地の守護聖邸執事の憂鬱



私がお仕えする地の守護聖様はそれはそれはご立派な良く出来た方でございます。
こんなにお優しく人情味があって思慮深く聡明で鷹揚な方はそうそういらっしゃるものではございません。
私が旦那様にお仕えするようになってかれこれ十年以上になりますが、年はお若いですけれどそのお人となりには日々敬愛の念を深めるばかりでございます。


実は地の守護聖邸には、常雇いの使用人は私しかおりません。掃除と洗濯は通いの人にお願いしておりますが、他の大概のことは私一人で手が足りてしまうのでございます。
まず、お仕えする上で旦那様ほど手のかからない方はいらっしゃいません。
旦那様は人にかしずかれるのに慣れていらっしゃらないようで、ご自分の身の回りのことは何でもご自分ですいすいとやってしまわれます。
几帳面な方で、出したものは必ず寸分もたがわず元の位置にお戻しになりますし、お召し物もご自分で出して着られて、戻るとご自分で掛けて収納される。洗濯物まで所定の位置に畳んで出してくださるといった念の入りようでした。
(旦那様はどうやら箪笥の中のものを順番にお召しになっているようで、気分で洋服を選ぶといった概念はお持ちで無いようでした。)
食事は好き嫌いなくきれいに食べられますし、実はご自分でも簡単なものならお作りになれるのでした。

老年にさしかかった私のことを何くれと無く労わってくださいますし、これまで長年お仕えしてきて小言めいたことを言われたことは一度たりともございません。


私は旦那様にお仕え出来ることをわが身の幸福と思い、誇りに思ってまいりました。
ただ・・・・ただ、私には、ひとつだけ、そんな旦那様に不満がございました。


旦那様はあまりにもおとなしく控えめで、そのためにお仲間からはいささか軽んじられているような気がしてならないのです。
守護聖様方の中では最年長で、ご経験も長いというのに、守護聖の中で末席とはいったいどういうことなのでございましょう。年下の守護聖様のいくたりかが旦那様を呼び捨てにしてあからさまにおからかいになるのは、私にはどうにも納得がいきませんでした。

なかんずく、あのゼフェル様!

ゼフェル様はお年がお若いということもあって旦那様に甘えていらっしゃる面もあるのでしょうが、しばしば旦那様に聞き苦しいことをおっしゃられることがありました。

「うざってーな。何トロトロしてんだよ。てめーはだから『じじくさい』ってんだよ!」
「じっ・・・・じじ・・・じじじじじくさい?」
旦那様は充分ショックを受けていらっしゃるようではあるのですが、なにぶん話すスピードがのんびりされているもので、言い返そうにも追いつけずにいらっしゃるのです。
「ぜ・・・ゼフェル!あなたのその態度は・・・・あっ、これ、ちょっと、ちょっとお待ちなさい・・・。」
旦那様が何か言い出されようとしたそのときには、本人は窓からさっさと逃げ去ってしまった後・・・ということが何度もございました。
ところがこの人のいい旦那様は、そんなことなどすぐに忘れてしまわれるようで、次に又ゼフェル様が訪ねてこられると
「あ〜。ゼフェルですかー。良く来ましたねー。今、お茶を入れますからねー。」
などと、心底嬉しそうににこにこしていらっしゃるのですから、本当に気が知れません。



そして・・・・・・



ちょうど試験ももう終盤にさしかかった頃から、急に旦那様が挙動不審と言いますか、どうも落ち着かない様子になられたのでございます。
旦那様は急に塞ぎ込まれるようになり、元々口数の多い方ではなかったのですが、ほとんど家では話をされなくなってしまいました。

ある日のこと、書見されているのかとお茶をお持ちしてみると、旦那様は片手に本を逆さに持ち、片手に羽ペンを握り締めて放心した様子で座っていらっしゃいました。
私が「旦那様。お茶をお持ちいたしました。」と湯飲みを置くと旦那様は
「あー。有難うございますー。」と、おっしゃったまま、何を思われたかおもむろに羽ペンを湯飲みにつっこみ、インクつぼを取り上げるや口をつけようとなさったのです。
「だっ旦那様!!」
私が慌ててお止めすると本人もさすがに気がついたご様子で
「あっ・・・わわわわ・・・。」なんて慌てていらっしゃいましたが。本当にあの時はびっくり致しました。
くどいようですが、旦那様は非常に規則正しい生活をされる方で、多少そそっかしいところはあるものの、日常生活に関しては「間違い」や「うっかり」などはめったにない方でした。これは異常事態でした。


今にして思えば旦那様はあの時、恋の病に落ちていらしたのでございます。


その後の旦那様のご様子といったら、見ていてもお痛わしいほどでした。
毎週のように届けられる新刊本は封も切らずに積まれたまま、そうかと言って早くお休みになるかと思えばそうでもなく、夜遅くまで書斎にこもったまま、何やら根を詰めて調べ物をされているご様子でした。急に食欲が無くなられたようで朝食もほんの少ししか召し上がられなくなってしまわれました。おまけに「しばらく夕食は聖殿で頂いてきますので、用意しなくていいですよー。」なんて言い出されたのです。
これが嘘であることは長年お仕えしている私にはすぐに分かりました。
旦那様は私に心配をかけまいと、元気そうなフリをされているだけなのです。



