8th stage:あなたは本当の私を愛してくれますか?
Rosalia



「・・・・・帰ります。」
待ち合わせたホテルのレストラン。テーブルの上にきちんとセットされた3枚のナフキンを見た瞬間、私はくるりと背を向けた。
「・・これ、ロザリア・・・。」
慌てたように父が呼び止める。私は不満を表情に思いっきりにじませながら振り向いた。
「ひどいわ、お父様。久しぶりにお父様に食事に誘っていただけたと思って、喜んで参りましたのに・・・別な魂胆がおありでしたのね?」
二人きりじゃなかったのだ。三つ目の席の意味は分かりきってる。もうお見合いなんかこりごりだってはっきり言ったはずなのに・・・・。
「まぁそう言うな。本当にいい青年なんだ、今度はお前も本当に気に入るに違いない。」
「知りませんわ。」
困ったように言う父に、私は膨れたまま再び背を向けた。


「申し訳ありません、社長。お待たせして・・恐縮です。」
背中で聞こえた声に、私は思わず振り向いた。

・・・・・・・・・?

あの男だった。
あの、傲慢で、横柄で、失礼で、人の気持ちなんかこれっぽっちも分からない、無神経で野蛮なアイツだった。
「なに、かまわんさ。我々が早く来すぎただけだ。・・・ところで例の件はどうなった?」
「さきほど契約をいただいて参りました。」
「そうか!良くやってくれた。君に任せたのは正解だったようだ。」
「いえ・・我社の社会的な信用が決め手になったようです。株価の上昇も後押ししてくれました。」
「あぁ、紹介しよう、私の娘、ロザリアだ。ロザリア・・・彼はオスカー、我が社の若手のエースだよ。」

「初めまして、ロザリア。」
「・・・どうも。」
白々しく差し出された手を私はしぶしぶと握り返して、・・・ついでに父に見えない角度で思い切り爪を立ててやった。

「さて、私はそろそろ時間なので失礼するよ。」
「お父様・・・・。」
「オスカー、娘を頼んだぞ。」
「承知いたしました。」

そそくさと父が去ってゆくと、あの男はまたいつも通りの人を食ったような笑顔になった。

「やぁ。また会ったな。」
「お元気そうで何よりですわ。では、ごきげんよう・・・。」

くるりと背を向けて立ち去ろうとしたものの・・・・・・追ってくるかと思ったら、その気配は全くない。
私は仕方なく出口で立ち止まると、再びつかつかと彼に歩み寄った。

「あの子は?どうしていて?」
「ロザリアのことか?」
「ネコのことよ。」
分かってるくせに白々しい・・・・わたくしはまた下唇を噛締めた。

「そのことでちょうど君に相談したいと思っていたんだ。」
「何かあったの?」
「まぁ、座って話そう。」
さっさと席に腰を下ろすとオスカーはウェイターに「食事はいいから・・」と断って勝手にカプチーノとローズマリーを注文した。

「ロザリアは・・・今、恋をしているらしい。」
「・・・なっ・・・何を言ってるの?」
「なに赤くなってるんだ?ネコの話だぞ?」
「分ってるわよ。・・ネコが・・ネコが恋してるなんて、そんなことどうして分るの?」
「・・・ハラが膨らんできた。」
「は・・ら・・・?」
「相手は相当手が早い男だったらしい。」
「・・・・・・・?」
「まぁ愛し合ってのことだろうし、今更反対しても仕方ないんだが・・・ロザリアだけでも世話が大変だったのにこの上子供まで増えたら正直俺の手に余る。」
「ど・・どうするつもりなの・・・?」
「それを君に相談するつもりだったんだ。十分に世話ができないならいっそ里子にでも出して・・・。」
「だめよ!許さないわ!そんなこと!」
「じゃあ、どうする?君がうちに来て手伝ってくれるか・・・?」

「・・・・・・・卑怯者!」
私は唇を噛締めた。傲慢で、横柄で、失礼で、無神経で、野蛮だとは思っていたけれど、まさか猫を盾に縁談を迫るような卑怯者とは思っても見なかった。ただ傲慢で横柄で無神経で野蛮なだけで、本当は悪い人じゃないと思っていたのに・・・・・。

「・・・・・ぷっ、・・・くくく・・・・・」
私の顔を無遠慮にジロジロと眺めていたかと思うと、オスカーは急にテーブルを手のひらで叩いて笑い出した。
「なっ・・・何がおかしいのよ?」

