもないことを仕出かそうが、実はそんなことはどうでもいい。なんだっていいのだ。
とにかくユーリは、私達の天使だった。
ユーリは、神様が私達に授けてくださった、もっとも素晴らしい、かけがえのない宝物だった。

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