act.10 初めて触れた、手 Angelique 今日は聖地のお祭りなのだそうだ。 レイチェルを誘ってお祭り見物しようかと思ったのだけれども、朝一番で部屋を訪ねたらレイチェルはもういなかった。 ひょっとしたらどなたかとデートしているのかも知れない。 一人でぼうっと広場を歩いていると、向こうからリモージュ様が手を振りながら走っていらした。 「おはよう、アンジェリーク。あの・・・この間はごめんなさいね。」 「いいえ。楽しかったです。お二人とも仲が良くて、羨ましいです。」 私は素直にそう言った。3日近く泣き明かしたけど、傷が大きかった分逆に早く塞がった気がする。あれだけ徹底的に可能性を否定されると、かえってすっきりあきらめがついた。むしろ早く気が付いてよかったのだ。リモージュ様みたいないい人に申し訳ないことをしてしまうところだった。 昨日ルヴァ様の執務室に行ってちゃんと普通にお話できたときにはほっとした。ハツコイは実らないものというけれど、いい経験をしたと思わなきゃ。誰かが「試練がいい女を作る」って言ってたし・・・・。 (ん・・・・?) 私はふとあることに気がついた。舞台は式典の最中で、守護聖様方はずらりと壇上に居並んでいるのに、その中にオスカー様の姿だけが見当たらない。というか、壇上にはオスカー様の席そのものがなかった。 「あの・・・・・オスカー様は?」 「ふふ。あそこ、よ。」 リモージュ様が指差した先には、会場のはるか向こう側できびきびと衛兵を指揮するオスカー様の姿が見えた。 いつものにやけた姿はかけらもない、厳しい、颯爽とした姿だった。 「オスカー様ってね、ふざけたことばかり言ってるけど、本当は生真面目な人よ。この式典も彼だけ夕べから詰めて警備の最終チェックをしてたみたい。とにかく、仕事には一切手抜きをしない人ね。」 リモージュ様は振り向くと私ににっこりと微笑みかけた。 「そうだ。オスカー様への伝言をお願いできないかしら?『今日は陛下ももうお引取りになったので、復命は明日で構いません。今日はゆっくりお休みください・・・・』って、そう伝えてもらえる?」 私がうなずくと、リモージュ様はまたにっこり笑って 「じゃ、私、陛下のところに行かなきゃならないから・・・。」そういうと手を振って小走りに走っていってしまわれた。 私は人ごみを縫って警備局の方に向かうと、ちょうど足早に歩いてきたオスカー様をつかまえて手短に伝言を伝えた。 「そうか、分かった。有難う。・・・ちょっと待ってくれ。」 オスカー様は私を待たせたまま近くの副隊長みたいな人を差し招いた。 「陛下はつつがなく戻られたか?」 「はい、先ほど宮殿に到着されました。」 「そうか。では、すまないが、1時間ほど、ここを開けてもかまわないか?」 「もちろんです。隊長殿、ゆうべからずっとお休みになっていらっしゃらないではないですか?行事はすべて終わっておりますし、ここは我々で大丈夫ですから、隊長殿はもうご休息なさってください。」 「じゃあ、すまないが1時間だけ・・・何かあったら通信機で連絡してくれ。」 「はっ。」 きびきびとしたやりとりの後、オスカー様は再び私のところに戻ってきた。 「祭の見物はしたのか?」 「いえ・・・まだ・・・・。」 「じゃ、行くぞ。」 「行くぞって・・・・・どこへですか?」 「・・・・まず、さし当たっては、その格好だな。」 オスカー様は私をせきたてるように通りに出ると、1件の洋品店に先に立って入っていった。 そのまま、あっけにとられている私をよそにさっさと服を選び始める。 「これと、これと、・・・・これだな。アクセサリーはいらないが・・・・髪にこれをかざるといいだろう。」 店員さんによってたかって奥の部屋に連れて行かれた私は、半ば強制的に制服からたった今オスカー様が選んだ服にすっかり着替えさせられた。オスカー様の選んだ服は、意外なことにどちらかといえばちょっぴり少女趣味っぽい服だった。白いレースで縁取られた柔らかな生地が肌に心地よかった。あんまり女の子らしい服になじみがなかった私・・・。でも本当は心のどこかでは着てみたかったのだ、こういう服・・・・。 