「・・・・ウソだ。」
私の顔を見ながら、オスカーはいとも可笑しそうに笑って言った。
「ロザリアはあんなに気高く美しく愛らしいんだ。その子供達だって素晴らしく可愛らしいに決まってるだろ?そんな可愛い天使達を親元を離れて散り散りにさせるなんて・・・そんな不人情なまね俺に出来るわけがないだろう?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰ります!」
反射的に立ち上がった私の腕を、脇から伸びてきた一本の腕が掴んだ。

「じゃあ、行くか・・・。」
「行くってどこへ・・・・」
「昼飯。・・・君も食うんだろ?どうせ食うなら、もっとうまいものにしようぜ?」
「ちょっと待って、なぜわたくしがあなたなんかと・・・・・」
「社長に君の事を頼まれた。逆らって首になったらロザリアを食わしていけなくなる。ロザリアのためにそのくらいは協力しろよ。第一発見者だろう?」
「そっ、それとこれと何の関係が・・・・・何するの、離して・・・離しなさい!」








結局私はこの野蛮な男に連れられて、靴底が床に貼りつきそうなくらい油っぽい、不衛生極まりない店に引きずり込まれた。

「なにこれ・・・」
目の前に出された洗面器のような器を指差すと
「文句は食ってから言え」
そう言ってオスカーはさっさとその洗面器の中の食品を食べ始めた。

「・・・・・・・・・・・?」
仕方なく箸をつけた私は、一口で顔を上げた。
「・・・・・・・・・おいしい。」
「そりゃ良かったな。」
隣でオスカーがつぶやいた。

見た目ほどは油っぽくなかった。魚介で出汁をとったらしいそのスープは深い味わいがして、コシのある麺もよくスープになじんでいた。生まれてから一度も食べたことのないものだけれど、斬新で、とにかく圧倒的に美味しかった。

「どうしたの?」
思わず夢中になって食べながら、私はふと隣の男が笑いながら私を見ていることに気がついた。
「いや・・・・珍しいものを見たと思って」
「・・・・何よ。」
「君の怒っていない顔」
「・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!」
思わず立ち上がりかけた私の腕を、思い切り隣の男が引いた。
私はガタンと音を立てて、再び固い椅子の上に腰を落とした。
「怒って帰るなら全部食ってからにするんだな。こんな店、君一人じゃ入れないだろう?」

・・・・・・ その通りだわ。
私は不承不承、浮かしかけた腰を、椅子に落ち着けなおした。
普通のレストランとは違う。ここだけは誰かに連れて来てもらうことも、自分ひとりで来るのも無理だった。めったにない機会なんだから、こんなオトコのために無駄にすることはないわ。

「同じ金払うなら、うまいもの食った方がいいだろう?」
隣の男が音を立てて麺をすすりながら、ふてぶてしく嘯いた。
・・・・・・それも、その通りだわ。
私はフンと鼻を鳴らしながら、心の中でうなずいた。

確かにそうだわ・・・・・。
お金なんかじゃなくて、本当に、中身で比べて欲しいわ。
どんなに努力しても誰も認めてはくれない 「彼女は特別だから」「生まれが違うから」・・・それでおしまい。
・・・・別に構わない。「特別」で結構。
努力も過程も認めてもらおうなんて思わないわ。私は結果で自分を認めさせてみせる・・・・。


「おい、餃子来てるぞ・・・・・ お嬢様のお口には合わないかな・・・・・」
「いただきますわ。」
私はわざと乱暴に白い皮に箸を突き立てた。
ふっくらした厚い皮に覆われた乳白色の食品は やっぱり忌々しいくらいに美味しかった。







別れ際、オスカーはいつものからかうような笑顔で私にこう言った。

「安心しろよ。・・・社長には俺がうまく言っておくから。今日のことは気にしなくていい。」
「え?」
「結婚は本当に惚れた相手とするもんだ。立場なんかですると後悔する事になるぞ。・・・・ま、その前に、早く一人前のレディになることだな・・・・おっと・・・。」

思わず振り上げた手のひらは、あっさりと彼の手の中に捉えられた。

「・・・・・・・・・・・」

ゆっくりと手のひらが手繰り寄せられる。
きつく握られた手のひらが熱い。
私は負けるもんかと彼の顔を睨みつけた。
手繰り寄せた指先に素早く口付けると、オスカーは笑いながら私の手を離した。

