今思うと、なぜそのときそんな大胆なことをしたのか、思い出すことができません。
でも子供なりに、小母さまの青は、ただの青ではなく、
涙や悲しみを連想させる色だということを感じていて、小母さまの美しい顔から
その影を取り除きたかったのですわね。
その扇が小母さまにとって特別なものかどうか、どんなに貴重で珍しいものか、
大人ならば当然考えそうなことは何一つ考えず、根付の銀細工が、
籠にとらえられた蝶のような形をしているのを見つけて、
やはりこれは<悲しみの扇>だった、小母さまをひとつでもこうした悲しいものから
解放できて良かった、そんなことしか思わなかったのです。
私が仕立て屋に持ってこさせたのはあざやかな真紅のシルクでした。
それを身にまとった小母さまは、本当に美しく幸福そうで、私も嬉しくて嬉しくて、
<女王さまのように>美しい小母さまのまわりを飛び跳ねていました。
けれどそのドレスが仕立てあがる前に小母さまはカタルへナ家を去って
しまわれたのです。
小母さまが出て行かれたのはおそらく深夜のこと。そう思うのは夢うつつに
小母さまの声を聴いたから・・・・・・
―――ロザリア・・・・・・可愛いロザリア。わたくしの扇を返してちょうだい。
そっとゆすぶられて半分目を開けると、けぶるような金の髪が優しく私の頬をなで、
小母さまが私の顔をのぞきこんでいるのが見えました。
―――だめ・・・・・・
―――あれはここには置いていけないわ。あなたが言ったとおり、
あれは<悲しみの扇>なの。だから、わたくしに返してちょうだい。
私は夢の中にいるような気分で、枕の下に隠した扇をきゅっと握り締めました。
―――だめ。あれを持っていると、小母さまが悲しい顔をするから。
―――わたくしは、わたくしの手で悲しむ人々を救えなかった。
だから永遠にその悲しみを引き受ける責任があるの。<悲しみの扇>はその象徴なのよ、
わかってちょうだい、ロザリア。
―――いつかわたくしが女王さまになったら、この宇宙から悲しみをなくしてみせます。
だから、おばさまにあの扇は返しません。
小母さまは肩をふるわせました。泣いているようでした。
―――小母さま・・・・・・?
―――何でも・・・なんでもないの、ロザリア。可愛いロザリア。・・・・・・
それでは扇はあなたに持っていてもらっていいかしら?そして約束してちょうだい。
その悲しみの色が重荷になったときはいつでもすぐにそれを捨てると。
―――約束、約束しますわ・・・小母さま・・・・・・
私の言葉は半分あくびとなって消えました。抗いがたい眠気が全身に覆いかぶさってきて、
私は目をあけていられませんでした。
―――おやすみなさい、ロザリア。
額に、涙にぬれたあたたかいキス。
それが、小母さまの顔をみた最後でした。
小母さまがかつてこの宇宙の女王だったことのある人だと知ったのは、
そのすぐあとのことでした。
わたくしが、この宇宙から悲しみをなくしてみせます。
小母さまへのその言葉は幼い子供のただの怖いもの知らずの発言だったかもしれません。
けれど女王候補にえらばれてこの聖地にきてからは、
その言葉はずっと私のなかで神聖な誓いとして響き続けていました。
私は頑固者で不正や悪は絶対に許さない。だから、きっと、
皆に慕われる優しい女王などにはなれない。それでも私は不正や悪が弱い者たちを
苦しめることも絶対に許さない。
そうして私はいつの日かきっと、この宇宙から悲しみをなくしてみせる。
そうして、小母さまにもう一度会いたい。会って、今度こそ、
幸福な笑顔を見せて欲しいと、その思いが、厳しい育成試験を受ける上での励みであり、
支えでもあったのです。―――それを、失くしてしまうなんて。
まるでお前には人々の悲しみを引き受ける器量などない、と宣告されたような気分でした。
10年、いいえそれ以上、肌身離さず持ち歩き、
