3.日の曜日

Angelique


聖地に来て初めての日の曜日が来た。
この日は守護聖の皆様はお休みで育成のお願いはできないのだそうだ。 ディア様は「誰かをお誘いしてみれば?」と言っていらした。
ロザリアはもう誰かとデートの約束をしているようだけど、私はといえば、まだ1週間でお誘いするほど親しくなっている人がいるわけではない。ちょっとあの温和そうな地の守護聖の顔が脳裏をよぎった。

不器用に頭をなでてくれたしなやかで大きい手を思い出すと胸がぽかぽかと暖かくなってゆく気がした。
あの人と一日一緒にいられたら嬉しいのにな。そんな罰当たりなことを考えて自然に顔が赤くなる。
止めておこう、せっかくのお休みだもの、急に訪ねても向こうも予定があるに決まってる。
今日は一人で聖地の探検でもしようかしらと、ぽかぽか陽気につられて外へ出た・・・・ところで、偶然にも又あの地の守護聖と出くわしてしまった。

彼はこの日もまた山のような本を抱えて、ゆったりとした足取りで聖殿の方へと向かおうとしているところであった。
声をかけたいけどかけあぐねていると、気配を感じたのか地の守護聖がこちらを向いた。
私ははじけるようにぺこりとお辞儀をした。ジュリアス様に優雅なお辞儀の仕方を教わったはずなのに、この人の前だとどうしても地が出てしまう。

「こんにちわ、ルヴァ様」
「あー。アンジェリークですかー。いいお天気ですねえ。どこかへお出かけですか?」
「いえ。・・・すごい本ですねえ」この間も思ったけど、この人見かけによらず力持ちだと思ったら、こうやって鍛えているのかしら・・。
「私、少し持ちます」手伝おうと思って本の山の上に手を伸ばしたが、地の守護聖がただでさえ長身な上、本が山のように積まれているので頂上にはとても手が届かない。 じたばたしている私を見てルヴァ様は少し困ったように、それでもにっこりと微笑まれた。
「あー。大丈夫ですよ。アンジェリーク。これは重たいですからねー。でも有難うございます。あなたは優しい子ですねー。」
やっぱり役に立たないかと、私はちょっぴりがっかりした。私のそんな気持ちを知ってか知らずかルヴァ様が言った。
「それじゃアンジェリーク。申訳ありませんが、これをちょっと持っていただけますかねー。さっきから少し落っこちそうで心配だったんですよー。」
見るとルヴァ様は小脇にも書類らしきものをかかえていらっしゃる。
「はいっ!」私はすっかり嬉しくなって書類を持って意気揚揚とルヴァ様の後に続いた。
「今日はせっかくの日の曜日なのに、あなたはどこかに出かけたりしないんですかー?」
聞かれて私はちょっぴりしゅんとした。どうしてだろう、この人の前だと本当に気持を隠せない。
「じゃあ、もし良かったら少し私の手伝いをしていただけませんかー。整理しなきゃならない本がたまってしまって・・・。もっともお礼といってもお茶とお菓子くらいしかお出しできませんが」
「えっ?ほんとですか?はいっ。私やります。お手伝いしますっ。」
私は勢い込んで応えた。嬉しい、今日はずっとこの人のそばにいられるんだ。
「いいんですかー。すみませんねえお休みのところ。ゼフェルにもいつも頼んでるんですけど、あの子はいつも言い訳を作ってはちっとも手伝ってくれないんですよー」

こうして私は再びあのどっしりと重量感のある本に囲まれた執務室を尋ねることになった。
「じゃあ、私がここに本を分類して置きますので、すみませんがそれぞれの本棚のところに持っていっていただけますか。あ、下の開いている段に置いておいてくださいね、重いですから、上にあげるのは後で私がやりますので・・。」 と、説明を受けて作業が始まった。
実は私は何を隠そう女学院では図書委員をしていたので、本の分類にはちょっとうるさい。
それにしてもざっと見て回った限り、ここの本は非常によく整理されている。几帳面というだけでなく、本に対する深い愛情を感じた。まだこんなに若いのに、守護聖様ってやっぱりすごいんだなーなんて思いながら作業をはじめた。

ところが始めてみると作業はいっこうにはかどらなかった。
分類するにあたっては内容をみなければならないのはもちろんだが、この地の守護聖様はいきなりそこで夢中になって本に読みふけりはじめてしまったのである。確かに読むのは速い。早いけれども分厚い本である。それなりに時間はかかる。
よほど声をかけようかとも思ったけれども、でも夢中になって本を読んでいる姿はいかにも幸せそうで、なんだか邪魔をするのは可哀想みたいで・・・。

