9th stage:君のため駆けずり回る、・・・それもまた楽しいかも知れないね
翡翠
ライブ会場を出た時から、背後を追って来る小さな足音には気づいていた。 さして体重を感じさせない、歩幅の狭い足音・・・・それが誰のものであるかも大体察しはついている。
―――まさかここまで追ってくるとはね。
予期していたような、意外だったような・・・ 待ち望んでいたような、迷惑なような・・・ 自分でも自分の気持ちが捉えられずに、私は心の中で苦笑いした。
わざと足を速めてみると、足音は遅れまいとしてほとんど駆け足になった。 ―――パタパタパタパタ・・・・ もうほとんど尾行とも言えないような元気のいい足音に笑いをかみこらえながら、私は角を曲がったところで、いきなり振り返った。
「わっ!・・・きゃぁっ!」 勢い良く駆け込んできた人影は、止まりきれずにどさりと私のふところに倒れこんだ。
「いきなり抱きつかれるとは光栄だね・・・。私がいなくて淋しかったのかい?可愛い人?」 「うわっ!ひっ・・・翡翠さん」 すかさず抱き返した私の腕の中をバタバタともがいてすり抜けると、彼女は頬を真っ赤に上気させたまま大きく肩を喘がせた。
「さて、やっと二人きりになれたことだし・・・・。説明してくれるね?どうして君がここにいるんだい? こんなところまで会いに来てくれたのは嬉しい限りだけれどね・・・願わくは、君の用件が無粋なものじゃないことを祈るよ。」
「・・・・帰ってきてくれませんか?翡翠さん?」 大きな瞳がまっすぐに私を見た。
「君の願いに応えられないのは胸が痛むのだがね・・・その件ならあいにくだが返事は否だ。君も知ってると思うが、私は興が乗らないことには手を出さない主義なのだよ。」
「お願いします。翡翠さんがいないと・・・・八葉の誰が欠けても京は救えないんです。」
相変わらずひたむきで、真っ直ぐな視線・・・・・。 直視するには眩しすぎて、そのくせ目が離せなくなってしまうのもいつものことだった。
「そういう君は、本当にそれを信じているのかい?
・・・・・君が本当に竜神の神子で、八葉が揃えば京を救うことができると?」 「・・・・・・・・・・。」 「悪いが私は信じない。・・・というか、真偽のほどにも興味は無いね。
どっちでも結局は同じことさ。本当に京を闇に陥れているのは、鬼なんかじゃない。権力争いにうつつを抜かして自分では何も変えようとしない情けない人間達だとは思わないかね?
くだらない政権争いに君が巻き込まれる必要はないよ。君は私同様、あの土地の人間じゃない。 目を覚ましなさい。利用されているとは思わないのかい?」
「翡翠さん・・・。」 彼女は悲しそうに首を横に振った。
話しながら私は、自分が珍しく腹を立てていることに気がついた。 彼女の人の良さに付け込んでいるとしか思えない京の人々、みすみすそれに巻き込まれている彼女にも、それを傍観するしかない自分にも腹が立った。
これは理屈に合わないことだった。関わりあうつもりがないのなら腹を立てる必要もない。すべては他人事のはずだった。 しかし、私は・・・・・・。
「むしろ君の方がここに残るべきじゃないのかな?」 相変わらず大きく見開かれたままの彼女の瞳を覗き込みながら、私は笑った。 「君はもともとここの人間なのだろう?他の誰かの犠牲になる必要はないよ。君は君なんだからね。」
「そんな・・・・そんなこと、できませんよ。」 困ったように彼女が首を横に振った。 生真面目なその表情は、ひどく美しく見えた。
「分かってもらえないようだね・・・じゃあ、仕方ない。・・・・・こうやって君を捕まえてしまったら?」
両手を伸ばして、小さな体を引き寄せる。 「翡翠さん・・・?」 さして体重のない小さな体は、手も無く私のふところに倒れこんだ。 「このまま君を放さないといったらどうする?・・・・・・