着替えが済んで出てくると、オスカー様はいつの間に買ってきたのか黄色いフリージアの小さな花束を私の手ににぎらせた。 「君にぴったりだろう?可憐で・・・・ちょっぴり小生意気そうで。」 「小生意気で悪かったですね!」 オスカー様は慌てたように1歩さがって身構えた。 「なんですか?」 「いや・・・・正拳突きが来るかと思って・・・・」 「そんなこと、・・・・・しません!」 オスカー様はにやりと笑って見せた。私のパンチを怖がってるわけじゃなくて、単に私の手が早いのをからかっているのだ。 「さあ、時間がないぞ・・・」 オスカー様がかっさらうように私の手をとった。 思わず「セクハラ」って叫ぼうかと思ったけど、今度は声が出なかった。 オスカー様の手のひらは、とっても大きくて暖かかった。剣ばかり握っている手のひらはすこし固かった。 初めて触れる、父親以外の男の人の手のひらだった。 オスカー様に案内されて町を流していると、ふいに前方が騒がしくなってきた。 そこだけ人垣ができていて、どうやら誰か酔っぱらって殴り合いのケンカをしているみたいだった。 オスカー様はちょっと首をかしげると 「ちょっとここにいてくれ、動くなよ。」 私にそういうと、さっさと人垣の中に入っていった。 「ああ、やめろやめろ、せっかくの祭に無粋な真似をするもんじゃないぜ。」 そういいながら輪の中に入っていくと、オスカー様はつかみ合っている二人の男を事も無げに引き剥がした。 「なんだお前は!」 襲ってくる男の拳をオスカー様はいともあっさりと手のひらで受け止めてみせた。殴りかかった方は拳を手のひらでつかまれただけで動けなくなっている。ここまでが流れるような動作だった。 もう一人の男がオスカー様めがけて殴りかかってくる。今度はオスカー様はひょいと身をかがめると、男が前のめりになったところを後ろから開いている片方の手で襟首をつかんで引き上げた。こちらの男もばたばたと身じろぎしながら、動けなくなっている。 (すごい力・・・・。) 私は開いた口が塞がらなかった。単純な動作で相手の動きを完全に封じて、しかも相手には傷一つ負わせていない。 私の空手技なんて子供の遊びにしか見えなかった。 オスカー様が両手を前に突き出すと、つかまっていた二人はそろって地面に膝をついた。 更にオスカー様は両手を伸ばすと座っている二人のおでこのところをがしっと押さえた。これも武術の技のひとつだった。決まれば、どんなに力があっても立てないのだ。 ふたりを動けなくしておいてからオスカー様は諄々とお説教にかかった。 「祭の夜に何をやってるんだ。みんなに迷惑だろう?」 仲間内に話し掛けるような、明るい声だった。相手の劣等感を刺激しないで説得する。うまいやりかただった。 「ケンカするのは構わんが、山の中にでも行ってやるんだな。それならオレもとめないぜ。」 ここまでいうとオスカー様はあっさりと二人を離した。 「今度やったら、手加減しないぞ。骨折くらいは覚悟して置けよ」そう小声で耳打ちすると、男達は飛ぶようにして人ごみの中にまぎれていった。 「警察に突き出さなくていいんですか?」 戻ってきたオスカー様に言うと、オスカー様はまたニヤっと笑って見せた。 「別に・・・・祭で少々羽目を外しただけだろう?俺は誰かさんと違って寛大だからな。」 「すみませんでしたねっ!心が狭くって!」 「はははっ・・・。」 オスカー様が声をあげて笑った。笑い声を聞くのは初めての気がする。またちょっとドキッとした。 「もう時間か・・・・・。すまない、戻らないとならない。」 懐中時計を覗き込むと、オスカー様が言った。 もう1時間が経ってしまったんだ。なんだかあっという間だった。 少し残念な気がした。なんでだろう・・・・? 「今日は最後までいるのか?」 「はい。そのつもりですけど・・・・。」 「じゃあ、送って行こう。6時に、聖殿の前で待ってる。」 オスカー様はちょっと片手を挙げると、そのままマントを翻して広場の方に戻っていった。 私は人ごみを縫って遠ざかっていくブルーのマントから目が離せなくなっていた。 何でだろう・・・・なんでなんだろう・・・・・? |