宇宙最強のマフラー (2)
レイチェルは時々私の研究室を訪ねてくるようになりました。
私はよほど仕事の詰まっている時を除いてはいつでも彼女の来訪を歓迎しました。
実際、彼女と話すのは仕事を抜きにしても充分刺激的で楽しかったのです。私には彼女の知識を補足する経験があり。彼女には若さから来る柔軟で新鮮な発想がありました。
時には会話が育成を離れて、宇宙の生成全般に及ぶこともありました。話に熱が入りすぎて、ふと気が付くと夜になっていた、というようなことさえありました。
これは新鮮な驚きであり、喜びでした。
年齢が離れていようと、男女の差があろうと、尊敬すべき対象は尊敬すべきなのです。お互いの知的好奇心を刺激する存在でありえるのです。
それにレイチェルは、世間の普通の女性一般とは、どこか違っているような気がしました。
感情的にならず、余計ことを言わず、話すことは論理的で、時間を無駄にしない・・・・・。
彼女は比較的私と価値観が近いのではないかと思いました。
私のことを良く理解してくれているように思えました。
だから、あの晩、私は戸惑ってしまったのです。
あなたが急に、私が理解に苦しむような、分けのわからないことを言い出したとき・・・・。
「ねぇ、エルンスト・・・・今、ちょっといいかな? 」
夜に入って彼女が突然研究室に訪ねてきたとき、私はあいにく非常に切羽詰った状況にいたのです。
明日が提出期限のレポートをチェックしていて、基礎データにミスがあるらしいことを発見してしまったのです。 原因が突き止められずに私はやや焦っていました。
データを収集した研究員は、提出直後に休暇に入ってしまっていました。
これは一晩がかりでデータを総チェックすることになりそうだ、とちょうど覚悟を決めたところだったのです。
「すみませんが、今日は取り込んでまして・・・。明日にしていただけませんか?」
私は申し訳ないですが、今夜は断ることにしました。
普段のレイチェルなら、すぐに状況を察してくれるのですが、その日はどうしたことか、彼女はすんなり帰ろうとはしませんでした。
「10分・・・ううん、5分でいいんだけど・・・・。」
「すみません。その5分10分が惜しいくらいなんです。」
私は彼女が相手なら、このくらい率直な言い方をしても構わないだろうと思ったのです。ところが彼女はそれでも引き下がろうとはしませんでした。
「今日でなきゃ、だめなの・・・・。」
レイチェルはいつになくはっきりしない態度でした。
私はレイチェルがどうにもあきらめる気配をみせないので、思わずため息をついて、彼女に席を勧めました。
「分かりました。ご用件は・・・・? 」
するとレイチェルはいきなりニコっと微笑んで、こんなことを言い出したのです。
「あのね?エルンスト、今日、何の日か知ってる・・・?」
早く用件を済ませて欲しいのに、わざわざ質問してくる彼女の真意が、はっきり言って私にはわかりかねました。
「すみません、分かりませんし興味もありません。手短に言ってもらえないでしょうか?」
「しょうがないなぁ・・・えっとね・・・・ メリー・クリスマス!!」
「えっ?」
レイチェルが悪びれた様子もなく、嬉しそうにニコニコと口にした言葉に、私は一瞬、どう反応していいのかわかりませんでした。
「知らないの?今日主星ではクリスマス・イヴなんだよ。だから私ね・・・・。」
「すみませんが、クリスマス・イヴだろうが何だろうが、そんな行事、私は興味ありませんし、今それどころじゃないんです。」
今日がクリスマス・イヴだということは、私はすっかり忘れていました。あれは主星を中心とする文化圏の祭事であって、聖地では誰もクリスマスを祝う人などいないのです。覚えていても意味などありませんでした。
「すみませんが、緊急の件でないなら明日にしていただけないでしょうか?」
なぜだか、私はその時自分がかすかに感じた失望や苛立ちを、相手が幼い少女だということも忘れてストレートにぶつけてしまいました。
レイチェルは驚いたように私の顔を見つめたかと思うと、ポツリと呟くように言いました。
「そんな言い方しなくったっていいじゃない・・・・。」
そのときには私も、さすがに大人気なかったかと後ろめたい気持ちになり始めていました。 私はレイチェルに状況を説明しなければと、書類の束をつかんでレイチェルに差し出しました。
「すみませんが、今本当にそれどころじゃないんです。
明日までにこのレポートの数値のミスを探して書き直さないとならないんですよ。申し訳ないんですが、緊急の用でなければ帰ってください。本当に忙しいんです。」
