6th stage:見えないより、良く見えたほうがいいに決まってるんだ Luva
日曜日。なぜか私は、アンジェリークと一緒に遊園地に来ていた。 先月の初め頃、突然アンジェリークがこんなことを言い出したのだ。 「先生、賭けをしましょう。」
「・・賭け?」 「今度の校内模試で十位までに入れたら、私、一日勉強休んでぱぁっと遊びたいんです。」 「・・・いいんじゃないですか?」
私はいいかげんに答えた。彼女の通う高校は市内でも指折りの進学校だった。そこで十位に入るというのは並大抵のことじゃない。目標が高いのは結構なことだし、せっかくやる気になってるのに水をさすべきじゃないけど、ついこの間まで平均以下の成績だった彼女にはどう考えても土台無理な話だった。
「その時は先生、一日付き合ってもらえますか?その代わり、私が負けたら今度から宿題倍にしていいですから!」 「倍?・・・え?でも、そこまでしなくても・・・・」
私が毎回出している宿題の量は決して少なくはなかった。その他に学校の宿題だって出ているはずだし・・・・。あまりにも無謀な申し出に、言い出した当人以上にうろたえている私に向かって、アンジェリークはにっこり笑って片目ををつぶった。
「じゃあ、決まりですね?約束、ですよ!」 そして今月・・・・・彼女は、入ってしまったのだ。 ギリギリ、十位に・・・・・。

「先生、本当にジェットコースター駄目なんですか?」 「すっ・・・すみません。高いところってちょっと苦手なんです。」
「コーヒーカップ、乗りませんか?」 「・・・・目が回るの駄目なんです。吐き気がしてきて・・・・・。」 「先生、お化け屋敷ですって!面白そうですよ!」
「あー、すみません。私はここで待ってますから、あなた一人でどうぞ・・・・・。」 私はだんだん申し訳なくなってきた。 彼女が乗りたがる刺激たっぷりのアトラクションは、どれも私が苦手とするものばかりだった。
結局当たり障りのない乗り物にいくつか乗っただけで、アンジェリークと私は早々に広場のベンチに落ち着いた。 「すみません。付き合えないものが多くて・・・退屈でしょう?私といても・・・・。」
「退屈?どうしてですか?全然!」 アンジェリークは思い切り首を横に振ると、とても嬉しそうな笑顔になった。 「メリーゴーランドに乗ったの、すっごく久しぶりだったんですよ。観覧車もゴーカートも面白かったし。ペット牧場のうさぎさんも可愛かった〜。ほとんど並ばなくて済んだし・・・・・先生と一緒でたくさん穴場を見つけちゃいましたよ。」
・・・・違う。穴場とかいう問題じゃない。それは単に不人気なアトラクションで空いていたというだけのことだった。
「お弁当作ってきたんです。いっぱい作ったから、どんどん食べてくださいね。」 そう言うとアンジェリークは今度はいそいそとベンチの上に安っぽいプラスチックの弁当箱を並べ始めた。
こんな人通りの多いところで食事をするんだろうか・・・・・ ちょっと引き気味の私に構わず、アンジェリークはせっせと紙ナフキンや割り箸を並べると
「はい、おにぎり!食べてみてください!」 そういって銀紙の包みを私の目の前に突き出した。 勧められるままに不格好な形のおにぎりを一口かじると・・・・・・
それは何だかとても懐かしい味がした。 「大丈夫ですか、先生?・・・・しょっぱくない?」 「ああ、いえ・・・その・・・大丈夫です。」
大丈夫、じゃなくて・・・『おいしい』って言うものだろう?こういう時は?・・・・そう思った瞬間には、アンジェリークはもう「良かったぁ!」 と両手を挙げて嬉しそうな笑顔になっていた。
食事の間中、アンジェリークはしょっちゅう私に話しかけては、自分もひっきりなしにしゃべり続けていた。 考えてみれば、こんなに至近距離に誰かがいるところで食事をしたのは子供の頃以来だった。
学食は騒々しいのが嫌で行かなかったし、家の食堂はテーブルがやたら広くて、しかも大概は一人だった。家族全員が顔を揃えることなんて年に何回あったろう?
