00.背中


何も持たずに生まれてきて、砂風に吹かれさまよう
やがて自らの欠片と
めぐり合い、重なって、満ちたものとなり
いずれまた自らの欠片を残して
還っていくのだ
生まれ来た場所へと、何も持たずに・・




<Luva>

遺跡の発掘を生業としていた父は、たまに旅先から出土品を家に持ち帰ることがあった。炉辺で黙々と修理をしている父に幼かった私が「欲しい」とねだると、父は手を止めて顔をあげ・・・そして、笑って首を横に振った。

「よくお聞き、ルヴァ。この世に自分のものなどは何一つない。ご先祖様が残してくださったものをみんなが借りて使っている。大事に使って、後の者たちに残してゆくのだよ。だから何か物を欲しがるなんていうことは、実は馬鹿げたことなのだ。」

そうして父は、目の前の出土品を眺めながらポツリと呟くように言った。
「どんな金持ちだろうと、王侯貴族だろうと、生まれた場所に還る時は何も持ってはいけない・・・。」

「あなた、ルヴァにはまだ難しいですよ・・・・」
苦笑する母に、父は厳かに首を横に振って言った。
「真実を知るには、五つでも早過ぎないし百でも遅すぎやしない」

父は寡黙な人だった。叱る時には言葉より先に手が飛んできた。褒めるときも言葉ではなく、ただ深くうなずいてくれた。言わなくても父が何を怒っているのか、何を認めてくれたのか、ちゃんと分かる気がした。叱られるのは怖かったし、褒められれば誇らしさに胸がふくらんだ。



聖地から迎えが来たのは十五の時。何の前触れもなく、突然のことだった。
大人達の幾晩もの会議の果てに、私の身柄は聖地から来たその使者たちの手に引き渡されることになった。

もちろん、嫌だった。誰かに聞かれれば即座に「嫌だ」と答えただろうけど、あいにく誰も私の意見など聞いてはくれなかった。泣き叫んで駄々をこねれば、あるいは誰か不憫に思って引き止めてくれたかも知れない。だけどその頃から気弱で自己主張の苦手だった私は、親にすらはっきりと自分の気持ちを言えないまま、ただ震えながら誰かが救いの手を差し伸べてくれるのを待っているしかなかったのだ。

いよいよ出発を翌日に迎えたその日になって、私はようやく自分がもう逃れられないことを悟った。
すべてがゆっくりと絶望の色に染まっていった。
ここを離れて一人で生きていくなんて、考えただけでただ恐ろしかった。
自分の性格は自分が一番良く知っている。口下手で、度胸も体力も無くて、村の中でも特に目立たない存在だった私・・・知らない世界にただ一人で放り出されて、こんな自分にいったい何ができるって言うんだろう・・・・・。「宇宙を守る特別な使命」なんて言われても、私にとってそれは人身御供のようなものとしか思えなかった。

――死のう

ぼんやりと、そう思った。
一人で生きてなんかいけるはずがない。
家族と離れるくらいなら、家族のそばで死んだ方がいくらましか知れない。

炉辺にある父の作業袋から見慣れたナイフを手探りで引っ張り出すと、私は息を潜めて玄関の幔幕から外へと飛び出した。

月明かりに照らされて砂丘の上に登ると、私は震えながら懐から出したナイフを自分の手首に押し当てた。
ひんやりとした感触に身震いして思わず目を閉じたその瞬間、私の体は背後から伸びてきた腕に襟首をつかまれ、地面から引きずり起こされていた。
振り向きざまに大きな手のひらがうなりをあげて私の頬を打った。
私はあっけなく今引き剥がされたばかりの地面に転がった。殴られた衝撃で頭がくらくらした。唇が切れて血の匂いがした。

「お前の命はそんなものか?・・・それだけのものか?」
振り仰ぐとそこには厳しい表情の父がいた。

お父さん・・・・。
名前を呼ぼうとして、・・・・それは声にならなかった。
声の変わりに、涙がどっと溢れてきた。

「・・・・泣くな」
厳しい表情を崩さないまま、父が言った。
「お前は男じゃないのか?・・・だったらいつまでも泣いていろ。 」

私は反射的に顔を上げると、袖で横殴りに涙をぬぐった。
なぜだろう・・・こんな土壇場でも父に「女々しい男」と見下げられるのは嫌だった。
私はこみ上げてくる嗚咽を奥歯を食いしばって必死で喉の奥に飲み込んだ。

「ルヴァ・・・」
長い沈黙の果て、父はかみしめるように私に言った。
「迷ったときは顔を上げて星を見なさい。・・・そして、振り返って自分を見るのだ。
自分で考えても分からないことはいくらでもある。神様が創った自然と、ご先祖様が創ってきたお前の中を流れる血・・・・答えは全部、その中にある。

その血を忘れない限り・・・どこに行っても、お前は一人じゃない。」


「・・・・帰ります!」
両手を砂について、泣きながら私は叫んでいた。

二度と戻れない場所に連れて行かれるのだとみんな言っていた。
聖地とここは時間の流れが違っていて、仮に戻れたとしてもその時には知っている人は誰も生きていないだろうと、それも聖地の使者から聞いていた。・・・だけど、私は・・・・・。

「ここに帰ってきます!・・・いつか・・・必ず!」
こぶしを握り締めて、私は叫んだ。


父がゆっくりと私の前に身を屈めた。

父は大きくうなずくと、返事の替わりに私の手の中に何か固いものを押し込んだ。
それは一組の火打石だった。火打石には神が宿ると言われている。家長だけが持つことを許されたものだった。

「一人で歩けるな?」
父の大きな手のひらが、そっと肩に触れた。
「もう、道に迷うんじゃないぞ・・・。」


父は私に背を向けるとゆっくり村の方角に向かって歩き始めた。
私の足元にはナイフが転がったままになっていて、だけど私はもうそれを拾おうとはしなかった。

ゆっくりと顔を上げて満天の星空を仰いだ。
星は何も教えてはくれなかった。
私が知ったのは、ただ、自分が無力であること。
運命に逆らう力などない。


だけど、いつか・・・・


もう一度、袖で涙をぬぐうと、私は父の背中を追うようにして歩き出した。
家族の待つ家へ・・・そして、その先にある茫漠とした未来へ・・・。





15の男にしてはいささか情けないこの昔話を、私は誰にも、・・・アンジェにさえ話したことはなかった。
子を持つ親となった今でも、あの日の父の背中はまだ私にとって遥か遠いもののように思えた。

いつか、追いつけるのだろうか?あの背中に・・・・・。
もしかしたら、一生追いつけないのかも知れない・・・・。



あの日父に手渡された火打石が、実は古い遺跡の出土品だったということを知ったのは
ここに来て、ずいぶん経ってからのことだった。





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