12.すれ違い(2)

Luva


その後もアンジェリークは一向に執務室に姿を見せず、私の机の上にも図書館の本が手付かずで積まれたままだった。

私はどうしたことか急に呆けたようになり、何も手につかなくなってしまった。
部屋を訪ねてきたゼフェルは私が何を言っても上の空なのを見て
「おっさん、ぼけが進んだんじゃね―の!」とあきれ顔で出て行った。
王立研究院に提出する原稿の期限を忘れていて、パスハに「珍しいことがあったものですね」と苦笑いされた。

原稿と聞いて、私は再びアンジェリークのことを思い出していた。
実は、しばらく前にアンジェリークに本の話を聞かせていた時に、私が学術書を読みふけっていて発見したあることについて、彼女に話して聞かせたことがあった。
宇宙でも有数の古代文明について、これまで発祥の地がどこかという論争があって決着がまだついていなかったのだが、私は複数の学術書の中からその鍵となりそうな現象を発見し、数年の補足調査の上に確証に近いものを見出していたのだった。
私はこの発見を誰にも話さず胸のうちにしまっておいた。
ひとつには周りに興味を持ちそうな人がいなかったのと、一つにはやはり少々自信がなかったのだ。
ところが、アンジェリークにこの話をしたら、彼女は目をまん丸にして私以上に興奮した。
「すごいです、ルヴァ様。すごい大発見じゃないですか?そんな大発見をどうして誰にも教えてあげないんですか?」
「いや・・・まだ確かかどうか分からないですし・・。」
「でも、これをみんなに教えてあげれば、他の人も調べてくれるじゃないですか?そうしたらもっと色んなことが分かるかもしれませんよ。」

彼女の言葉に背中を押されるように、ふとそんな気になった私はその発見を論文にまとめて某学術団体に報告した。
その反応たるやすさまじく、翌週あたりから私の執務室には十数通もの郵便物が舞い込んできた。多くは研究者達からで、私の報告に関心をもってくれた人たちからの手紙がほとんどだった。その中の幾人かはフィールドワークに出られない私に代わって、実地調査を進めてくれると約束してくれた。
しばらくは返事を書くのに忙殺されていて「執務に影響が出ない範囲でやるように」と、ジュリアスにクギをさされたが、こんなに多くの同好の士と研究について意見を戦わすなどと言うことは、私にとっては初めての体験で、私はとても嬉しかったのだ。

どうも、アンジェリークが来てから、自分は少し変わった気がする。
自ら論文を発表してみたり、規則を破って育成地に同行したり、彼女をかばうためにけっこう平気で嘘をついたり、謹慎をくらったり・・・・。
それがいいことなのかどうなのか分からないが、とにかくこの半年余り、毎日がちょっぴりスリリングで、そして、とても楽しかったのだ。

私はアンジェリークが好きだった。
とてもいい子で可愛くて優しくて、周りをぱっと明るくしてくれるあの子が。
もう一度、前のとおりに執務室に来て話をして欲しかった。
こんなことで仲違いしたままにはしたくない。


アンジェリークに会いたければ方法は有った。
視察のある土の曜日に王立研究院の前で待っていれば必ず彼女と会えるのは分かっていた。
実際に近くまでは行ったのだ。だけど結局私は近くの遊歩道をぐるぐると何周もしただけで、踏ん切りがつかずに帰ってきてしまった。
どうしてだろう・・・。会って、謝って・・・・こんな簡単なことが、どうしてできないんだろう。
彼女に会いたい反面、会うのが怖かった。
私はまた今日何度目かのため息をついた。
自分はいつの間にこんな子供じみた感情的な人間になってしまったんだろう。



そんな気持のある日、執務室にふらりとロザリアがやってきた。
「失礼しますわ」
いつもながら一部の隙も無い優雅な身ごなしでロザリアが入ってきた。
このときばかりはロザリアの来訪が殊のほか嬉しかった。誰かと話すことで少しは気がまぎれる気がした。
「ロザリア。良く来てくれました。今日はなんの御用ですか?」
「妨害をお願いしますわ。たくさん。」
彼女がさらりと言った言葉に私はどきりとした。
妨害---それはすなわちライバルの足をひっぱるということで、あまり誉められたことではない。彼女もアンジェリークも今までに一度も私達に妨害の依頼をしたことはなかった。しかもロザリアは育成では既にアンジェリークに大差をつけている。そもそも妨害する意味が無いのだ。
「聞こえていらっしゃいますか?妨害をお願いしたいのです。たくさん。」
ゆっくりと念を押すように彼女は繰り返した。
「ああ、はい。妨害ですね。分かりました」
不得要領にオウム返しする私に、ふいにロザリアはいたずらっぽく笑ってみせた。
「ご心配には及びませんわ。力が足りなければ、自分で育成のお願いにくればいいことですわ。」
ふいに私にはロザリアの言わんとすることが分かった。
彼女はアンジェリークが自分で私に会いに来るように仕向けようとしているのである。
「ロザリア、あなた・・。」
「あの子、最近様子がおかしいといいますか、元々充分おかしかったんですけど、今までに輪をかけてひどくなったみたいですわ。少し緊張感に欠けているというか。ここにきたらルヴァ様からもじっくりお説教してやってください。ライバルがあれじゃあ私も張り合いがありませんもの」
にこやかに笑って一礼すると、ロザリアは部屋を出て行った。






