3nd stage: どうせ、こんなもんだろう?
Luva
なんとなく、こんなもんだろうと思ってた。
早くに両親を亡くし、しばらく孤児院で暮らした後、私はとある金持ちの医者の家に養子に入った。
知能テストの結果だけで、会いもしないで私を選んだ義父母は、当然ながら私に対して何の興味も愛情もなく、そこにはただ「従順な跡継ぎがほしい」という必要が存在するだけだった。
それに異論はない。こっちだって悪いけど両親にはなんの愛情も感じられずにいるんだから。
だけど引き取られてすぐに私は微妙な立場に追いやられることになった。
できないはずの両親に、子供ができてしまったのだ。
さすがに両親も品物のように私を孤児院に返品することもできず、私はそのまま、この家の長男として収まることになった。
子供のころはそれでも良かったんだけど、成長するにつれて私たち兄弟の間には微妙なストレスがかかっていった。弟が私に比べてさほど勉強好きでも従順でもなかったことが、事態を更に複雑にした。
私は結局「我関せず」といった態度を押し通すことにした。
居心地が悪いくらいで文句をいう筋合いじゃない。
私には他に、どうすることもできないんだから・・・・。
家庭教師のバイトの話が舞い込んできたのは、そんなある日のこと・・・・・。
その頃私は、大学院の研究課題だけで手一杯のところ妙な行きがかりからバンドなんか始めてしまい、正直言ってバイトする余裕なんて全く無かった。・・・・・・だけど、さんざん迷った挙句、結局私はその仕事を引き受けることにした。
バンドをやるとなると会場費やら何やらで多少は費用がかかる。生活費は親からカードを渡されているけれど、趣味のバンド活動に義父母のお金を使うのはさすがに気が引けた。
そんなこんなで、私は「週一回だけ」という条件で教授の知り合いのお嬢さんに受験勉強を教えることになったのだ。
「あの・・・どうですか?できましたか?」
「ごめんなさい、先生。・・・・まだ。」
問題用紙を食い入るように睨みつけたまま、アンジェリーク=リモージュは赤いリボンを結んだ金髪の頭をブンブンと横に振った。
はっきり言って彼女は不出来な生徒だった。
最初の日に母親から手渡された成績表を見たとき、私は正直愕然とした。
まともなのは体育と音楽と美術だけ・・・・特に理系は学年でもお尻から10本の指に入るという悲惨さだった。
これを受験までにどうにかしなきゃいけないというのは、私にとってかなりのプレッシャーだった。
「あのー・・・・でももう、始めて30分経ってますよ?・・・その、どのヘンが分からないんですか?」
「どのヘン、っていうか・・・ゼンブ。・・・・最初っから全部、何だかパズルみたいです。この問題・・・・。」
「あー、最初から全部、ですか・・・・・」
「先生、ダメだ・・・・降参です。」
カラン、と鉛筆を机の上に置くと、アンジェリークは悔しそうに机に頭を突っ伏した。
「あー、じゃあ、一度解答用紙を見せてくださいねー」
私は机の上の答案用紙を取り上げると、採点を始めた。
答案用紙の余白にはあきれ返るくらいぎっしりと試し算をした跡が書き込まれていて、そのくせ回答欄はほとんど白紙のままだった。
「ごめんなさい〜先生・・・・あたし頭悪くて、教えるのタイヘンですよね。」
相変わらず机に突っ伏したまま、アンジェリークが悲しげな声を出した。
まだバイトは始まったばかりだと言うのに、このくらいでやる気を失くされちゃたまらない。私は慌ててフォローに入った。
「そんな・・・そんなことありませんよ。あなたは決して頭が悪くなんかないですよ。ただちょーっと融通が利かないって言うのか・・・納得がいかないと先に進めないところがありますけど・・・それだって決して悪いことじゃないんですよ。」
お世辞のつもりで言った言葉だったけど、言ってみれば確かにその通りだった。
アンジェリークは決して頭が悪いわけじゃない。不器用で、理解するまでは人一倍時間がかかるけど、一度理解した問題に関しては全問きちんと解けていた。
「私がもの覚え悪いの・・・・悪いことじゃないんですか?」
「別にもの覚えは悪くないですって・・・・時間がかかるだけなんですよ。すぐにピンときてすぐに忘れちゃうより、ちゃんと理屈を理解できた方がいいに決まってるでしょう?」
「・・・・先生・・・・・!!」
「うわっ、はっ、はい・・・・。」
いきなり両手をガシっと掴まれて、私は思わず棒立ちになった。
「うっ・・・・嬉しい・・・・・」
落っこちそうなくらいまん丸に見開かれた大きな緑の瞳に涙が滲んでいるのを見て、私は腰を抜かしそうなくらい驚いた。
「・・そんな風に言ってくれたの、先生が初めて・・・すごい・・・嬉しい。みんな私のこと馬鹿だ馬鹿だって・・・・・」
「だっ・・だ、だからっ、馬鹿じゃないですってば・・・・」
「せんせい〜」
「うわっ、あっ、ああああ・・・なっ泣くことないでしょう?・・・アンジェリーク?・・・だっ、大丈夫・・・ですか?」
「・・・・・・・・・・・・・きゃ〜!見て!窓の外!ブタが飛んでる!」
私の動揺がピークに達したその瞬間、いきなりアンジェリークが窓の外を指差して叫んだ。
「えっ?」
ほんの一瞬よそ見したその隙に、アンジェリークのすばしっこい手が私の顔面から眼鏡を奪い取っていた。
「あっ・・なっ、何を・・・・」
「・・・・・・・・・かっこいい・・・・・」
ぽかんと口を開けたまま、アンジェリークがつぶやいた。
「やっぱり・・・先生メガネ取ったほうがダンゼンかっこいい!コンタクトにした方がいいですよー!」
「かっ・・・返してください!」
「そんなに目、悪いんですかー?・・・って、これ、度、入ってない?」
「いいから返してください。」
私はアンジェリークの手から眼鏡を奪い返すと慌ててかけなおした。
「先生、目が悪くないならメガネなんかかけなくていいのに・・かえって目が悪くなりますよ?」
「これがあると落ち着くんですよ。」
まだ何となく動悸が冷めやらないまま、私は答えた。
「落ち着く?」
「ニガテなんです。人の顔を見たり、顔を見られたりするの・・・。」
「えぇ〜、そんなぁ〜?」
またしても零れ落ちそうなくらい目を見開いたかと思うと、アンジェリークは両手の拳を握って私に向かって力説した。
「ヘイキですよ。だって先生すっごくカッコイイもん。見られたって全然恥ずかしくないですよ。頭いいし、優しいし、背高いし・・・。」
「はぁ・・・・・・。」
「練習しましょう!授業中は先生、眼鏡かけないでください!私、勉強を教えてもらってるお礼に練習台になります!」
「よそでも試してくださいね。絶対大丈夫ですから。」
無理やり私に残り30分の授業を眼鏡ナシでさせた後、そう言ってアンジェリークは私を送り出してくれたけれど・・・・・・
私は車に乗るなり度の入ってない眼鏡をしっかりとかけなおした。
どう考えても、あの家族と素顔で向かい合う勇気がない
―――勇気がない・・・。
私はため息をつくと、アクセルを踏み込んだ。
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