一生私に捉えられてみるかい?」 「翡翠さん・・・やだ、・・・離して・・・・ふざけないでください。」 胸の中、必死でもがいている姿はとても愛らしく、いじらしく見えた。こんなにもはっきりと拒まれているのに、私はどうしても腕の中の小さなぬくもりを手放す気になれなかった。
「ふざける・・・君は私がふざけていると思うのかい?」 (本当にこのまま部屋まで連れ帰ってしまおうか・・・?) 物騒な想いが一瞬頭をよぎった。
ほんの少し両腕に力を入れると、柔らかな肌の感触がありありと伝わってきた。
ふいに腕の中のぬくもりが抵抗を止めた。
「どうした?大人しく言うことを聞く気になったかい?」 見下ろすと、彼女は瞳を閉じたまま、真っ直ぐに立っていた。 「大丈夫です。・・・だって、翡翠さんは誰かに無理やり力づくで言うことを聞かせようとするような人じゃないもの。」
「おやおや・・・ずい分買いかぶってくれたね。」 痛いところを撞いて来るね・・・・。そう思いながら、私は捨てがたい思いで手を離した。
極悪人と誹られるのは構わないが、卑怯者とは思われたくない。 くだらない矜持かも知れないが、それでも私は彼女に見損なわれるのは嫌だった。
「交渉決裂・・・か。・・・それで君はどうするつもりかい?」
「それが翡翠さんの気持ちなんですね?」 「そうだよ。残念ながらね。」 じっと私の顔を見た後で、彼女は不意ににこりと微笑んだ。
「分かりました。・・・・帰ります。すみませんでした。、急に押しかけて来て・・・・・。 でも、直接翡翠さんの気持ちが聞けて良かったです。」
「・・・・そう。」 それもいいかもね。君にはあちらに待っててくれる人がいるようだしね・・・・ 口にしかけた聞き苦しい言葉を、私はどうにか飲み込んだ。
一瞬眼鏡をかけた堅物の青年貴族の姿が脳裏をよぎった 「それじゃ私、帰りますね。・・・・・・お元気で・・・・翡翠さん。」
ぺこりと頭を下げて、数歩歩き出したところで、彼女はふいに、くるりと振り向いた。
「本当に信じてるのか、って・・・翡翠さん、聞きましたよね?」 彼女は両手を背中で組んだまま、にこりと微笑んだ。
「分からないです。そんなこと・・・・確信なんかないです。 私も翡翠さんと同じです。本当言えば、ここまで来ちゃったら、もうどっちでもいいんです。私が神子でも神子じゃなくても、みんなが八葉でもそうじゃなくても、龍神が助けてくれてもくれなくても・・・・。どうでもいい。・・・関係ないです。私、みんなと戦います。
・・・・利用されてなんかないですよ。されてても、私、構いません。あの中で自分の為に私を利用しようとしてる人なんかいないもの。そんな器用な人、一人もいません。みんな自分の大切なものを守るために一生懸命なんです。そんな人たちに利用されるの、私、嫌じゃないです。」
顔を上げてもう一度正面から私を見つめると、彼女は再びにっこりと微笑んだ。
「私、何て言われてもこの気持ちは変えられません。だから翡翠さんが自分の気持ちを変えられないのも分かります。
・・・・・・・いつも助けてくれて有難うございました。・・・・・・さようなら。」
「・・・・・・・・・。」
かなり大人気なく、私は黙り込んでいた。 大事なものなど・・・・執着するに値するものなど、この世に何一つ存在しないと思っていた。 人はともすれば一度手にしたものを失くすまいとする。 本当は大して必要ないものであったとしても、とにかく「失う」ことに耐えられないのだ。 そしてくだらない欲と引き換えに、ものに縛られ、固執し、引き換えに大事な自由を・・・自分自身を見失ってしまう。
馬鹿馬鹿しい・・・・・・。
頭が言う言葉と裏腹に、心はしきりと手を伸ばしたがっていた。
失いたくない、失いたくない、失いたくない・・・・私は彼女を失いたくない・・・・・どうしても・・・・・。
ゆっくりと歩み去っていく彼女の背後に、紫色の影が映った。 禍々しい、穢れをまとった影。
―――怨霊? 「神子殿!動くんじゃない!」 咄嗟に叫んでいた。 懐から放った流星錘が虚空を舞い、影を捉えた。 虚空を捻じ曲げるように影が揺れ、怪音と腐臭を放ちながら次第に消えていった・・・・・。
