静かなるガーディアン2
ヨカナーンが遠征から戻ってきた。
彼の顔を見るのはこれが二度目。
ファルクと共に復命に現れたヨカナーンに、私はその後すぐに行われることになっていた幕僚会議に同席するように求めた。
「主だった幕僚達はみな出席することになってるわ。急で申し訳ないけどいい機会だし、あなたも参加して頂戴。」
「・・・分かりました」
ヨカナーンは言葉少なにうなずいた。
ここに来てすぐに遠征に出た彼は、当然ながらファルク以外の幕僚達とは面識が無い。我が軍の内情についてもまだ充分な説明を受けたわけではない。参加を命じたのは、彼にちょっと情報収集をさせるくらいのつもりだった。
・・・・その反面、私は内心彼が会議で何か発言するのではないかと、妙な期待を抱いていた。
珍しく、私は、会議に臨んで自分が少し緊張しているのを感じた。
その日の会議の議題は、今我が軍が総力を注いでいる大規模な軍備拡大計画についてだった。
それは私自身が中心になって長年進めてきたプロジェクトだった。
予算も、内容もスケジュールもようやく固まりつつあって、いよいよ次は担当を割り振って具体的な導入に当たろうという段階だった。
私はできればヨカナーンにも主要なパートを担当して欲しいと思っていた。
彼の知識や思慮深さは、この方面でも大いに力を発揮してくれそうに思えた。
ほとんど反対意見らしい反対意見も出ずに、会議は粛々と終わった。
ヨカナーンは書類に目を落としたまま、一度も発言しようとはしなかった。
その姿は、まるで話題そのものに興味が無いようにすら見えて、それが私には意外でもあり、やや不満でもあった。
―――まあ、仕方が無い。
彼は遠征から戻ったばかりだし。会議に加わったばかりで話の全容がつかめないのは無理も無いことだった。
会議が散会した後、私は塔に戻る道を、一人で歩いていた。
仕事が立て込むとつい塔の部屋にこもりがちになってしまう。
たまに外に出たときにそぞろ歩きをするのは、私のささやかな楽しみのひとつだった。
ふと足を止めて、雲が夕日に赤く染まっていく様子に見入っていると、
「陛下・・・・」
後ろから呼びかける声がした。
振り向くとそこには、ヨカナーンの背の高い姿が夕日を受けて一人たたずんでいた。
「・・・・ルビアと呼びなさいって言ってるでしょう?」
笑って言う私の言葉に、ヨカナーンは少し困ったような笑顔でうなずいた。
「あの・・・・少し、いいですか?」
「・・・どうしたの?」
「やめられませんか?さっきの計画。」
突然発せられたその言葉に、私は思わず耳を疑った。
「・・・あなたも同席していたでしょう?閣議で決定したのよ?反対意見があるなら、どうしてあの場で言わないの。」
「あれじゃ勝てません。」
私の言葉を半ばさえぎるように、ヨカナーンは断定的な口調で言ってのけた。
「確信があります。1年持ちません。あっという間に資金が底をついて、王立軍からも見放されるでしょう。そうなったら、平和なときならいざ知らず、たいした産業も資源も無いこの国はあっという間に列強に征服されてしまいます。」
「・・・・どうしてそう言い切れるの?」
「簡単です。よそも同じことを考えているからです。 もっと強くて、もっと資金力のある国が、そろいもそろって兵器拡大に力を注いでいるんです。同じことをやったんじゃ大きいものが、強いものが勝つに決まってます。同調してはいけません。ここにしかないもので戦うんです。」
「ここにしかないもの・・・?」
ここで初めてヨカナーンは私に向かって微笑んだ。
「あなたを中心にした、団結と信頼です。」
そういいながらヨカナーンは書類入れから分厚い書類の束を取り出して、私の目の前に差し出した。
「提案書です。・・・今日のレジュメを事前にいただけていればもっと早めに仕上げたんですけど・・・まだ未完成です。」
私は無言でそれを受け取ると、表紙を開いた。
そこには今カイゼルに必要とされる改善項目とその実施案、スケジュールや予算といった内容が、あきれるくらいの細かさでびっしりと書き込まれていた。
外交政策、経済政策、産業政策、人材育成と登用、教育、軍事・・・・・。 広範囲にわたる項目の中で軍事関連の短期計画と書かれたその項目には、兵器に関する費用はほとんど現状維持分くらいしか見込まれていなかった。
