5.戴冠式

Angelique


戴冠式が始まろうとしている。
オスカー様は会場の警備を一渡り見てくるといって、控え室を出て行き、私はルヴァ様と二人きりになった。

私はにわかに緊張してきた。戴冠式では来賓を代表して陛下の替わりに祝辞を述べることになっている。聖地ではくさるほど式典に出たけど、いつもしゃべるのは陛下だったし、こんなに大勢の知らない人の前でしゃべるのなんて、小学校の生徒会選挙の応援演説以来だ。だいたい出張自体、補佐官になってからこれが初めてだった。それまで平気だったくせに、気が付いたとたんに足が震えてきた。

「おやー。アンジェリーク。もしかして、あがってるんですかー?」
ルヴァ様は私が震えているのに気が付いたらしい。無造作に言われて私は真っ赤になった。
たまーに、ルヴァ様は私にこんな意地悪を言うことがある。
「そんなことありません。」私はつんとして言った。
「そうですか?ならいいんですけど。」声が笑いを含んでいる。私は悔しくなってそっぽを向いた。
「人前であがらないいいおまじないがあるんですけど、試してみますか?」
にこにこしながらルヴァ様が歩み寄ってきた。その声がとってものどかだったので、つられてそっちを向くと・・・・。
気が付くと、私はすっぽりとルヴァ様の懐の中に抱きかかえられていた。


懐かしいぬくもりとインクの匂い・・・・何だかもうずいぶん長いこと、こうしてルヴァ様に甘えることなんてなかった気がする。私は酔ったようになってルヴァ様の胸にかじりついていた。ルヴァ様の大きな手に髪をなでられて私はうっとりと目を閉じた。
「大丈夫ですよ。私がついてますから。」
何の根拠もないコトバなんだけど、私はなぜか魔法にかかったように、すっかり安心していた。
「ここは聖地から遠くはなれてるんですから、誰も知ってる人なんかいませんし、あなたの好きなようにやっちゃってかまわないんですよ。それに・・・。」

ルヴァ様はちょっぴり悪戯っぽくそう言うと、抱き寄せる手に少しだけ力を加えた。
「えっと、それにですね・・・。さっき会場を見てきたんですけど・・・。」
「・・・なんですか?」
なんだか言いにくそうにしているので、私がつい聞き返すと、ルヴァ様は
「あなたほどきれいな人は一人もいませんでしたよ。」
さっと私に耳打ちするやいなや、言われた私よりも先に真っ赤になってしまった。
「あー。やっぱりなんだか似合わないですかねー。私がこんなこと言うのは・・。」
ちょっぴり恥ずかしそうなルヴァ様に私も微笑んで答えた。
「いいえ・・・。とっても嬉しいです。」


かくしてしばらくのち、戴冠式の席上に立った私は完全に落ち着きを取り戻していた。
信じられないほどの平常心で祝辞を読み上げた後、私達は大勢の国賓たちに取り囲まれるような格好になった。やはりこのような辺境にあっても女王の存在は大きいらしく、私は好奇心にあふれる人々から質問攻めに会った。
最初のうちこそもたついたけど、私はすぐに調子を取り戻した。後ろに控えているルヴァ様がさりげなく私をフォローしてくれていた。
ルヴァ様は私が返事できることとできないことが完璧に分かっているようで、私が答えられない質問にあうと、何食わぬ顔で助け舟を出してくれた。あくまでも私を前面に出してフォローにまわってくれているのだが、それでも私にもルヴァ様の外交手腕が大したものだと言うことはすぐに分かった。
知識の広さ深さは言うまでもないが、それ以上にルヴァ様は、二言三言のうちに相手の立場やら関心をすばやく把握してしまうらしい。
聖地や陛下のPRもバッチリだったし、いい憎いことを聞かれた時のごまかしっぷりなど、堂に入っている。私は正直言って脱帽物だった。
自分の恋人がこれほど手ごわいしたたか者だとは知らなかった。これがさっきまで控え室で私にひとことお世辞を言うために真っ赤になっていた人と同人物とは思えない。
そう言われてみれば、ルヴァ様とはあまり仕事の話はしたことがなかった。これからはいろいろと教えてもらおう・・・・。そんなことを考えていると、ふいにルヴァ様が私の腕をつかんで引き寄せた。