「じゃあな・・・
ロザリアたちのことは心配するな。約束する。俺がちゃんと面倒を見る。
・・・そっちも悪い男に引っかからないように、せいぜい気をつけるんだな。 」

そう言って笑うと、オスカーは繁華街の街角に私を残したまま、さっさと人ごみの中に消えていった・・・・・・。




Oscar



土曜日の夜、携帯のベルが鳴った。
見慣れない番号に首をかしげながら受信ボタンを押すと
しばらくの沈黙の後、 「・・・・・私」と、 彼女の声がした。


「やぁ。・・・・どうしたんだ?」

「なんて返事したの?」
電話の向うで固い声が言った。
「何が?」
「とぼけないで!この間の件・・・・一応、お見合い・・・のつもりだったのよ、父は・・・・・」
「さぁ。昨日退職願を出してきたところだが、特にそんな話は出なかったが?」
「退職?」
驚いたように電話の向こうの声が繰り返した。


「・・・・・どうして辞めるの?まさかこの間の件が原因じゃないんでしょ?」
「おととしまで中東にいて、そこで現地の連中に協力して立ち上げた会社があるんだ。社長は撤退して株を現地の政府に売り飛ばすと言っている。そうなったらヤツらのやってきたことはすべて水の泡だ。・・・そんなことさせるわけにはいかない。」
「父には話したの?」
「一応話はした。・・・まぁ最初から無理だとは思っていたんだがな。」

「・・・・猫は?どうするの?」
「もちろん連れてゆくさ」
「これまでと違うのよ。子供が生まれるのに・・・そんな外国で、あなたちゃんと面倒見られるの?」
「見るしかないだろう?」


「何日?何時の便?行き先は?」
叩きつけるように電話の向うの声が聞いた。
「聞いてどうするんだ?」
「決まってるでしょう?あなたに任せておけるものですか!・・・・わたくしも・・・・・わたくしも行くのよ。」


「正気で言ってるのか?」
「冗談でこんなこと言えて?」
「学校はどうするんだ?高校生だろう?」
「大学受験の資格なら検定でとっくに取ってるわ。どこに行く気か知らないけれど、そこにも大学くらいはあるんでしょう?」
「猫のために家出する気か?」
「友達のために会社を辞める人にとやかく言われる筋合いはないわ。」
強い語調で切り返しながら、その声は震えていた。

「バカだな・・・・自分の立場が分かってるのか?」

『みぃ・・・・』
ふいに泣き声を上げると、部屋の隅の毛布の上からロザリアが身を起こした。
最近腹部が膨れて来るにつれて、身動きするのも億劫そうに見えたのに・・・・重そうな腹部を揺らしながらロザリアはよたよたと玄関に向かって歩き始めた。

「立場って何?・・・・立場で結婚なんかするものじゃないって言ったでしょう?」
「ああ・・・・言った。」
携帯を握り締めたまま俺はロザリアの後を追った。ロザリアは真っ直ぐに玄関に向かってゆく。

「どうして・・・・?だったらどうして私に声をかけたの?どうして放っておいてくれなかったの?金持ちの高慢ちきなバカな娘だと思って同情してたの?からかっただけなの?」
「ロザリア・・・・・」

玄関にたどり着くと、ロザリアはカリカリとドアに爪を立て始めた。
まるでその向こう側に、会いたい誰かがいるとでも言うかのように・・・・・・。

「誰も私に本当のことを言ってくれなかったわ。誰も本当の私を見ようとしなかった。・・・・どうしてよ?取り上げるつもりなら、どうして私に本物を見せたのよ・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「嫌よ・・・・どうして?・・・・・・・・・・・・置いていかないで・・・・・・。」


俺は携帯を握り締めたまま、玄関のドアを開けた。


「ロザリア・・・・・。」

ドアの前にうずくまるようにして、ロザリアは泣いていた。
鮮やかなブルーの髪が肩の上で小さく揺れている。


俺は黙って、震えているその体を抱え起こした。
透き通るような涙の雫が、はらはらと足元に零れ落ちた。


「馬鹿だな、ロザリア・・・・。
俺がロザリアを置いてゆくわけがないだろう?」
「・・・オスカー・・・・・」
涙でいっぱいの瞳が俺をまっすぐに見つめた。
あの雨の日の光景が頭の中に鮮やかに浮かび上がってきた。


「本当に何にもないところなんだ・・・・・でも、・・・・・・一緒に来てくれるんだな?」
涙でいっぱいの瞳を見開いて、ロザリアがうなずいた。


「・・・・・ロザリア・・・・・・・」
俺は我慢できなくなって、その体を力いっぱい抱きしめた。


君を離さない・・・・一生・・・・・・。
心の中だけでつぶやいた。

何だかこれが運命のような気がした。
あの雨の日から、こうなることは決まっていたのかも知れない・・・・・。




俺とロザリアの足元で、猫のロザリアがみぃと甘えた泣き声を上げた。







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