<夏草の髪飾り2>
翌日、慌しく戴冠式を済ませて、アンジェリークは女王になりました。
急がねばならない理由があったのです。
前女王の力は既に限界を超えていました。ほとんど気力だけでこの宇宙を支えていたのです。
既に寿命を迎えた宇宙を新しい宇宙に転移させる・・・・その荒業を新女王アンジェリークは見事にやってのけました。
第256代女王、アンジェリークの、新しい御世が始まったのです。
アンジェリーク・・・・・・。
あなたは本当に素晴らしい女王でしたね。
女王と守護聖・・・・立場は変わっても、私たちは日常的に顔を合わせていましたし、二人っきりになる機会だって何度もありました。
だけどそんな時、あなたはいつも私の前でとても自然に振舞っていました。
いつも明るくて真っ直ぐで、凛として雄雄しくて・・・・
あなたが私を見る目には他の守護聖を見る時と何の違いも感じられませんでした。
正直、あなたのそんな態度が辛くなかったと言えば嘘になりますけど・・・・・・
でも、私は知っていましたから。
あの晩のことは決して嘘じゃない。
私なんかよりあなたの方がどれだけ辛いか分からないのだから・・・・・。
少なくとも、あなたの足手まといにはなりたくないと思いました。
守護聖として、私のあらん限りの力であなたを支えていこう。
誰にも悟られずに・・・・・
・・・・そう、自分に言い聞かせてきたのです。
もしあなたが少しでも私に特別な愛情を示して見せたら・・・・私のそんな決心はあっという間に崩れ去っていたことでしょう。
もっともっと、欲しくなって、あなたを独り占めしたくなって・・・・・
自分達だけじゃない、すべてを巻き添えにするのだと知りながら、破滅への道を突き進んでしまったかも知れません。
だけど、あなたはとても強かった。
あなたが 私に対してそんな隙を見せることは、一度たりともありませんでした。
そして宇宙も・・・・
あなたが他の誰かにほんの少し心を移すことすら許さないくらい、切羽詰ってあなたを求めていたのです。

前触れは確かにあったのです。
ある晩、あなたは突然私の執務室を訪ねて来ました。
「陛下?・・・・こんな時間に、どうなさったんですか?」
驚いている私の前で、あなたは笑いながら口元に一本指を立てて見せました。
「しーーーっ。大きな声出しちゃ駄目よ。・・・抜け出して来ちゃったんだから・・・・」
「・・・・・・陛下・・・」
苦笑いする私に、あなたはおどけた表情で片目をつぶって言いました。
「たまには息抜きも必要でしょ?そう思って出歩いていたらここだけ灯りが点いていたのが見えたの。・・・・ルヴァはどうしたの?忙しいの?こんな時間まで仕事?」
「あっいえ・・・・私のはいつもの読書です。」
「・・・・もしかして・・・邪魔しちゃった?」
「いいえー。ちょうど終ったところですから・・・・今、お茶でもおいれしましょうね。」
夜更けの執務室で二人だけのお茶会が始まりました。
あなたは緑茶の碗を手にすると、嬉しそうに室内を見回しました。
「懐かしい、この部屋。・・・・最後に来たのはいつだったかしら・・・・・」
三年前でした。あなたが女王候補として最後にこの部屋を訪れたのは・・・・・・。
言葉に出せなかったのは、言えばまた思い出してしまいそうだったからです。
あの夜を・・・・二人で過ごした、あの切なくて甘美な最後の一夜を・・・・・。
「ねぇ、ルヴァ。お願いがあるんだけど・・・・・」
頬杖をついたまま、彼女が私の顔を見上げて言いました。
「はい。・・・何ですか?」
「あのね・・・・・・・名前で呼んで」
「・・・・・は?」
「名前で呼んで欲しいの。昔みたいに・・・・・ だってぇ、ここ数年、みんな陛下陛下って、誰も名前を呼んでくれないんだもの・・・なんか淋しくって・・・・・」
「名前で・・・ですか?」
「そっ、・・・お願い!」
「・・・・・・・・・アンジェリーク」
「うふふっ、何だか恥ずかしいっ。」
「わっ・・笑わないでくださいよー。こっちの方が照れちゃいますよ。」
あなたが余りにも軽やかに笑うので、私は全く気がつかなかったのです。
あなたがこの夜、どんな気持ちで私の部屋を訪れたのか・・・・なぜ改まって名前を呼ばせたのか・・・・
ちゃんと考えれば異変に気がつけたはずなのに・・・。
私は、ただ嬉しかったのです。
久しぶりにあなたと二人きりで過ごせたことが。
たとえ偶然によるものでも、あなたが訪問する相手として選んだのが他の誰でもなく私だったという事実に有頂天になっていたのです。
「ありがとう。ルヴァ。お茶をごちそうさま。・・・・さぁ、そろそろ本当に戻らないとロザリアにお目玉食っちゃうわ。」
「もう遅いですし、お部屋までお送りしますね。」
「ううん。大丈夫。もうちょっとひとりで歩いてみたいし。」
身軽に立ち上がって自分でドアを押し開けると、彼女はもう一度部屋の中を振り返りました。