結局私は、すでにルヴァ様が読み終わったらしい本の山を自分でさっさと大まかに分類し、既に書架に納められた本の分類と見比べながら、大きな物音を立てないようにこそこそとそれぞれの書架に運ぶという作業を繰り返し、難解すぎて分類不能なものを除いて大体を片付け終えてしまった。
書庫から戻ってくるとルヴァ様はまだ幸せそうな表情で本を読みつづけている。
私は思わずその横顔に見とれてしまった。こうしてみるとこの人とってもハンサムだ。笑うと顔に親しみが出すぎるけど、黙ってるとすごく繊細で知的な顔立ちをしているのが分かる。長くてしなやかな指がページをめくる度に、なんだか胸がどきどきとした。
見ているとどんどん動悸が速くなって行くので、お茶でも入れてみようかと、こそこそと執務室に備え付けられた小さなキッチンに向かい、手近にあったやかんで湯を沸かしてお茶を入れた。
しっくりと手に馴染むしぶい湯飲みにお茶をついで、「どうぞ・・・」と差し出すと
「ああ、有難うございま・・・」と湯飲みを取り上げたところで、始めてルヴァ様はこの状況に気が付いたらしい
「!!!!!アンジェリーク。あなたいつからここに・・・。あ〜〜〜〜〜〜!!」
どうやら私に手伝いを頼んで放ったらかしにしていたことを思い出したらしい。パニックに陥っているルヴァ様を見て私は思わず吹き出してしまった。
「ルヴァ様はご本に夢中になっていらしたんで、私勝手に分類しておいてきちゃったんですけど。これがタイトルと分類と書架の番号のリストです」私は分からなくならないように書き留めておいたメモを渡した。
ルヴァ様はいつかのように平身低頭で私にあやまった。声をかけなかった私が悪いのに・・・・。
そして「お詫びにお菓子を食べていってくださいねー。でもこんなんじゃお詫びになりませんよねー」と、ひたすら恐縮しながらお菓子を出してくれた。


「熱心になにを読んでらしたんですか?」私はお菓子をいただきながらルヴァ様に尋ねてみた。
「古代遺跡の発掘に一生をささげた人物の研究報告に自伝が混じったみたいな本なんですけどね。」まだ読後の余韻が残っているらしい、ルヴァ様は話題が本のことになると、ちょっと頬を紅潮させてさっきの幸せそうな表情になった。
「古代遺跡ですか・・・素敵ですね」
私が同調すると、ルヴァ様はぐぐっと身を乗り出した。
「あなたもそう思いますかー。いや、この本の人物もね、古代遺跡に魅せられてたいへんな苦労をしながら世界中をまわって遺跡を発掘したんですよー。周囲の人からは狂人扱いされて生活も苦しかったんですけど、彼はどうしても知りたかったんですね。昔の人々がどんなくらしをして何を考えて生きていたのか・・・。だから誰にも認めてもらえなくてもたった一人でずっとがんばって研究を続けたんですよ」
それからおもむろにルヴァ様は本の著者の発掘した遺跡とその文明、遺跡発掘の困難や彼の功績について淘淘と語りだした。その語り口はさっき訥々と詫び言を繰り返していた人と同一人物とは思えないほど流暢で、情熱的で、思わず私はその話の内容と語り手の両方に引き込まれてしばし陶然と聞き入ってしまった。
かなり難しい本なのだとは思うがルヴァ様の話は非常に明快で分かりやすい。相手を見て話してはいるのだろうが、これだけ平易に語れるということは完全に内容を自分のものにしているということだ。記憶力もすごい。たまに私が話の腰を折らないように控えめな質問を発すると、分かりやすいたとえ話を山ほど引っ張り出してきてくれる。(こんな先生がスモルニィにいたら落第点を取る子なんか誰もいないだろうなあ)なあんてことを思い、聞きいっているうちに、すでに日はとっぷりとくれていた。

掛け時計が7時をつげると、地の守護聖は再び飛び上がった。
「えっ、もう、こんな時間ですか。あーっ。すみません。またしてもこんな長話をして・・・。」
もう遅いからと、ルヴァ様は寮に帰る私を送ってくれた。 道すがらルヴァ様はターバンの上から頭を掻きながらまた私に謝った。
「今日はすみませんでしたねー。とんだ長話になってしまって。退屈だったでしょうー?」
「そんなことありません!」私はめいっぱい否定した。
「ルヴァ様すごくお話が上手ですし、今日なんかもう本を何冊も読んだくらいいろんなことがいっぺんに分かって、すっごく得した気分です!」
「ええー。そうですかー?」ルヴァ様はなんだか照れたように、でもとっても嬉しそうな顔をされた。
笑うと本を読んでいた時の彫刻のような横顔とは全く別人のようになる。失礼なようだけど、なんだか可愛い。

寮の入り口までくるとルヴァ様は
「あのー。またいらしてくださいねー。今度はもう仕事を押し付けたりはしませんから・・・」と,笑顔でおっしゃった。
私は「またいつでもお手伝に行きますからー」と答えて手を振った。



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