6.陥穽 Luva 辺境の地の御多分に洩れず、祝宴はあっという間に普通の宴会と変わりない様相を呈してきた。 私は聖地の人間を珍しがって話し掛けてくる来賓たちにひとしきり相手をした後、人ごみをぬって、あのクレマン氏と名乗った顔色の悪い大臣を探した。やはり、このまま捨て置くわけにもいかないだろう。 主催者側であるはずのクレマン氏は、広間の奥のほうにばつが悪そうに縮こまっていた。 「あー。ここにいらしたんですか?やっと見つけましたよー。」 声をかけると、クレマン氏は長い背を折りたたむようにして、更に身を縮こまらせた。何を言われるかは大概察しがついているらしい、私もここは、はっきりと文句をいう事にした。 「いったいどうしたことなのか、ご説明頂けないでしょうか?」 「ち・・地の守護聖殿・・・。」 「ルヴァ・・・で結構ですよ、クレマン殿。私どもの補佐官は、何か国王陛下のご不興を買うようなことを致しましたでしょうか?」 「そっ・・・そのような・・めっそうもございません。」クレマン氏は飛び上がらんばかりの狼狽振りだった。さすがに彼も気がついていたようだ。 「式の間中ずっと補佐官の方をご覧になっていらっしゃいましたよ。何か理由のあることでしたらはっきりおっしゃっていただかないと・・・・。」 その後もクレマン氏は「めっそうもない・・・」を繰り返すばかりで、話になりはしなかった。 私は心中でため息をついた。クレマン氏はあの若い国王にどうにも頭が上がらないらしい。やはり話になりそうなのは先代国王陛下だけか・・・・。 「先代の国王陛下は戴冠式にはいらっしゃらなかったようですが・・・?」私が聞くと、クレマン氏は再び飛び上がりそうになった。 「せ・・・先代国王は、ご病気でして・・・。」 「明日はお目にかかれるんですよねえ?」 「いや、それがその・・・・。」 「予定では明日と聞いておりましたが?」 「それが・・・急に容態が悪化してしまいまして・・・。」 「・・・・・・・・・・。」私は絶句した。なんでそんな重要な変更をすぐに言わないんだ。最初から会わせる気がないとしか思えない。 ―――いやな予感がした。先代国王でなければ、そもそも誰が我々を招いたのだろう。いったい何のために?大げさかもしれないが、なんだか罠にはめられたような気がした。 私は再びクレマン氏に向き直った。先代国王に会えないのであれば、滞在しても意味はない。国王や彼らの態度はとても誠実と言えたものではない。予定を早めて帰国すると、そのくらいの啖呵はきっても構わないだろう。 ところが、口を開きかけた瞬間に、後ろから足早に歩み寄ってきた人物が私に声をかけてきた。 「どうかなさいまして?」 声の主は姫君―――シャンユンであった。 私は慌てて姫君に一礼した。 姫君はこの場のただならぬ雰囲気を察したらしい。 「あなたはもういいわ。お客様のお相手をしてちょうだい」そう言ってクレマン氏を下がらせた。 クレマン氏は明らかに肩の荷を下ろした風に安堵を滲ませながら去っていった。 「ここでは人目につきますから・・・・どうぞ、こちらへ・・・」姫君は私を促して足早に歩き出した。 「どうぞ・・・・」 通されたところは、姫君の私室のようだった。私は一瞬ためらったが中に入った。案外彼らよりこの年若い姫君の方が、話が通じそうな気もした。 「あの・・・兄のことですね。本当に申訳ありません。」室内に入るなり、姫君は顔一杯に『申し訳ないことをした』という表情をにじませて詫びた。 「兄はあんなに美しい方を見たことがないのですわ。それで見とれてしまったのだと思います。たいへん失礼なことをいたしました。私が替わってお詫び申し上げます。兄にもきちんといっておきます。」 ひれ伏さんばかりの姫君を私は慌てて引き起こした。『美しすぎてみとれた』とは人を食ったいいわけだが、この年若い姫君を責める気にはなれなかった。 「先代陛下はご病気だそうですが?」 私の言葉に姫君は悲しげに目を伏せた。 「はい・・・。父は皆様にお会いするのをとても楽しみにしておりました。ここしばらくはずっと病状も落ち着いていたのですが、戴冠式の前に急に・・・」 「そうでしたか・・・・・。」いささか腑に落ちない点が無いでもなかったが、ここでこれ以上姫君を責めることははばかられた。 「お見舞いにうかがわせていただくことはできませんか?せめて一目なりともお目にかかってご挨拶申し上げたいのですが・・・。」 「それは・・・・。」姫君は困惑したように口篭もった。 「実は、父は心の病にかかっているのです。落ち着いているときは普通と変わりないのですが、一旦症状が出ると別人のようになって、私のことも・・・・分からないのです。」 姫君の瞳が泣きそうに潤みだしたのを見て、私は慌てた。 「申訳ありませんでした。つらいことを聞いてしまいましたね。」 「いいえ。私達こそ、せっかくお越しいただきましたのに、申し訳ありません。」 「明日、兄上にお目にかかれますか?」私は気を取り直してシャンユンに言った。やはり帰国の件は直接国王に談判するしかなさそうだった。 「・・・・帰ってしまわれるんですか?」姫君は驚くほど敏感に私の心中を言い当てた。 「先代から続いたお友達同士ですからね。今後のお付き合いをどうしてゆくか、いろいろご相談しませんと・・・・。」私は曖昧に言葉を濁した。 「賢者様。それでしたら私、貴方様にひとつお願いがあります。明日の朝、少しだけ、私にお時間をいただけませんか?」 「何ですか?」 「この城には古代から伝わる古い遺物や建造物がいくつかありますの。もちろん聖地にはもっと素晴らしいものがいくらでもあるでしょうけれど、・・・・是非、賢者様に見ていただきたいのです。」 「そうですか。それは興味深いですねー。喜んでご一緒させていただきますよ。」 「良かった・・・。行き届きませんで、ご不快な思いばかりさせてしまいましたが、嫌な思い出ばかりじゃなくて、少しでもこの国のいい思い出を残していただきたいのです。」 「嫌な思い出なんて、そんなことはないですよ。姫君は私どもにとても親切にしてくださったじゃないですか?」 「有難うございます。・・・・そういっていただけると、私・・・・。」 姫君はふいに私の手を取ると、自分の頬に押し当てるようにした。戸惑う隙も無いくらい自然な動作だった。 うつむいた姫君の髪から甘い花のような香りがした。少し甘すぎるくらいの花の香り・・・。 私は何だか突然にめまいのようなものを感じた。どうしたんだろう、急に・・・・?さっき断りきれずにほんの少し飲んだ酒が、今ごろになって回ってきているのだろうか? 「・・・・様。・・・賢者様。」耳元で、姫君の声がする。 姫君が私の顔を覗き込んでいた。 とても睫が長い、引き込まれそうな黒い瞳。それが強い光を放っているように見えた。 花の香りが心地よく漂う。香炉から漂ってくる香りとは違う。姫君がつけている香水か何かだろうか?この香りは・・・・確か・・・・・。 私は出し抜けに立ち上がった。立ち上がってみると、まだ少しふらつくものの憑き物が落ちたように、呼吸が楽になった気がした。 「賢者様・・・?」姫君は驚いたようにこちらを見ている。 「ああ、申訳ありません。すっかり長居して姫君のご休息をお邪魔してしまいましたね。」 ふと振り向くと、時計はもう夜中を告げていた。そんなに長居したつもりはなかったのだが、思いのほか時間が経っていた。奇妙な感覚に捕われたまま私は姫君の居室を後にした。 |