act.1 夢色天使
10月20日。 その日は、特別な日だった。 私は随分前から、その日はオリヴィエ様の執務室を尋ねるつもりで準備していた。
10月20日は・・・・今日はオリヴィエ様のお誕生日なのだ。 気が付けば何時の間にか、オリヴィエ様の執務室を訪ねることが多くなっていた。
オリヴィエ様は、こういったら失礼かもしれないけれど、あまり守護聖然としていらっしゃらなくて、とにかく話し易い。真面目なことから下世話なことまで、なんでも気軽に話せる、とても頼りになる方なのだ。
もちろん、最初から何でも話せたというわけじゃなくて、正直言って最初はちょっぴりニガテだった。 オリヴィエ様のあの人並みはずれた迫力ある美しさは、見てるだけで眩しくて、お訪ねするにも何やら気が引けた。それに、オリヴィエ様はたまにだけど結構厳しいことをおっしゃることがあって、叱られたり、どやされたり、やんわりとたしなめられたり・・・そんなことが続くと、さすがにちょっとめげることもあった。
だけど、私は すぐに気が付いた。 オリヴィエ様は、決して、誰にでも厳しいと言うわけではなかった。 オリヴィエ様はとてもバランス感覚の優れた大人の方で、本当は誰とでも波風を立てず、うまくやってゆくことができるのだ。
だけど本当に信頼している人に対しては、オリヴィエ様はいつも本音で話をした。 そして、オリヴィエ様が一番厳しくするのは、やっぱり自分自身に対してだった。
自分に嘘をつかない人。それが分かると、オリヴィエ様との間の垣根は自然に取り払われていった。 分かってくるとオリヴィエ様はとても情の厚い、優しいかただった。
注意深く見ていると、オリヴィエ様は、私を叱った翌日は、必ず、それとなく私の様子を見に来てくださる。それは聖殿に続く道だったり、公園だったり、お昼のカフェテラスだったり、いろいろだったけど、お互いを見つけて、私が笑顔で挨拶をすると、ちょっぴり安心したような、嬉しそうな表情をされるのだ。
強くて、信頼できる人、それが私のオリヴィエ様への印象だった。 失敗して落ち込んでいる時も、いつも励ましてもらった。
「くよくよすることないよ。それはね、失敗じゃない。出来ないんじゃない。まだ途中なんだよ。明日できるかもしれないじゃないか?」 そんな風に笑顔で励まされるといつも力が湧いてきた。
その日、オリヴィエ様の執務室に到着して、いざドアをノックしようとすると、 (あれ?開いてる・・・・。)
私は、執務室のドアが細めに開いているのに気が付いた。 ドアの中を覗き込むと、部屋の主は、執務室の椅子にゆったりと腰をおろしたまま、開け放した窓の外を眺めていた。
私は思わず、その姿に見とれてしまった。 今日のオリヴィエ様は何だかいつもと少し様子が違った。 いつもの色とりどりの華やかな衣装じゃなくて、珍しく軽くて柔らかそうな黒いジャケットをさらりとはおって、その姿でリュートを抱えていらしたのだ。
開け放した窓から吹き込む風が、オリヴィエ様の紫のストールを揺らしていた。 オリヴィエ様はきれいに染めた爪を緩やかにリュートの胴に当てて、爪弾くでもなく、窓から外を見ていらした。
その姿はまるで風に吹かれてまっすぐに立つ花のようだった。艶やかで、毅然としていて、とても、きれいだった。 「ん・・・・アンジェリーク?どうしたの?」
気配に気がついて、オリヴィエ様が振り向いた。 振り向いた時には、もうオリヴィエ様は、いつもの見ているだけで心が浮き立つような明るい笑顔に戻っていた。
「ごめんなさい、ドアが開いてたんで・・・。」 私が首をすくめて謝ると、オリヴィエ様は屈託なく笑って言った。 「どうぞ!お入りよ。」
「あの・・・今日、オリヴィエ様のお誕生日ですよね。私、ローカロリーのケーキを焼いてきたんです!」 私の言葉にオリヴィエ様は嬉しそうに目を細められた。
「へーえ、覚えててくれたんだ。ありがと!じゃ、せっかくだから一緒にいただこっか?ちょうど、いいハーブティーがあるんだ・・・・。」 「あっ、あたしがやります。」
私はキッチンに向かおうとするオリヴィエ様に向かって慌てていった。ここでお茶を入れてさし上げるのは、初めてではなかった。親しくなるうちに段々、ここの執務室も私にとって勝手知ったるものになっていた。
私はオリヴィエ様が握っている楽器に目を留めた。楽器を演奏されることがあって、中でもリュートがお好きだと以前聞いたことがあった。恥ずかしいけど私はリュートの演奏って聞いたことがなかった。
「オリヴィエ様、リュートを弾こうとなさってたんじゃないですか?弾いてください。あたしも聞かせていただいていいですか?」 「いいけど・・・古い曲ばっかだよ。退屈しちゃうんじゃない?」
「さあ、それは聞いてみなきゃ分かりません。」 私が笑いながら答えると、オリヴィエ様もくすっと笑って、「おやおや」と言いながら、再びリュートを抱き上げられた。やがて、紫に染めた爪が弦の上を蝶々のように跳ねて、艶やかで古めかしい響きが微妙な音韻を奏で出した。
私はお茶の準備をしていた手を止めて、誘われるように、その豊かで、どこかしら切ない響きに耳を傾けていた。
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