幾度も留め金を取り替えては大切に使い続けてきたのに、昨日に限ってなぜ・・・・・・
大切なものを失くす瞬間というものは、いつも突然に訪れて、
どんなに気をつけていても意味がありません。ものにも人にも、
一緒にいられる時間はあらかじめ決まっていて、人間はその宿命には
あらがえないのかもしれません。そうは思ってもあきらめがつかず、
私は一晩中あるはずもないのに衣装箱の底までさらって扇を探しつづけていました。
「お嬢様。・・・・・・お嬢様!」
いつのまにうとうとしていたのでしょう。着衣のまま、
ベッドにもたれかかるようにして私は散らかった部屋の中で眠っているところを
ばあやに起こされました。
「なあに・・・・・・ばあや。」
「これが郵便受けに・・・!これはお探しのお嬢様の扇ではございませんか?」
「ええっ?」
私は飛び起きてばあやのが差し出した青い扇を受け取りました。
「間違いないわ・・・・・・この香り、わたくしの伽羅の扇だわ・・・・・・!」
「ようございました。きっとどなたかが拾って届けてくださったのですね。」
「ええ、嬉しいわ。」
ばあやはにこにこしながらうなずいて部屋を出て行ゆきました。
明るくなった窓辺に座って扇を広げた途端、あるものに気がつきました。
小さな袋が扇の根元に結び付けてあったんですの。
「・・・・・・?」
そっと結び目をほどいてあけてみると、それは見覚えのある銀の根付でした。
籠目のなかにとらわれて、打ちひしがれている蝶の姿。
(それでは、これは・・・・・・)
私は扇の根元に付けられた、まだ新しい無垢な輝きを放つ銀細工をみつめました。
同じような籠目に同じような蝶。それでも何かが違う。
その蝶は胸を張って大きく羽をひろげていました。
囚われた悲しい蝶ではなく、自らの意思で飛ぶことの出来る蝶々。
誇り高く羽をひろげ、宇宙をその輝きで満たそうとしている・・・・・・
(・・・・・・宇宙?)
そう、その新しい銀細工の玉は籠ではなく、星々の輝く宇宙に見えました。
私が、それがただのうぬぼれでなければ、これから守り、育ててゆく宇宙。
「だれが、こんな・・・・・・」
言いかけて、その言葉のばかばかしさに気がつきました。
こんな見事な細工のできる人物は飛行都市中、いえ、宇宙中探したところで
一人しかおりませんもの。
ゼフェル様。鋼の守護聖で器用さを司る・・・・・・
(まあ、どうしましょう)
私はなぜかどきどきしてしまう胸をおさえながら、今はもう<悲しみの扇>では
なくなった伽羅の扇で赤くほてった顔をあおいでおりました・・・・・・
fin.
■■■後書き・ロンアル■■■
ゼフェルのパートを書いたロンアルです。
こんなめちゃくちゃなストーリーに、ステキなロザリアで応えてくださった睡蓮さんに感謝!
時間も全然なかったのに!すごく感動的なストーリーになったとカンゲキしてます!
ギャグもシリアスも、オールキャストも書ける睡蓮さんってステキ!
今回は本当にご参加有難うございました!
■■■後書き・睡蓮■■■
ロンアル様が送って下さったすばらしいゼフェル様サイドのお話に刺激されて書いたお話です。
ロザリアが落とすブルーの扇のイメージがとても繊細に描写されていたので、 「・・・・・・欲しいわ。ねえお父様、パパン、お願ぁい。」 と言いそうに、いえ、これは独り言ですわ。ほほほ。
・・・・とにかく、ゼフェル様の視点を通しての扇の描写がとてもお見事でしたので、イメージがわぁっと浮かんできて、あっという間に書き上げてしまいました。
本当に、ロンアル様が作品の中に残しておいてくださった道しるべを辿っていくと、自然にお話ができてしまう、そんな感じで、とても感激いたしました。
どんなときにでも誇り高いロザリア。そのロザリアが身にまとう青は悲しみの色ではなく、この宇宙を包み込む愛の色であってほしいと望みます。