宇宙最強のマフラー (3)
私はこれ以上ほつれが進行しないように、マフラーをたたんでそっと小脇にかかえると、床にちらばった書類をそのままに、底冷えのする星空の下を歩き始めました。
さて、誰に針と糸を借りるか・・・・それが問題です。
時間が時間ですし、聖殿にも他の施設にも、もう誰も残ってはいないでしょう。
針と糸というからには女性の方が持っている確立が高そうですが、さすがに陛下や補佐官殿をこの時間にお訪ねするわけにも行きません・・・・・。
ふと、もうひとりの女王候補のアンジェリークの温和な顔が思い浮かびました。
どうやら彼女に借りるのが一番差し障りがなさそうです・・・・。
「あの・・・・夜分に申し訳ありません。針と糸をお貸しいただけませんか?」
アンジェリークは夜間に唐突に押しかけた私を、嫌な顔もせずに迎え入れてくれました。
「今、持って来ますね。・・・・・あの、何色の糸がいいですか?」
「あの・・・これに近いものはありますか?」
私はごそごそと抱えていたマフラーを差し出しました。
「あぁ〜、これっ!」
マフラーを見たとたんに、アンジェリークはくすくすと笑い出しました。
「どっ・・・どうしたんですか?」
「レイチェルったら、夏の頃から毛糸を買い込んでずーっとこれを編んでて、「どなたに差上げるの?」って聞いても絶対教えてくれなかったんですよー。そぅかぁー。エルンストさんだったんですね。」
「えっ?・・・あの・・・・夏から?」
私はこの想像を絶する言葉に愕然としました。
夏からといえば・・・もう5、6ヶ月は経っています。
ちょうど レイチェルが私の研究室に時々来るようになったその頃から、ということになります。
・・・・・彼女は半年もこれに費やしていたというのでしょうか?
「ええ。急に『編物を教えて欲しい』って言い出して。『育成で時間がないから早めに始めて毎日計画的に作るんだ』って言って・・・・・。でも、レイチェルったら、何でもできるくせに編物は妙に不器用で・・・・これで5本目くらいかなぁ・・・?それでもここ2日くらい、徹夜してたんですよー。」
「そう・・・・なんですか?」
「でも良かった!ちゃんとエルンストさんにもらって貰えたんですね!・・・・あ〜あ、でも、やっぱりほつれちゃったんですねー。レイチェルが見てないところでこっそり直そうなんて、エルンストさん、優しいですね。」
(違うんです・・・・・。) そう言おうとして、私は言葉が出ませんでした。
この事態をどう説明したらいいのか・・・・私自身どう受け止めていいのか分からなかったのです。
「貸してください。すぐ縫いますから。」
愛想良く手を差し出したアンジェリークに対して、私は反射的にマフラーを自分の胸に引っ込めました。
「いえ!・・・その・・・・針と糸、貸していただけますか?あの・・・やり方を教えてください。自分で直しますから・・・・。」
自分でも理由は良く分からなかったのですが、彼女が半年もかけて作ったこのマフラーを、何だか他人に触れさせてはいけないような、そんな気がしたんです。
「エルンストさん・・・・。」
アンジェリークはそんな私を見て、にっこりと微笑みました。
彼女は私をキッチンのテーブルに連れて行くと、マフラーを縫い合わせるやり方を一つ一つ手順を追って、説明してくれました。
裁縫なんてするのは初めてでした。一目ずつ教わって、時間をかけて縫い終わった時には、縫い目の部分はゴツゴツして目も当てられない状態になっていましたし、私の指はバンソウコウだらけになっていました。
ですが、これはマフラーですから、真ん中の部分は首に巻いてしまえば分かりません。とにかくこれで、マフラーの形状自体の崩壊は何とか食い止めることが出来たわけです。
私は大きく安堵のため息をつきました。
「よかった・・・・・。」
思わずコトバがもれました。
ほっとすると、今度は急に、走り去っていったレイチェルのことが気になりだしました。 隣からは物音一つせず、なんだかレイチェルはまだ戻っていない様子でした。
「あの・・・レイチェルは・・・?」
「見てきますね。」
にっこり笑って席を立ったアンジェリークは、心配げに眉をひそめて戻ってきました。
「レイチェル、戻ってないみたいです。・・・もう11時なのに、どうしたんだろう・・・?」
「私が探してきますから・・・・あなたは心配せずに休んでください。お騒がせしてすみませんでした。」
私は心配そうなアンジェリークを宥めると、礼を言って寮を出ました。
外に出ると、また少し風が厳しくなっていました。
身震いをして、私は自分がコートも着ずに飛び出してきてしまったことに気が付きました。
とても寒くて・・・・・ 私は、立ち止まって、手の中にあるマフラーを首に巻いてみたんです。
そこで
・・・・・分かりました。
編目が不ぞろいだとか、真ん中で縫い合わせてあるとか、そういうことはマフラー本来の機能には一切関係なくて、要するに・・・・・要するに・・・・・それは、とても暖かかったのです。
まるで、母親の腕に抱かれているように
誰かに優しい目で見守られているように
体ばかりか、心まで、染みとおるように・・・・とても暖かかったのです。
もう一つ、 分かりました。
レポートの提出期限に遅れるのは初めてでしたが、でも考えてみれば、遅れたからといって実害は無いのです。 私が決めた期限に遅れるだけのことですから、私がどこかで取り戻せばいいだけのことなんです。
・・・・大事なことではない。
それで何がどうなるわけでもない。
そんなことは全然重要ではないのです。
レイチェルにくらべれば・・・・。
彼女がいまどこで、どんな気持ちで、何をしているのかに比べれば、そんなのゴミくずみたいな、どうでもいい、取るに足りないことでした。
やっと分かりました。 くだらないのは私のほうでした。 時間を無駄にして、何も分かっていないのは私のほうでした。
彼女に甘えていたのです。何時の間にか、いい年をして・・・・。
彼女の気持を考えもせずに、無理やり私に合わせることを押し付けていたのです。
何時の間にか私は星空の下を必死になって走っていました。
庭園の噴水広場、森の湖、図書館、聖殿・・・・。
汗だくになって、必死で走って、彼女の行きそうなところはすべて探したつもりなのに、・・・しかしレイチェルの姿は、どこにも見当たりませんでした。
レイチェル・・・・・レイチェルは・・・・・
私はどうしようもなく焦りはじめていました。
レイチェルは、泣きながら、どこに行ってしまったんだろう?
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