「ねぇ、ルヴァ。もう一つ、お願いがあるの。」
「何ですか?・・改まって・・・?」
「ルヴァ・・・・これからもずっと、私に力を貸してね?この宇宙のこと、最後まで見捨てないで・・・・。約束よ?」
「はい、陛下。・・・もちろんですとも・・・・。」
私は勢い込んでうなずきました。もとより、彼女のためなら何でもやるつもりでした。彼女の負担を少しでも減らすためならどんな難問だって逃げるつもりなどない。頼りにしてもらえるならむしろ望むところだったのです。
「じゃあ、はい。指きり・・・・・」
「陛下・・・・何かあったんですか?」
このときになって私はやっとあなたが少し普段と様子が違うことに気がつき始めました。
「うん。実はちょっと、ね。・・・・でも、大したことじゃないし、急ぐことでもないから今度話すわ。今日はもう遅いし・・・・。」
おやすみなさい、と手を振ると、あなたは守備兵に囲まれて薄暗い廊下を歩み去っていきました。
そう・・・・・愚かにも・・・・・・
その時、私はまったく気がついていなかったんです。
切羽詰ったあなたの思いにも
その晩、部屋の書架から1冊の本が消えていたことも・・・・・・・

結局、私たちに彼女が言った「今度」が訪れることはありませんでした。
翌日、新女王を選出する女王試験が行われることが発表され、我々守護聖は慌しく試験会場である飛行都市に移動を命じられたのです。
―――「女王試験」
その知らせを聞いて、私はひそかに胸を躍らせていました。
退位すればアンジェリークはもう女王ではなくなる。
女王でなければ・・・・一民間人であれば・・・・・・
あなたが突然尋ねてきたのも、あんなに嬉しそうにはしゃいでいたのも、それで全部説明がつくような気がしました。
「今度話す」彼女はそう言っていました。
試験が終ったら・・・女王でなくなったその時の話をしようとしているのだと、私は勝手な解釈に胸を弾ませていました。
もちろん、彼女をすぐにでも妻に迎えるつもりでした。必ずイエスと言ってくれるはずだと信じていました。
ただ一度、交わっただけ。その後の三年間、お互いに気持ちを確かめたことも、恋人同士として振舞ったことも、一度もない。
それでも私は信じていたのです。
こっそり彼女のための指輪を買いました。
ロザリアやジュリアスに何と切り出すか・・・・、どうやって周囲を説得するか・・・・・・幾晩も眠らずに考えました。
彼女のためなら故郷に帰る夢も捨てても構わないと思いました。
あなたと一緒なら、主星でもどこでも構いはしない・・・。一緒にいられるなら・・・・・。
だけど・・・・・・
試験が終って戻ったとき
あなたはどこにもいなかった・・・・・・
冷静に考えればすぐに分かるはずのことでした。
いくらサクリアを失ったとはいえ、元女王が現女王と同じ社会に存在できるものかどうか・・・・・
あなたが誰にも行方を知らせずに一人で聖地を去ってしまったと知ったとき、私はほとんどパニックに陥っていました。
もっと早く気がついていれば、何とかなったのかもしれない。
いや、今からでも間に合うのでは・・・・・今すぐにあなたの後を追えば・・・・・
何もかも捨てて、地上に降りよう。
研究院の知り合いに嘘をついて次元回廊の鍵を手に入れることは不可能じゃない。
そしてあなたを探せば・・・・今なら・・・今ならまだ間に合うかもしれない・・・・・・
「―――最後まで、この宇宙を見捨てないでね? 約束よ?――― 」
執務室であなたの言った言葉が、ゆっくりと蘇ってきました。
あなたの言葉の意味が、その時になってやっと私にも分かったのです。
「―――約束よ?―――」
あなたは優しい言葉で私を抜けられない枷にはめたのです。
本当だったらあなたの後を追いたい。誰に何といわれようと構わない。どんな手段を使っても、あなたと同じ時間を同じ場所で生きたい。
それができないならむしろ死にたい。
だって、これだけ待ったのはいったい何のためですか?
触れることも、思いの丈を口にすることも叶わぬままに耐え続けたのは・・・・それは宇宙の為なんかじゃない。
ただあなたの・・・・あなたのためだったのに・・・・・・。
でも、私は・・・・
結局、あなたとの約束に背くことができませんでした。
私は一日も早く自分のサクリアが失われ、聖地から解放されることを切望しました。
もし今任期交替が訪れれば、まだ間に合う。彼女を探し出して、あの晩言えなかった言葉を彼女に伝えられるはずなのです。
私は日々祈るような気持で自分のサクリアが尽きることを願いました。毎日、毎夜、狂おしく祈り続けました。
ところが皮肉なことに私の力は一向に衰えをみせず、焦りの中で一年が過ぎ、二年が過ぎ・・・・・・結局私は15年という守護聖としてはかなり長い方に属するその任期を終えたのでした。
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