Angelique


「今日、ルヴァ様のところに行ったわ」
ロザリアがその名前を口にしたとたんに、私の心臓はびくんと跳ね上がった。
「へ・・・へー。そうなんだ」
「妨害のお願いをしといたから。たくさん」
「えー!!」ロザリアの言葉に私は飛び上がった。
慌てて壁に貼られた望みの指標に駆け寄る。地の力は必要最低限のラインぎりぎりまで落ちていた。
「ひどーい。ロザリア。どうしてそんなことするのぉ」私は泣きそうになってロザリアに訴えた。
「しちゃいけないって決まりは無いわ。育成は厳しいものなのよ」
「だってえ」
「お黙りなさい。今週初めから足りてなかったんでしょ。あんたが悪いのよ。明日こそルヴァ様のところに行って、育成のお願いをしてらっしゃい。ぐずぐずいつまでもくだらないことを気にしてるんじゃないの!」
「ふぇーん」
「ふぇーんじゃない!土の曜日にエリューションに行ってみんな原始人になってたらどうするの!」
ロザリアの言葉に私は急に不安になった。
「ほんとに?本当にそんなことがあるの?地の力が足りないと原始人になっちゃうの?」
「さあね。今週いっぱい育成をさぼって、土の曜日に自分の目で確かめてご覧になったら?」
ロザリアにすごまれると私は観念するしかない。 行かなきゃならない。ルヴァ様の執務室に。でも、どんな顔して会ったらいいんだろう。

本当は会いたかった。今すぐにでも飛んでいきたかった。
だけど、会うのが怖い。 もしルヴァ様に嫌われていたら、そのことを確認してしまったら、自分はもう本当に立ち直れなくなる気がする・・・。私はまた今日何度目かのため息をついた。

 

 

Luva


今日はアンジェリークは必ず来るに違いない。

朝から私は落ち着かなかった。
入ってきたらまずお茶でも勧めて、最近の育成の様子でも訊ねてみよう。育成の話であれば彼女もきっと乗ってくるに違いない。
すでに昨日の夜の間に、エリューションの育成に役立ちそうな資料を集めまくって抜書きまで作ってあった。それで気持ちが落ち着いたところでちゃんと謝って・・・・・。

そんなことをつらつらと考えている間に、遠慮がちなノックの音がひびいた。
心臓の動きが一瞬とまり、その後猛スピードで加速し始めた。
体温が急に上がったような気がする。私は王立研究院で初めて講義をしたときの数倍も緊張していた。
「どうぞー。お入りください」緊張で口の中がからからになって声がかすれた。

ドアを開けたのは案の定アンジェリークだった。
彼女の姿を見たとたん、胸に電流が走ったような気がした。
心臓の鼓動が速度を増す。
考えていた歓迎の言葉は舌の上ですっかり凍り付いてしまった。
一瞬目が合ったかと思うと彼女はすっと顔を伏せてしまった。
「・・・どうぞ」依然ドアの影から半身だけ表したアンジェリークに入るように促したつもりだが、乾いた声は自分でも予想外にちょっぴり無愛想にひびいた。
「いえ。あの・・・育成のお願いだけですから、ここで・・・。」
彼女の言葉も負けないくらい冷たく聞こえた。

思いもかけない彼女の言葉に私は一瞬言葉を失った。

部屋にも入ってくれない―――。私はなんだか目の前が真っ暗になって、よろけそうになった。

「育成ですね。分かりました。忘れずに送っておきます」何とか笑顔を作ろうと努力しながら、これだけ言い終えると、彼女は待ち構えたようにぺこりと頭を下げて止める間もなくそのままドアの向こうに去っていってしまった。

音を立ててドアが閉まると、私は完全に脱力していた。


テーブルには彼女が来たらすぐにお茶が入れられるようにポットや湯のみが用意してあった。明け方までかかって準備した資料が開け放した窓から吹き込む風で床にちらばったが拾う気も起きない。


この期に及んで、私はやっと自分の本当の気持を正確に把握することができた。
私はアンジェリークを好きになってしまった。
生まれて初めて人を好きになってしまったのだ。
へたり込むようにソファーに座ると、なぜだか笑えてきた。
自分がとてつもなく滑稽な道化者に思えた。
初めて人を好きになって、どうしようもなく好きだと気が付いたときにはもう失恋しているなんて。

私は結局これまで自分が大きな勘違いをしてきたことに気がついた。 これまで自分は、自分がアンジェリークを助け、教え、与えてきているのだと思っていた 。
だけどそれは実は逆だったのだ。
彼女は私のことをとても理解してくれていた。いつも嬉しそうに私の話を聞いてくれて、彼女が賛成してくれるといつも勇気と自信が湧いてきた。彼女はいつも私が与える言葉や、ほんのちょっとした好意にその何倍もの笑顔と好意で応えてくれた。
彼女の育成方法や人に接するやり方は、いつも私の知識の上を軽々と飛び越えていた。彼女はそれを全部自分で、私の目の前で実践して見せてくれた。それに引き換え、私が彼女に教えたのはくだらない一般論ばかりだったではなかったか。
知らず知らずのうちに、彼女によって 満たされていたのだ。学んでいたのだ、彼女から。 そうしていつの間にか、彼女の存在は自分の中でかけがえのない大きいものに変わってきていたのだ。

「アンジェリーク・・・」名前を呼んでみた。
とても大事だったのに・・・。どうしてもっと早く気がつけなかったんだろう。
ただひたすら、胸が痛かった。

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