Oscar
その日、時間ぎりぎりになってスタジオ入りしたルヴァはのっけからソワソワしていて、いつにも増して挙動不審だった。
俺はまっさきにヤツがその日トレードマークのビン底眼鏡を付けていないことに気がついた。
「コンタクトにしたのか?」
「・・・・・はぁ。」
上の空の様子で答えた後、ルヴァはやおらぐっと俺の顔の前に顔を突き出して、穴の開くほどじろじろと人の顔を見たかと思うと、首をかしげてこう言った。
「・・・・・?・・・・あなた、ハンサムですね?」
「止めてくれ。そういう趣味は無い」
「・・・・ええ。私もです。」
またもや上の空の調子でうなずくと、ルヴァはくるりと背を向けて、自分の椅子でギターのチューニングを始めた。
歌はともかく、こいつのギターの腕前はお粗末極まりないもので、念入りにチューニングしたところで雑音だらけなのは同じことなんだが・・・・。俺は肩をすくめて自分の椅子に戻った。
チューニングをしながらもルヴァはソワソワと落ち着かない様子で、何度も袖から客席の方を気にしているようだった。
そして何度目か・・・・・ヤツは袖から客席を覗き見ながら、放心したようにつぶやいた。
「・・・・・・来てる。」
その日こいつが歌ったバラードは凄まじい迫力だった。
Luva
終演後は、いつもたっぷり1時間は楽屋に残ることにしてた。
表は翡翠やオスカー目当ての女の子がぎっしりひしめき合っている。その騒ぎが収まってからこっそり裏口から帰るようにしてたけど・・・・・。
この日は別だった。
アンジェリークが来ていた。
バイトのある木曜日まではまだ4日もある。もう我慢の限界だった。
ちょっとでも会いたい。一言でも話がしたい。
楽屋を出るなり大勢の人に囲まれて私は焦った。かなり後ろの壁際にちらりと赤いリボンと金髪が見えた。
「アンジェリーク!」
彼女に気づいて欲しくて必死に呼びかけると、自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
彼女は確かに気がついたみたいで一瞬振り返ったけれど・・・そのままくるりと背を向けて、ドアから外へ飛び出して行ってしまった。
「すみません・・・ちょっと・・ちょと通して・・・・」
道を塞ぐ人ごみを必死で掻き分けると、私は彼女の後を追って狭いライブハウスの階段を駆け上がり通りに出た。
こんなに必死で走ったのは何年ぶりだろう。
地下鉄の駅前でアンジェリークに追いついた時、私はすっかり息が上がっていた。
「アン・・・ジェリーク・・・・」
後ろから声をかけると、アンジェリークは驚いたように振り向いた。
「先生?・・・どうしたんですか?」
「あっ・・・あの・・・・・」
―――来てくれて有難う。
・・・・素直にそう言えばいいのに、私はまたしても言葉に詰まってしまった。
「先生、すごぉい。カッコ良かったですよ。」
アンジェリークはいつもの笑顔になって私を見上げた。
「先生、モテるんだ。全然知らなかった。・・・でも、そうだよね、先生、かっこいいもんね。」
彼女が笑顔でそんな風に言うのを聞いて、私は何だか心が萎れてゆくのを感じた。
何だか嫌だ。あなたにそんな風に言われるのは。
それは事実じゃないし、仮に事実だとしても笑いながらそんな風に言わないで欲しい。
―――あなたのために歌ったんです。
だけど、そんな突拍子もないこと、言えるわけがない。
私はまたしても黙り込んでしまった。
「あ・・帰らなきゃ、門限過ぎちゃう。・・・・・先生も早く戻らないと、みんな待ってますよ。」
アンジェリークは駅の時計を見上げると、くるりと身を翻して改札に向かっていった。
「じゃあ、・・・チケット有難うございました。」
改札の向うでぺこりと頭を下げると彼女は笑顔で階段を下りていった。
彼女が視界から消えて行くのを、私はなすすべもなく呆然と立ち尽くして見送っていた。
何なんだろう。私は・・・・・。
いつもいつも、大事なことを言うのを怖がって。
涙が出そうなくらい、歯痒かった。自分が。
どうして何も言えないのか
どうしてこんなに自分に自信が持てないのか
その理由は分かっている・・・・・
卑怯で、臆病で、嘘吐きな私・・・・・
自分だって好きになれない自分
こんな自分を、誰が好きになるわけもない・・・・・
「アンジェリーク・・・・・」
口に出して、そっと呼んでみた。
この気持ちをあなたに伝えられる日がいつか来るとして・・・・・
その前に私には、しなければならないことがある・・・・・・。