その日私は日用品の買出しに出た帰りに、公園のベンチで一休みしておりました。
どうにも旦那様がおいたわしくて、少しでもお元気が出るようにと新しい種類の緑茶やら、お茶請けやらを買い求めては来たものの、こんなことで果たして旦那様をお慰めできるのかと途方にくれていたのでございます。
そんな時に、私は珍しい方にばったりお目にかかったのでした。

「あら・・・。あなたは確か・・・ルヴァの館の執事さんね?」
声をかけられて振り向くと、それはなんと女王補佐官のディア様でした。
ディア様は補佐官になる以前からお屋敷に遊びに来られたことがあり、補佐官になられたばかりの頃もちょくちょく旦那様のところに相談事にお見えになられたので、何度かお顔を拝見したことがあったのでした。
それにしても女王補佐官に直々にお声を賜るとは恐れ多いことでございます。私は慌てて立ち上がり深々とお辞儀を致しました。
「これは、女王補佐官様・・・・。私ごときにお声をお掛けいただきますとは・・・・。」
ところがディア様はそんな私の手を取られると、
「何を言っているの。昔はルヴァのところでいろいろお世話になったじゃないですか?」と言いながら、気軽に私の横のベンチに腰を下ろされました。
しきりと恐縮する私を無理やり横に座らせると、ディア様はこう切り出されました。
「ところで執事さん・・・どうなさったの?何か悩み事でもあるのではないですか?」
「えっ?」
「下を向いて何か深刻に考え込んでいらっしゃるように見えましたけど?・・・私でよければ相談に乗れないかしら?」
私はふと、ディア様にご相談申し上げようかという気になって参りました。出すぎたことだということは分かっておりましたけれども、旦那様はこうでもしないとご自分の悩みをいつまでも胸の中に溜め込んでしまい、そのうち病気にでもなってしまわれるのではないかと、心配だったのでございます。ディア様は旦那様ご一緒にお仕事されているわけですから、当然私の存じ上げない旦那様のご事情についても理解していらっしゃるはずでした。

「実は・・・・旦那様のことなのです。」
「ルヴァの・・・?」
私はそれから、旦那様がこのところ様子がおかしいこと、日常の細かいことでいろいろ失敗をされること、好きだった読書を一切止めてしまわれたこと、食事をほとんど召し上がらないこと、何やら悩んでいらっしゃるようで、しかもそれを回りに隠そうとしているらしいこと・・・・などを切々と訴えたのでございます。

ディア様はうなずきながら私の話を最後まで聞いたところで、ふうっとため息をつかれました。
「ディア様は何かお心当たりがおありなのですか・・・?」
「・・・無くも無いですけれども・・・。」
「それはいったい?」
「・・・・あの人もかなり無器用な人ですからねえ・・・。」
ディア様は独り言のようにこうおっしゃると、私のほうを向き直りました。
「分かりました。私から一度それとなくルヴァに話してみましょう。しばらくは、心配でしょうけれどもルヴァのことはそっとしておいてあげてね。もしかしたら・・・・、すぐに、『すごく』元気になる・・・かもしれません。」
ディア様はにこやかに笑って帰っていかれました。ディア様には何かお考えがおありのようでした。


そして数日後、旦那様はいつにもまして青ざめた表情で聖殿からお帰りになりました。
帰るなり旦那様はそれでも笑顔を作ると私にこうおっしゃったのです。
「あのー。急なんですけど、私は明日は休暇をいただいて一日休養をとることにしたんですよ。ですから、あなたも明日はお休みしていただいて構いませんから・・・・。」
この時は私はどうにも心配ではあったのですが、ディア様の『そっとしておいてあげてください』という言葉を思い出して旦那様のお申し出を受けることに致しました。


そして、明けて翌々日―――。
私が出仕いたしますと、すべてが変わっていたのでございます。
朝食の用意を整えて、声をお掛けしようと寝室に上がっていくと、すでにベッドはきちんと整えられていてご本人はいらっしゃいませんでした。
なんと、旦那様は書斎で書見をされていたのでございます。
旦那様が読書をされている姿を見るのは本当に久しぶりの気がいたしました。
私が声をお掛けすると旦那様はそれはもう幸せそうににっこりと微笑んで「あー。すみませんねー。ちょっと早く目が覚めてしまったので本を読んでいたんですよー。そろそろ降りていこうかと思っていたんですけどねー。」と、こうおっしゃいました。本当に久しぶりに見る旦那様の晴れ晴れとした笑顔でございました。


旦那様がお出かけになった後で、さて片付けをして回ろうとすると・・・・・。洗濯籠にバスローブが二着きちんと畳まれていたのでございます。

二着・・・・一晩でなぜ二着・・・?