提案書は軍事予算の大半を情報収集と高性能な測定器の導入に当てるべきだと主張していた。
それだけではない。戦術そのものの大改革を要求していた。
指揮官から一兵卒まで、戦闘時の行動ルールの大半をマニュアル化する。己の経験や能力によらず、各部が正確なデータの元に緊密な連携を保ち、決まった手順を忠実に遂行することで確実に勝利を重ねていく・・・・・・。
私は唖然として立ち尽くしていた。
こんな戦い方は聞いたことが無い。こんなことで勝てるはずが無い。
だけど・・・・・。
「あなた、本当に自信があるの?・・・こんなことで勝てると思ってるの?」
「勝てます。・・・少なくとも、負けません。 死傷者は半数以下に、コストは三分の一以下に減らしてみせます。」
「素人のクセに・・・何を根拠に。」
「命をかけます。」
ヨカナーンが発した思いもかけぬ激しい言葉に、私は一瞬、言葉を失った。
「私の生命を担保に・・・私にすべてを任せていただけませんか?」
ヨカナーンは我を忘れたかのように、私の両肩に手をかけた。
触れられた瞬間、私は思わず震えた。
むき出しの肩にじかに触れた手のひらが、息が止まりそうなくらい熱かった。
「お願いします。全部私に任せて、私の言うことを聞いてください。 私はどうしても、・・・絶対に、負けるわけにはいかないんです。」
熱い視線が私を捉えた。
激しい視線に絡めとられたように、私は動けなくなっていた。
この人の言っていることはめちゃくちゃだった。
新参者の分際で、一国の女王を捕まえて、すべてを任せろ?・・・言うことを聞け? 成果が上がらなかったら死んでも構わない・・・?
「・・・・離して・・・・。」
肩に触れた手を、私はなぜか奇妙な残り惜しさを感じながら振り払った。
怒鳴りつけるかわりに私がとった行動は、懐から通信機を引っ張り出して事務官に電話をかけることだった。
「閣僚達を議場に呼び戻して。全員・・・大至急。」
通信機を切ると、私はゆっくりと息を整え、ヨカナーンの方に振り向いた。
「あなたに統率権を与えるわけにはいかないわ。あなたにはまだ何の実績もない。」
「けっこうです。あなたが、私の意見を聞いてくれれば同じことです。あなたの言うことなら皆無条件で従う・・・。」
「ヨカナーン・・・・。」
彼が会議の席で何も言わなかった理由がやっと分かった。
言えなかったのではない・・・彼は私の顔を立てたのだ。
私に正面から反対するのではなく、自分で意見を撤回しろと言っているのだ。
「私に必要なのは勝利だけ・・・それだけです。」
そういうと、ヨカナーンはくるりと背を向けてさっさと歩き去ってしまった。
この後の会議に出席するつもりはないらしい。閣僚達の説得は私に任せたつもりになってるようだった。これじゃまるで、どっちが上司か部下か分かりはしない・・・。
唇をかみ締めながら、なぜか悔しさはなかった。
かわりに心の中を、これまで感じたことの無い不思議な甘い気持ちが支配していた。
『私に任せてください』
彼の言葉が耳の中でいつまでも繰り返されていた。
誰かに・・・・そう言って欲しかったのだ。いつも・・・・ずっと・・・。
肩の重荷をそっと取り除けて欲しかったのだ。
―――私は再び唇を噛んで顔を上げた。
いずれにせよ・・・ 私は自分の責任で彼の言葉を容れた。
彼の言うとおりだった。目をそむけるわけには行かない。弱小国カイゼルは普通のやり方をしていたのでは生き残ってはいけないだろう。
彼に任せる。・・・そのために起きる揉め事なら自分が一手に引き受ける。
彼が必要とする情報もすべて手に入れる。資金も調達してみせる。 そして・・・責任はすべて私がとる。
たった20分で閣議決定を覆されて長老達がどんな顔をするか・・・でも不思議と気が重くはならなかった。
一人じゃない。
私は一人で戦っているんじゃない。
振り返った私の視線の先に、夕日の中をゆっくりと遠ざかってゆくヨカナーンの背中が見えた。
―――頼りに思える人がいるから・・・・。

(ルビア / イラスト:ちゅなちゅな様)
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