15.天使の羽根 Luva それから二人はボートにつかまったまま近くの岸辺までなんとかこぎ寄せて、ずぶぬれのまま聖殿のある地域までかなりの道のりを歩いて戻らねばならなかった。 端から見ると悲惨な状況といえるかも知れないが、実はこの時の道中は私たちにとっては今までにないほど、楽しい、幸せなものだった。 道々アンジェリークは道の脇に生えている草花の名前を次々に私に尋ね、私が答えられないと手をたたいてはしゃいだ。彼女はそれに私に視察に行ったときのいろんなエピソードを聞かせてくれた。彼女の話は人物描写が素晴らしく面白くて、何度も二人してお腹を抱えて笑い転げてしまった。 「こんなに笑ったのは何年ぶりですかねえ」と私が言うと 「私もです」と彼女も嬉しそうに笑った。 ふたりともずぶ濡れだったので、とりあえず私の私邸によって衣服を乾かすことにした。 着替えといっても若い女の子の衣服など有るわけもなく、彼女はかなりだぶだぶではあるが私のバスローブを体にまきつけて服が乾くのを待つことにした。 彼女の着替えが済んだところで 「さあ、勉強を始めましょうね」と、バスローブ姿の彼女の前に書類と本を積み上げると、当然ながら彼女は硬直した表情になった。 「勉強って、今から?・・・ここでですかぁ?」 「そうですよ。まだ昼になったばかりですし、このカッコじゃ育成にも図書館にも行けないでしょう。試験も終盤なんですから、時間を無駄にしちゃあいけません。エリューションのためにがんばりましょうね」と肩をポンとたたくと 「ルヴァ様!大好き」いきなり彼女が瞳をうるうるさせて私に抱きついてきた。 バスローブ一枚を通して彼女の曲線と体温が直に伝わってくる。私の理性が又ぐらぐらと音を立てて揺らぎ始めたが彼女は意に介していないようだ。全く。この人にはいずれ、油断してると男がどんなに危険な生き物かってことを、ゆっくり教えてやらなければ・・・。 「私、ちょっと心配だったんです。だってさっきルヴァ様ボートの中で急にあんなことしたし、二人っきりでしかもこんなカッコでもうどうなっちゃうのかと・・・。」 彼女のあぶなっかしいおしゃべりを私はコホンと咳払いで止めた。 「お望みであればあんなことでもこんなことでもすぐにして差し上げますけど・・・。」 すごんでみせると、彼女はものすごい瞬発力で入り口のドアまで後ずさりした。 「冗談です。続きはちゃんと結婚してからです。今はとにかく試験が第一です。」 怖気づく彼女を再び座らせて、これまで彼女のために調べてきたレポートの内容を説明する。 私なりに思うところも会ったが、あくまで事例を説明するにとどめた。方法は自分で考えないと試験の意味がない。 ことがエリューションに関わるとなると彼女もすぐに真剣になり、いくつか質問を受けたり、話し合ったり、追加の資料を探したりするうちに、彼女の頭の中でも今後の大体の方針は固まってきたようだった。 夕方になり乾いた服に着替えた彼女は夕飯を作ってくれると言い出した。 そういえばここ数日「食事は聖殿で取るから」といって、家での食事は断っていた。(其の実食欲がなくて食べられなかっただけなのだが・・・) 「何にもないですから」と一応は遠慮したが、彼女は「何かありますでしょ」と果敢にキッチンに入ってゆき、あっという間に夕飯らしきものを作ってくれた。 ごく簡単な食事だったが、具がたくさん入った家庭的なパスタは妙に懐かしくておいしくて勧められるままにおかわりまでしてしまった。 この人がこんな風に毎日そばにいてニコニコしていてくれたら、どんなに幸せだろう。 彼女を送った私は私邸には戻らず聖殿の執務室に戻った。 まだ私にはやらねばならないことがある。というか、この先難問山積なのである。 とりあえず、過去に守護聖が一般民間人と結婚した例を調べ上げ、理論武装しなければならない。アンジェリークと私が結婚したとして、彼女が誰からも指一本刺されないように守らなければならない。 でも、それは希望に満ちた作業であり、私には何とかできるだろうという確信もあった。 そう・・・その時には。
それから一週間後。 「エリューションの建物がフェリシアを上回りました」 パスハの報告に集まった守護聖全員から大きなどよめきが上がった。 どうやら育成の序盤からアンジェリークがこつこつと積み上げてきた成果がこの期に及んで花開いてしまっているらしい。不器用な歩みを続けてきたエリューションは言ってみれば小学校を12年やったようなものかも知れないが、基礎ができているだけにどんな力でも活かすことができる。いまや些細な力でも貪欲に受け入れて数倍に活かせる下地ができているのであった。これには並み居る守護聖達も舌を巻いた。アンジェリークは今までの育成史に無い、新たな手法を編み出したのである。 私はアンジェリークのために心の中で快哉を叫ぶ一方、大いに動揺もしていた。 これは考えていなかった事態である。このままでは彼女が---アンジェリークが女王になってしまうのである。 「ルヴァ様〜。どうしましょう〜」アンジェリークも大いに動揺していた。 「あー。とにかく、後のことは私に任せて、あなたは今までどおり育成に専念してください。」 言ったものの、これまで女王と守護聖が結婚した例は皆無である。そもそも女王が結婚したという前例が無い。女王の職責は重い。女王の些細な体調不良や精神の不安定が宇宙の安定に影響を及ぼすことが少なからず有るのだ。女王は結婚はおろか恋愛もしてはならないというのが定説であった。 そして彼女---アンジェリークはこのところ急速に変わってきている気がする。 彼女はとても美しくなり、大人びてきた。 最初は自分と恋愛しているからだなどとうぬぼれる気持がないでもなかったが、なんだか違う気がする。 美しいだけではなくて、なんだか気高さというか、自分には手の届かない、そんな遠いものを時折感じることがあるのだ。 そして、その日、私は見てしまった。 さようならと手を振り合って分かれた後、振り向いた私の視界に入った彼女の後姿には、陽光をはじいて輝くような豊かな純白の羽根が見えたのだ。 |