私は怪しい胸騒ぎが致しました。これは、もしかしたら・・・・。
旦那様のプライベートを詮索するなど使用人としてはあるまじきことではありますが、それでも私は、今朝の旦那様のご様子とこのことの関連性を考えずにはいられませんでした。


私の予想は現実となりました。


数日後、旦那様は朝早くからお出かけになったかと思うと、すぐにお客様を連れてお帰りになりました。そのお客様は私も何度か町でお見かけしたことのある女王候補のアンジェリーク様でした。
いつも溌剌としていて公園でも気軽に子供達の遊び相手になってさしあげているアンジェリーク様は私どもの中でも評判でした。

アンジェリーク様はいつもの制服姿ではなく、とても可愛らしいフリルのついたワンピースをお召しになっていて、旦那様はそんなアンジェリーク様を実に嬉しそうにご覧になっていらっしゃいました。
そう、そのときの二人の互いに見詰め合うまなざしを見て私はもう100%確信いたしました。

旦那様はあの日アンジェリーク様に告白されて、アンジェリーク様はそれを受け入れられたのだ。それで旦那様の悩みは雲散霧消して、このようにあっという間に元気を回復されたのだ。

私は涙が出るほど感動いたしました。実は私は旦那様が生涯独身ですごされるのではないかと密かに心配していたのです。読書三昧で女性に全く関心のなさそうな旦那様のことですから充分有り得る事に思われました。
ちまたの女性達がオスカー様やジュリアス様、リュミエール様に黄色い声をあげるのを耳にするたびに、その見てくればかりで男の値打ちを測ろうとする軽薄さに内心忌々しさを感じておりました。
男性としての責任感、懐の広さでは旦那様に叶うお人がいるものですか、ところがこのアンジェリーク様はちゃあんとそれを見抜かれたようでございます。さすがは女王候補、人を見る目が違います。
私はいそいそと最上級のお茶を出し、お茶請けはとりあえずありあわせの和菓子を用意した上で、家内に伝言を飛ばして最上級のケーキを買いに行かせました。

お茶を用意して、お持ちしてみると・・・・・。
あきれたことにこのお二人、甘い睦言を交わしているかと思いきや、思いっきり本や資料を広げてあーでもない、こーでもないと勉強会じみたことを始めているではありませんか。
私は絶句いたしました。旦那様・・・いくらなんでもそれは・・・・・・。
私は舌打ちしたいほどじれったいのを堪えて、
「旦那様!」恐れ多くも旦那様に対して、厳しい目配せをお送りいたしました。
「は・・・はい。」使用人に対しても腰の低い旦那様は、慌てて部屋の中にアンジェリーク様を残して廊下まですっ飛んでいらっしゃいました。
私は心を鬼にして旦那様にご意見申し上げました。とても黙っておられるものではございません。
「旦那様。いくらなんでも、あれはまずうございます。」私は声をひそめて申し上げました。
「なっ・・・何がでしょうか?」旦那様はきょとんとしたご様子で、しかし声だけは私に合わせてひそひそ声になられました。
「年頃の娘さんにデートで勉強をお教えになる方がいらしゃいますか?おしゃべりをなさるとか、お写真でもみせて差し上げるとか、何かもっとなさりようがございませんか?」
「はああ。なるほど・・・。写真ねえ・・・。それは考えてもみませんでした。」
「旦那様っ!」旦那様のあまりにものんきなご様子に、私はつい声を荒げてしまいました。
旦那様はあきらかに私の剣幕にひるんでいらっしゃるご様子で、僅かに後ずさりなさりながらこうおっしゃいました。
「でっ・・・ですが、今日はアンジェリークが勉強を教えて欲しいと言い出したんですよー。」
「はあ?」
「ええ、高校の途中でここに来てしまったので、普通の勉強もちゃんとしておきたいって言うんですよー。」

小声で言い争っている私達の気配を察せられてか、アンジェリーク様がひょっこりとドアから顔を出されました。
「どうしたんですかー?」
「いえね、執事さんが勉強ばっかりじゃあなたが退屈するんじゃないかって心配してるんですよー」
「そんなことないですよ。ルヴァ様教えるのすっごく上手ですし、おもしろいですよ。」
「お世辞を言っても駄目ですよ。この単元が終わったらテストしますからねー。」
「えええええ?」


・・・・・・・・そのお二人の見るからに睦ましげなご様子に、私はあっさりと自分の心配が杞憂に過ぎなかったことを悟りました。
要するに旦那様が稀有な方であるのと同様に、アンジェリーク様もそれを理解できる優れた女性だということなのでございます。凡人の腹でお二人のお気持を量るのは間違いでございました。私は失礼な差し出口をお詫び申し上げて慌ててその場を退出いたしました。

キッチンに戻ってきた私は、自然と頬が緩んでくるのをどうすることもできませんでした。これはいよいよもってお二人の仲は「ホンモノ」ということでございます。
旦那様が身を固められて、アンジェリーク様がこの館の奥様になられる。お二人の間にお子様が恵まれればこの館もどんなにか賑やかになることでしょう。その日もそんなに遠くは無いような・・・・・これは嬉しい胸騒ぎでございました。



next

創作TOPへ