イヴの奇跡 1



雨が降っていた。

以前は聖地に雨が降るなどめったにないことだった。ところが最近では、月に数回雨が降るのは決して珍しいことではない。 試験も終盤に差し掛かっている・・・・・陛下のお力も、既に尽きるときを迎えようとしているのだ・・・・。

私はひとつため息をついて、手にした本の表紙を閉じた。
調べ物に時間がかかって、ずい分遅くなってしまった。
立ち上がりかけたその瞬間に、誰かが執務室のドアをノックする音がした。


入ってきたのはずぶ濡れのアンジェリークだった。
「どうしたんですか、アンジェリーク?こんな夜中に・・・・。 今、タオルを持ってきますから・・・・。」
背を向けようとした私の袖をアンジェリークが捕えた。

アンジェリークの瞳はまっすぐに私に向けられていた。
その真剣でどことなく悲しげな表情に、私はふと何が起こったかを悟ってしまった。

「たった今、女王陛下にお会いして来ました。」
震える声で、しかしはっきりとアンジェリークが言った。

「私が、時期女王、だそうです。」

私は自分まで声が震えそうになるのを必死で、抑えた。
「そうですか・・・・・おめでとうアンジェリーク。あなたならきっと素晴らしい女王になれますよ。私も・・・・応援してますから。」

「女王陛下から聞きました。今、この宇宙がどうなっているのか・・・・・。」
まっすぐに私を見たまま、アンジェリークは言葉を続けた。
「私、宇宙を守りたいんです。大好きな人がいるこの宇宙を、私の大好きな人を・・・・・・私、絶対に守ります。」

アンジェリーク・・・・。

彼女の名を呼んだつもりだったが、かすれて声にならなかった。

――愛しています。あなたを愛しています。

心だけが悲鳴のように叫んでいた。

「これ・・・・受け取ってください。」
アンジェリークは金色の髪をまとめていた赤いリボンをするりとほどくと、私に差し出した。
私はのろのろと手を差し出すと、雨ですこし湿ったそのリボンを受け取った。
「明日からは、もう要らないから。・・・だけど・・・・・だけど、今日までの私を、ルヴァ様には覚えていて欲しいんです。」
アンジェリークは、もう一度私を見上げると、食い入るように私を見つめて、そうしてにこりと笑った。
「お世話になりました。・・・・・・さようなら・・・・・・・。」
一つ、頭をさげると、アンジェリークはそのまま振り返らずに、身を翻してドアの向こうに走り去って行った。

扉がしまったその瞬間、私は全身の力が抜けたようになって、床に座り込んでしまった。
彼女の靴音が消えてゆく。
彼女が私から遠ざかっていくのをはっきりと感じながら、私にはどうすることもできなかった。
床に落ちた雫は私の涙だった。

私は・・・・泣いていた。


その日が、私がアンジェリークの姿を見た、最後の日だった。



NEXT
創作TOPへ