<夏草の髪飾り3>



聖地を出た私は、あなたの消息を尋ねてあちこちをさすらいました。あなたは生きていればもう六十かそこいらにはなっているはず。でも、それでもなんでも、とにかくあなたに会いたかった。
会いたい・・・・ただあなたに会いたい・・・・・。
私にはそれしか考えられなかったのです。

5年間、あなたを探してさまよい続けました。
何の手がかりもないまま旅を続けて、さすがに私も疲れてきました。そして、次の目的地に向かう前に、故郷の惑星に立ち寄ることを考えたのでした。


国内線の乗り継ぎで立ち寄った辺境の惑星。
さびれた港町に宿屋はほんの数軒しかなく、そのうちの一軒の前で私は足を止めました。

―――「夏草の髪飾り」

宿屋の名前にしてはかなり奇妙な名前でした。
宿帳に名前を書き込んだとたんに、宿屋のおかみさんが驚いたように小さく息を飲むのが聞こえました。
「お客さん・・・・ルヴァ様とおっしゃるのですか?」
「はい・・・あの、それが何か?」
おかみさんは私の質問には答えず、私の顔を覗き込むようにして、ほとんど棒読みするような口調でこういいました。
「あの・・・・。この宿屋の名前の由来をご存知ですか?」
「さあ・・・・。ただ、この宿と同じ名前の小説がありますね。ちょっと悲しい物語ですけど・・・・何か関係があるのでしょうか?」変なことを聞くものだなと思いながら、私は答えました。


「・・・・・こちらです。」
客室の並ぶ2階を通り過ぎて案内されたその部屋・・・・・・・そこに入ったとたん、私は奇妙な懐かしさを感じました。
宿屋のくせになぜかその部屋は、窓以外の壁はびっしりと本棚で埋め尽くされていたのです。

書架に並んだ本はどれも一度は読んだことがある古いものばかりでしたが、ここ数年旅をし続けてほとんど落ち着いて書籍を手にすることすらなかった私は、引き込まれるようにそこにある本を読み始めました。
本を手にすると時間を忘れるのはいつものことで・・・・・・ふと気がつけば時計の針は真夜中を示していました。

――― コン、コン

誰かが部屋のドアを軽くノックしたのです。
そのノックの音を聞いたときに、私は何かを感じました。

返事を待たずに、細く開いたドアから小柄な人影が滑り込んできました。
きっちりとベールを巻いたその人物は、無言で歩み寄ると、テーブルの上にコトリと音を立てて湯気の立つ茶碗を置きました。茶碗の中身はこの地方には珍しい緑茶でした。
「どうぞ・・・・。」
ベールの人物が初めて発したその言葉を聞いたとたんに、私の体は雷に打たれたように震えました。

「・・・・・・・アンジェリーク。」

私は震える声でやっとのことでそれだけ言いました。

「嬉しい。覚えていてくださったんですね。」
そう言うと、アンジェリークはあっさりとベールを脱ぎ捨てて、輝くような笑顔を見せました。



―――どうして何も言わずに行ってしまったんですか?どうして居場所を連絡してくれなかったんですか?あなたをどんなに探したことか・・・・・、どんなに会いたかったか・・・・

違う・・・・違う・・・・そんな言葉じゃない
私があなたに言いたかったことは・・・・・・・・・



「・・・・・・愛してる・・・・・・。」


乾いた喉からほとばしった言葉は・・・・・
あの日、あなた に言えないままに・・・・ずっと、ずっと、胸の奥に抱え続けていた言葉でした。







堅い木のベッドの上で、私たちは一晩中何度も愛し合いました。
あなたは確かに、あの日、女王になる直前私に抱かれたあの時のままでした。
辛そうにしながらも必死で私を迎えようとするあなたが愛しくて・・・・
私もあなたに少しでも悦びを与えたくて、無我夢中であなたを愛し続けました。

泣きながら何度も口付けて
愛している、と、耳元で囁きあって・・・・・
少しも離れないように、ぴったりと肌を寄せ合って
すべてをまさぐって、触れ合って、確かめて、

夜明け間近になって私はやっとあなたを手に入れました。
あなたが全身を小さく震わせながら、私に縋りつくようにして果てるのを見て・・・・・
私はこれまでにない深い満足を得ました。
生きてきて良かった。待っていて・・・あなたを探して良かった。心からそう思ったのです。



固く抱き合ったまま眠りについたはずなのに・・・・・
目覚めた時、私はひとりでした。

テーブルの上には夕べ彼女が運んできた緑茶のカップが手付かずで置かれていて
その脇には、緑色の背表紙の本・・・・・・
「夏草の髪飾り」が置かれていたのです。
私は何気なくその本を手にとると、階段を下りていきました。


「あの・・・アンジェリークは?」
食堂に下りていった私が宿屋のおかみさんに尋ねると、彼女は一瞬引きつったような表情を浮かべました。
「夕べ部屋にお茶を届けてくれた、金髪の女性は、どこにいますか?」
彼女は怯えたように目を見開いて・・・そして切れ切れに言った
「・・・・・いません。金髪の女性なんて・・・ここは私どもだけです・・・・・・」
「でも、確かに・・・・・・。金髪で緑の瞳で華奢な体つきをした、20代くらいの女性ですよ?アンジェリークと言う名前で・・・・・」
「それは・・・・・ここのオーナーの、名前です・・・・・・・」
「じゃあ、そのオーナーに会わせてください。」

おかみさんは弱り果てたように何度も首を振ると、震える声でこう告げたのです
「・・・・・・死にました。もう三十年にもなります。」
「・・・・・死ん・・・・・だ・・・・・・?」


嘘だろう?
まず、そう思いました。
そんなわけがない。だって夕べ確かに彼女にあったんだから。
彼女も私を覚えていた。人違いなんかであるはずがない。


「私がここに引き取られて五年目のことでした。自殺したんです。もともと『二十七まで生きたくないの』って言ってたんです。意味が分からないんですけど、誰かより年上になりたくないって言ってました。冗談だと思ってたんですけど、そしたら本当にあの日・・・。」

「嘘・・・・・でしょう?」
思わず後ずさった私の目の前に、ひらひらと1枚の封筒が落ちてきました。
私が手にした本、「夏草の髪飾り」に挟んであったもののようでした。
表書きには見慣れたあの人の文字で私の名前が書かれていました。

震える手で封を切り・・・・・・その手紙を読んだとたん、
私は立っていられずに、その場に座り込んでしまいました。


「ただ一人、愛しい人へ
これが最後のお願いです。
もし今でも私のことを愛してくれているなら
この町に、世界で一番立派な図書館を作ってください。
私のために・・・・・。」



力ない笑いが、続けて涙が込み上げてきました。
彼女の言っている事は明白でした。私に生きろと言っているのです。決して後を追うなと。
自分は待てずに死んでしまったくせに、私には死ぬなと、生きろというのです。
彼女は私が逆らえないことを承知で、またしてもこんな無理難題で私を縛ろうとしているのです。

私はもう何も要らない。ただ、あなたのそばに行きたいんです。
夕べのことが夢なのだとしたら、そこから醒めたくなどなかった。
生きてなどいたくない。あなたがこの世のどこにも存在しないのなら、私も存在したくない。
いたって何の意味もない。


「あなたはまた私を置いていくんですか・・・・?」
搾り出すような嗚咽が喉の奥からこみ上げてきました。
「もう、・・・・・・離れたくないんですよ・・・・・アンジェリーク・・・・・・・」

堪え切れない涙が、後から後から流れ出て
床に落ちた本の開いたページを濡らしてゆきました。




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