「大丈夫か?・・・・怪我はしていないね?」 道端に倒れこんだ彼女を慌てて助け起こす。 「は・・・はい。大丈夫です。」
「・・・・ずい分と物騒なものを引きずってきたね。」 「・・・・あ・・・・どうりでずっと気持ち悪いと思った。」 私はその時になって初めて彼女の顔色が常に無く青ざめているのに気がついた。
(何てことだ・・・・・)
私は配慮を欠いた自分を責める代わりに八つ当たりを始めた。 「・・・・まったく・・・・別当殿は何をやってるんだろうね?君を一人でこんなところに来させるなんて、彼の気が知れないね。」
「・・・・?・・・幸鷹さんがどうかしました?」 きょとんとした顔で彼女が聞き返した。 「彼は止めなかったのかい?」 「止めました。すっごい怖い顔して「ダメです!」って・・・
泊り込みで見張るっていうから「着替えを覗くつもりですか?」っ言って部屋から追い出して、その隙にこっそり脱出してきたんです。」 「・・・・やるね・・・姫君。」
生真面目な彼がどんなに泡を食ったかと思うと、彼にはすまないが笑いがこみ上げてきた。 「どうやら今のところ私と彼とは五分五分のようだね・・・・だったら、抜け駆けしない手はないかな?」
「え?」 再びきょとんとした表情で彼女が聞いた。
「出発は二日後でいいかい?姫君?」 「・・・?」 「すまないがここで約束をしてしまった人がいてね・・・君の使命に比べればささやかなことかも知れないが、それでも約束を破るのは気持ちのいいものじゃないからね。」
「・・・・!?」 「気が変わった。・・・・やっぱり彼らに君を任せておくわけにはいかないね。」 「翡翠さん・・・・い・・一緒に戻ってくれるんですか?」
大きな瞳がたちまち潤み始めた。 私はたちまち自分の過ちを悟った。この瞳に抗おうなんて土台無理なことだった。そんなことは自然の摂理に反している。 「そんな顔をするのはお止め。・・・・ますます、守りたくなってしまうだろう?」
「翡翠さん・・・・・。」 「京の将来に興味を持てといわれても御免蒙るが・・・・・ムキになって戦っている君を見ているのは確かに楽しそうだ。まんまと君に乗せられてる気もするが・・・・・まぁ、これも面白いからね。良しとしようか。」
「・・・・翡翠さん。」 「パスポートは?今持っているかい?」 「あっ・・・はい。」 「じゃあホテルにはもう戻らなくても大丈夫だね?」
「は? 」 「今夜から出発までは私の部屋に泊まりなさい。ホテルじゃ君を守れないからね。」 「はい。」 「いい返事だね。男の一人暮らしの部屋に泊まるのは怖くないのかい。」
私の言葉に彼女は顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。 「どうしてですか?だって翡翠さんがいるもの。・・・・翡翠さんがいれば怨霊なんか怖くないですよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
質問の意図を正確に理解してもらえずに、私は少し黙り込んだ。
「・・・・やれやれ、・・・・・君にそうまで頼られてしまっては、張り切らざるを得ないね。」 「翡翠さん・・・相変わらずですね。何だか嬉しい。」
彼女は嬉しそうに私の腕にかじり付いた。 大した意味の無い行為だと分かるだけに、私は少しほろ苦い気持ちになる自分をどうにもできなかった。
「さて、さっそく今夜から私の試練が始まったようだね・・・・・・。」 「何ですか?翡翠さん?」 「いや、何でもないよ・・・・・。」
私は独り言のようにつぶやいた。
「こうなったら、君にとことんペースを崩されてみるのも、それはそれで面白いかも知れないね・・・・・・・。」
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