たまに家族で食事する時だって、ナイフとフォークの音が響き渡りそうな静かな空間で、時折放たれる父親の質問はまるで会話というより面接試験のようだった。
「・・・・・あっ。」 ふと気がつくと、プラスチックの弁当箱はほとんど空になっていた。 「す・・・すみません。・・・ほとんど私が食べちゃいましたね。」
冷や汗をかきながら謝ると、アンジェリークは顔をあげて嬉しそうに笑った。 「いいんです。そう思ってたくさん作ってきたから。それに・・・ 嬉しいです。食べてくれて。先生のおうちってお金持ちなんでしょう?先生いつも美味しいもの食べてるのに、私の作ったものなんか、って・・・ちょっと心配だったんです。」
「・・・・・あっ・・・はぁ。」 私はまた間抜けな相槌を返してしまった。 「はぁ」とかじゃなくて「美味しかった」って言わなきゃいけないのに・・・・事実、それはとても美味しかった。玉子焼きも、スコッチエッグも、ジャガイモのサラダも、全部懐かしい、温かい味がした。
家で食事をしていても味なんて気にしたことはなかった。「美味しい」って言葉すら、今日まで忘れていたような気がする。 ・・・・・・だけど私はやっぱり間を外してしまった。「有難う」も「美味しかったです」も言えないうちに、アンジェリークはせっせと弁当箱をバスケットに詰めなおすと、「先生、今度はあっちの方に行って見ませんか?」そう言ってベンチから腰を上げた。

午後はほとんど乗り物にも乗らずに、私たちは二人で園内をぶらぶらと散歩して過ごした。 アンジェリークは「よくもまぁ話題が尽きないものだ」と感心するくらい喋り続け・・・そして、それを聞くのは決して退屈じゃなかった。嬉しそうに話しているその声を聞いているだけで、何だかこっちまで楽しさが伝染してくるような・・・・そんな不思議な感じだった。
夕暮れが近づいてきて、私たちは「ちょっと休憩しましょうか」と言って、再び広場のベンチに腰を下ろした。 ベンチに座るとアンジェリークはくるりと私の方に体ごと向き直った。
「先生。お願いがあります。」 「はい。何でしょう?」 「わたし、受験頑張ります。本当に頑張ります。だから・・・・」 「はい?」
「終ったら、先生。・・・私とお付き合いしてください。」 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい? 」 思わず語尾が上がった。
オツキアイシテクダサイ・・・・? 意味不明だった。 その言葉の意味を、その瞬間の私はまったく理解できていなかった。
オツキアイシテクダサイ・・・・ お付き合い?お付き合いって、それは・・・・・・ 「・・・・・・なんちゃって。ビックリしました?」
真っ白になった頭の中に、アンジェリークの明るい声が響いた。 「冗談ですよ!ジャスト・ジョークです。」 「あっ・・ああ・・・」
・・・・・冗談、か・・・・。私は溢れかえる冷や汗をハンカチで拭いながら無理やり笑った。 「ゴメンナサイ。ヘンなこと言って。本当に冗談ですから・・・・・、先生、そんな・・・困った顔しないで下さい。」
「ああ、いえ・・・だ、大丈夫ですよ」 申し訳なさそうに頭を下げるアンジェリークに、私はどうにか笑って何度もうなずき返した。 眼鏡をしてて良かった。・・・・この時ばかりは本当にそう思った。
みっともないくらい動揺しまくってる気持ちを何とか見透かされずに済んだような気がする。 「ああっ!もうこんな時間!」 ふいにアンジェリークが勢い良くベンチから立ち上がった。
「5時から見たいテレビがあったんだ!忘れてた!」 「え?」 「今日はどうも有難うございました!すっごく楽しかったです!」 「あっ・・じゃあ、送って・・・・」
「あはは、いいですよ、そんな!子供じゃないんですから・・・ちゃんと一人で帰れます。」 にこにこと笑ってみせたかと思うと「それじゃあ」と言って、彼女はバスケットを掴むなり走り出してしまった。
「・・・・アンジェリーク・・・?」 呼び止める間もなく、アンジェリークは小鹿のような身軽さで噴水の脇を駆け抜け、走り去ってしまった。
「・・・・・・・・・」 私はわけが分からずに、再びベンチに腰を下ろした。 お弁当のお礼に夕食をご馳走しようと思っていたのに・・・・誘うヒマもなかった。