「るっ・・ルヴァ様、何を・・・。」
慌てる私をオスカー様のほうに押しやると、ルヴァ様は急にずいっと前に身を乗り出した。
「あー。申し訳ありませんが、我々の補佐官は長旅の疲れが出たようでして、失礼ですがこの辺で中座させていただきます。この先は私がお話を伺いますので・・・。」
いきなり勝手にそんなことを言われて、びっくりして振り向いた私の視界に、たった今戴冠式を終えたばかりの新国王ウェイの姿が飛び込んできた。
(私を見てる・・・?)その視線の強さに、私は一瞬くぎ付けになった。空港でのいやな感じがよみがえる。

確かに、ウェイは私を見ているようだった。
いつから見られていたんだろう。そのあまりにもむきつけな失礼な視線に私は思わずむっとした。
言いたいことがあれば言えばいいのに。これが国王のすることなの?
にらみ返そうかと思った瞬間に、私を国王の視線からさえぎるように、すっと間にルヴァ様が入ってきた。
「あんの野郎・・・。」気が付いたらしく、オスカー様が低く呟いた。
「向こうが礼を忘れたからといって、こちらまであわせる必要はありませんよ。」ルヴァ様は小声で言うと、笑顔を崩す気配もなく、「オスカー。すみませんが補佐官殿をお部屋で休ませて差し上げてください」そう言うと、また国賓たちのほうに向き直った。


「あいつ・・・公務でなければぶん殴ってやるところだ!いくら田舎物とはいえ、礼を失するにもほどがある!」
控え室への廊下を歩きながら、オスカー様は相当怒っているようだった。
「ルヴァもルヴァだ。なんで黙ってるんだ!」
「見られただけですもの・・・。きっと国が違えば習慣とか考え方もいろいろ違うんですよ。」私は敢えて気にしていないように振舞おうとした。

私は複雑な心境だった。ルヴァ様がかばってくれたのは分かる。
公務中だから私情を差し挟んじゃいけないのも分かる。だけど、本音を言えばオスカー様のように、怒って欲しかった。あの反応はクールすぎる。私が他の人からあんなふうに見られてなんとも思わないんだろうか?

時々私にはルヴァ様の考えていることが理解できなくなる。九つも年上の恋人の心はまるで鍵のかかった分厚い本のようなところがあって、本人が開いて見せてくれないページは見られないし、垣間見れたとしてもページによっては難しすぎて理解できないのだ。

「あさってまで滞在の予定だったな?」
「ええ・・・。明日先代の国王陛下にお目にかかって、あさっては国王主催の内輪のパーティーに参加。しあさって出発ってことになってます。」
「キャンセルだ!そんなもの!」オスカー様ははき捨てるように言った。
正直言って私もキャンセルして帰りたかった。あの国王の視線はなんだか怖い。
「ルヴァ様が戻ってきたら相談しましょう。」
ところが、来賓たちにつかまっているのかルヴァ様はなかなか戻ってこなかった。

「仕方がない。明日の朝にしよう。」夜半になって、オスカー様は腰を上げた。
「アンジェももう休め。俺は隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ。」そういうとオスカー様は部屋を出て行った。
一人になった瞬間に妙に心細さを感じた。こんなことじゃいけない。今回は私が陛下の名代で正使なんだから、しっかりしなきゃ。



翌朝。私はいつもよりかなり早く目が覚めた。
緊張のせいかあまり眠れなかった気がする。
支度をして隣のオスカー様とルヴァ様に声をかけようとドアを開けたとたん・・・・
ドアが何かに引っかかって開かない。同時にドアの向こうから。「わっ」という声がした。
ふいにドアが開いて、ドアの向こうにはかなりバツの悪そうな表情のオスカー様がいた。
「オスカー様、もしかしてずっとここで・・・?」
「びっくりさせてすまない。アンジェが起きる前に引き上げるつもりだったんだが・・・。」
どうやらオスカー様は私のことを心配して一晩中私の部屋のドアの前で夜明かしをしたらしい。
「有難うございます。すみませんでした、オスカー様。」私は感謝と申し訳なさで胸が詰まった。
実は夕べは私もあんなことがあったばかりで、不安だったのだ。
とにかく一刻も早く帰国できるよう、相談しようと言うことで、私たちは身支度をしてルヴァ様の部屋を訪ねた。


―――ところが、早朝だと言うのに、ルヴァ様は部屋にいなかった。


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