レイチェルはスミレ色の瞳でじっとまっすぐに私を見ていたかと思うと、つかつかと私に歩み寄ってきました。
そして 、私の手から束のままのレポートをむしりとったかと思うと、そのまま物も言わずに重ねたまま、真っ二つに破リ捨てたのです。
レイチェルはそのまま、手にした紙の束を更に細かく引きちぎると床に叩きつけるように投げ捨てました。
「何をするんですか!」
私はあっけにとられて叫びました。
まるで悪夢のようでした。
わけがわからない。
失望と幻滅でめまいがしそうでした。
「どうしてこんなことを・・・・・・。あなたは他の女性達とは違う、もっと理性的な人だと思ってました。私のことも・・・この仕事のこともきちんと理解してくれているんだと、そう思っていたんですよ?」
俯いていたレイチェルは、顔を上げるとはっきりと私を見つめ返しました。
「 ・・・・いけない?」
「えっ?」
「他の人と同じじゃ・・・普通じゃいけないの?」
その瞬間、私は心臓が止まるかと思うくらい驚愕しました。
まっすぐに私を見つめるレイチェルの瞳から、一筋の大粒の涙が零れ落ちてきたのです。
「あなたと、好きな食べ物や音楽や本の話しちゃダメなの?同じ物好きになっちゃだめなの?好きになってもらおうとしちゃダメなの?一緒にクリスマスをお祝いしたいって・・・それってさ・・・・くだらなくって、馬鹿馬鹿しいことなの?研究以外はみんな、・・・・アタシのことなんか、くだらないことなの?」
言いながらレイチェルの見開いた瞳からは、立て続けに大粒の涙がこぼれ落ちていました
「ばかーっ!」
レイチェルはふいに叫んだかと思うと
「あんたなんか、死んじゃえっ!ばかっ!おたんこなす!」
そう言って、持ってきた紙袋のようなものを思い切り床にたたきつけると、くるっと背を向けて、そのまま風のように走り去ってしまいました。
「・・・・・・・・・。」
私はまるで突風が吹き抜けた後のような室内で呆然としてしまいました。
部屋が散らかっているのは一瞬たりとも我慢ならない方でした。
普通だったらすぐにでも片付けにはいるところだったのですが・・・・何しろ、あまりにも突然のことに、さすがの私も動揺して動けませんでした。
床に叩きつけられた袋は、衝撃で僅かに口が開いていて、拾い上げた瞬間そこからすべり出してきたのは、ベージュの毛糸で編んだマフラーでした。
マフラーには1枚のカードが添えられていました。
「メリー・クリスマス!
毎日遅くまで残業して薄着で帰ると風邪引くヨ!これ、使って!
レイチェル」
「レイチェル・・・?」
私には分かりませんでした。どうして彼女が急に怒り出して泣き出したのか?どうして彼女がクリスマスに私にマフラーをくれようとしたのか?
私は無意識に手の中のマフラーを広げていました。
「あっ・・・ああっ・・・!」
私はびっくりして、思わず素っ頓狂な声をあげてしまいました。
広げた拍子に、編目のとんだところから、毛糸がほつれてきてしまったのです。
マフラーは既に真ん中の一段くらいがほどけて今にも二分割されてしまいそうでした。
「こ・・・これは・・・!」
私はうろたえました。
マフラーはエントロピーの法則に忠実に従って、中央部から次第に崩壊を始めていました。この調子で衝撃を与えつづけると、終いには全部解けて、ただの毛糸の山になってしまいそうでした。
さっきのレイチェルの泣き顔が目に浮かびました。
これがただの毛糸の山になってしまったら・・・・彼女は・・・・恐らくとてつもなく傷つくだろう。それだけは想像ができました。
――止めなければ!・・・・・しかしどうやって?
――ほつれを止めるには・・・・?
――接着剤・・・?いや、それでは糸状のものは難しいだろう
――ステープラー?・・・いや、それでは首に巻けなくなってしまう
――止めるもの・・・止めるもの?
――針と糸・・・・・?
――そうだ!糸を止めるのだから、針と糸がいいだろう・・・・・。
ここで私はまたしても難問にぶちあたりました。
ここには針も糸もありませんでした。
衣類は家で脱いだ後と着る前に入念にチェックして、ほつれたところや取れかけたボタンは洗濯に出すときに指示書をつけて修繕してもらうようにしているので、外で取れることなどめったにありません。もともと針も糸も必要がないのです。
要らないものをごちゃごちゃと置いておくのは機能的ではないので、ここには置いてありませんでした・・・・。
マフラーはきわめて危険な状態でした。 私はやむを得ず、夜間ではありましたが外出することにしました。
針と糸を借りるために・・・・・。
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