そして私は、何故だか気が抜けたようにその場を動けずにいた。 辺りは段々夕暮れの色に染まってきているのに・・・・・。 あまりにもあっけなかった今日の終わりを、私はまだ受け入れられずにいた。
もう用は終ったんだから、帰ればいいのに どうしたんだろう、自分は・・・・。 書かなきゃいけないレポートが山ほど残ってるのに・・・・・
レポートどころじゃなかった とてもそんな気分じゃない。 この気持ちには何だか覚えがあるような気がした。 子供の頃、引っ越していく友達の車を、必死で追いかけて走ったあの時・・・・
会ったことも無い他人の家に貰われて行くために、孤児院を後にしたあの日・・・・ それは、失くしたくないものを、失くしてしまった時のさびしさだった。
今日一日、私の隣でアンジェリークはずっと笑っていた。 一人取り残されてみると、まるで電気が消えたみたいだった。
どうしよう・・・・
曖昧に胸の中でつぶやきながら、 自分が何をしたいのか自分が一番良く分かってた。 もう一度アンジェリークに会いたい。
それも、今すぐ。 三十分か一時間の番組だったら、もうそろそろ終っているころだろう。 会えばこのすっきりしない気持ちにカタが付くかもしれない。

「先生・・・・・どうしたんですか?」 玄関先に現れたアンジェリークの瞼が明らかに真っ赤に腫れ上がっているのを見て、私は何だか卒倒しそうなくらい息が苦しくなりはじめていた。
悲しいドラマでも見てたんだろうか・・・・・ 理由は何であれ、その姿は痛々しかった。見ているだけで胸が締め付けられるようだった。
「あの・・・今日、有難うございました。」 どうにかやっとお礼を言うと、アンジェリークは慌てたようにぴょこりと頭を下げた。 「そんな・・・こっちこそ、無理やりつき合わせちゃってすみませんでした。」
「あの、ロック、好きですか?」 「え・・・?あ、はい・・・好き・・・です。」 良かった。私は胸の中で十字を切った。
キライと言われたらお手上げになるところだった。 「これ・・・良かったら。」 私は胸ポケットから引っ張り出したライブのチケットを無理やりアンジェリークの手のひらに押し込んだ。「要らなかったら捨てちゃってください。そっ、それじゃあ・・・。」
渡すとすぐに、今度は私のほうが後も振り返らずに玄関を飛び出した。 チケットを手渡す時に、彼女の手に触れてしまった。
触れた瞬間、電流が走ったみたいに頭が痺れた。 指先が熱い。どうにかなってしまいそうなくらい、熱い。 目の中で彼女の顔がくるくる回ってた
バイト増やそう。 車に飛び込んでドアをしめながら、唐突に私はそう決めた。 どんなに忙しくなろうが、構わない。 彼女に何かお礼がしたかったけど、親のお金でプレゼントを買うのはいやだった。
だからって、こんな、自分の出るライブのチケットなんかしか贈るものがないというのは、ちょっと情けなさ過ぎる。 車のキーをひねりながら顔をあげると、二回の窓が開いていてそこからアンジェリークがこっちを見ているのが目に入った。
早く車を出さないと不自然なのに、わたしは止まったままいつまでもその顔から目が離せずにいた。 二階の窓は遠くて、彼女の顔が良く見えない。
もどかしくなってメガネを外して・・・・・・・・ ―――胸の中からいきなり何かが突き上げてきて、私は手にした眼鏡を車の窓から思い切り投げ捨てた。
驚いたように目をぱちくりさせている彼女の顔が見える。 やっぱり眼鏡を外した方がモノが良く見えるんだ。 よく見えたほうがいいに決まってるのに・・・・今までどうしてそれが怖かったんだろう?
アンジェリークが小さく手を振るのが見えた。 彼女は笑っていた。 手のひらの中でゆらゆら揺れているのは、私がさっき渡したチケットで、彼女の口は「ありがとう」と言ってるみたいだった。
私は車の窓からひとつ、手を降ると 思い切ってアクセルを踏み込んだ。 胸が痛い。 たった一日で、何だか自分が根こそぎ変わってしまったような気がする。
だけど、それは ・・・・・・ きっと悪いことじゃない。 この気持ちにどんな名前をつけたらいいのか、私はうすうす気がついていた。
本の中では何度も読んだことがあった。 アンジェリーク。 好きになっても、いいんだろうか・・・・・。
でも、もう、止まらない・・・・・・。 next
stage
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