<夏草の髪飾り1>



ここにいると、今でもあなたの声が聞こえるような気がします。
背の高い書架の向うから、瞳を輝かせてニコニコしながらあなたが飛び出してきて
そして私に聞くんです・・・・・
「ねぇ、ルヴァ様・・・・この本なんですけれど・・・・・・・」



その日アンジェリークが見つけ出してきた本は、私にとってもたいへん懐かしいものでした。
最後にこれを読んだのは一体いつのことだったでしょう?
『夏草の髪飾り』
金文字で刻まれた布張りの表紙に、私は目を細めました。

「ああ、その本は・・・・よく見つけましたね、アンジェリーク」
アンジェリークは私を見ると不思議そうに小首を傾げてみせました。
「ルヴァ様、この本、終わりの方のページが真っ白なんです・・・・」

「あー、それはですね、・・・・この本の作者は途中で書くのを止めてしまったんです。この本は未完のままで出版されたんですよ。」
目を丸くしているアンジェリークに向かって、私はゆっくりと話し始めました。
「この物語は、実は作者自身の身に起こった実話だったんですよ。彼女は恋人と離れ離れになってしまって・・・でもその後もずっと彼の帰りを待ち続けていたんです。・・・・だけど、結局会えなかった。彼は遠い異国で流行り病で亡くなってしまったんです。そして彼女もまた彼の後を追うように、あっけなく病死してしまいました。」
「・・・・・・まぁ。」
小さくつぶやいたアンジェリークの瞳には、早くも大きな涙の粒が浮かんでいるようでした。
「彼女は日記の中で、この物語には幸せな結末を用意してあるのだと語っていました。だけど物語のラストを書いたはずのその草稿はどこにも見つかりませんでした。ずい分時間が経ってから、彼女の遺族が前半部分の原稿を見つけて、あまりにも美しい物語だったので埋もれさせるのは惜しいと出版社に持ち込んだんです。 出版社も何とかこの作品を完成させ、世に出そうとしたらしいのですが・・・・結局、当時の文壇の誰も、この物語に続きを書くことが出来なかったそうです。そして、結局この本は未完のまま、世に出されることになったんですよ。最後の数ページが空白になっているのは『結末はあなた自身が書き加えてください・・・・』って、そんな意味なんだそうですよ」

「・・・・・そうだったんですか・・・・・・。」
ため息混じりにつぶやくと、アンジェリークは今度は私に向かってぐっと顔を上げて言いました。

「あの・・・・ルヴァ様は?」
「え?」
「ルヴァ様・・・・続きは書かれたんですか?」
「さぁ・・・私は読むのは好きですけど、書くほうはさっぱりですから・・・・へたに結末をつけると話を台無しにしちゃいますしね・・・・そのままにしてあるんですよ。」
そうなんですか・・・と、いかにもガッカリしたような顔をするあなたに私は笑いながら言い返しました。
「 ・・・私なんかより・・・・あなたはどうですか?あなただったらこの二人をどうしますか?」
「わっ、私ですか?・・・だっ・・・駄目ですよ、私こそ・・・文才なんかゼンゼンないですし・・・・。でも・・・・・」
「でも?」
「もし書けるんだったら、・・・・ゼッタイ、幸せにしてあげたいです。」
「そうですよねー。私も、そう思います。」
いかにも彼女らしい答えに思わず微笑むと、アンジェリークも釣り込まれたように笑顔になった。

「ねぇ、ルヴァ様・・・・ もし、いつかルヴァ様がこのお話に続きを書かれたら、絶対私にも読ませてくださいね?」
「いいですよ。でも、あなたが書いた時も、ちゃんと私に見せてくれなくちゃいけませんよ?」
「・・・・・・ じゃあ、ルヴァ様、指切りしましょう!」
「ゆびきり?」
「私が住んでたところでは約束の時こうするんです。」
そう言って、アンジェリークは小さな小指を差し出して、すっと私の小指に絡ませました。

   ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます。

彼女が歌うように口ずさむ言葉を、私はほとんど聞いてはいませんでした。
ただ、ほんの少し触れ合った指先が温かくて、愛しくて・・・・・
胸が苦しくて・・・・・
思わずその小さな手のひらを掴んで握り締めてしまいたくなる自分と必死で戦っていたのです。



・・・・・どうしてあんな約束をしたんでしょうね?
多分、私たちは心のどこかで気づいていたんだと思います。
気づいて、そして、認めたくなかったのだと思います。
・・・・・この物語のような別れが、私とあなたにも否応なしに訪れるのだということを・・・・
そしてそれは、決して遠い未来の話などではなく、すぐ目の前に迫っているのだということを。








冷たい風の吹く夜でした。
あなたはたった一人で私の私邸の門を叩きました。

「どうしたんですか?アンジェリーク・・・こんな夜中に!?・・・・・あああ、こんなに冷たくなって・・・・・・今あたたかいお茶を・・・・・」
テーブルに向かおうとする私の袖をアンジェリークが握り締めて止めました。
うつむいたままのその瞳から赤い靴のつま先にポタリと落ちた涙を見て、私は唐突に何が起きたのかを悟りました。

「女王陛下にお目にかかってきました。・・・・私が・・・・女王に決まったそうです。」

「そう・・・・ですか。」
切れ切れに言うアンジェリークの言葉に、私も同じくらいたどたどしく答えました。


「あなたは・・・・頑張ってましたからね・・・・・・きっと立派な女王になると思ってました。」
唇が次々とつむぎ出す、無意味な、からっぽの言葉を、耳はまるで他人事のように聞いていました。
何か言わなければ頭がどうにかなってしまいそうだったのです。

その実、 意外でも何でもない。こうなることは、とっくに分かっていたのです。
想像するのが怖くて先延ばしにしているうちに、その日が来てしまった。・・・・ただそれだけのことなのです。
「がんばってくださいね。・・・・私も、ずっと応援・・・・・・」

ふいにドンと音がするくらいの激しさでアンジェリークは私の懐に飛び込んできました。
金色の髪を震わせて、か細い両腕を私の背中に必死に絡ませて・・・・

「 ・・・そばにいさせてください。」
「アンジェリーク。」
「何にも要りません。朝になったら忘れます。だから・・・・・」
涙でびしょ濡れになった顔を上げて、アンジェリークはまっすぐに私の目を見て言いました。
「明日になったら私のすべては宇宙のものです。今日しかないんです。だから・・・・お願い・・・・・・・。」


「・・・・・・・・・・・・・」


欲望とか、そんなんじゃなくて
私も彼女の言うとおりだと思いました。
この思い、何にも無かった振りなんかできない。今日しかないなら、後悔したくない。
あなたを愛したことは間違いなんかじゃない。
絶対、間違いなんかじゃない。


「・・・・・アンジェリーク」


私は冷たく冷え切った彼女の体を力いっぱい抱きしめると、
抱えあげて・・・・・燭台の火を消した・・・・。


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