13.毒薬 Luva 遠慮のないパンチだった。 口の中が切れて、ぬるりとした血の味が口の中に広がった。 不思議と腹は立たなかった。オスカーの言いたいことは分かっている。 だけど、私にも聞いて欲しいことがあった。確かに私たちには危険が迫っているのだ。 そしてそれを、ただ待っているわけにもいかないのだ。 妙な話だが、これはチャンスかもしれない。 オスカーが私を殴ったのは極めてストレートな意思表示だ。 今なら、お互い率直に話ができるかもしれない。 私が病室に入っていくと、まさに医者達が処置を始めようとしており、オスカーが「麻酔なんか打つな。そのままやれ」と、ごねているところだった。 自分が意識を失っている間にアンジェリークにもしものことがあってはと警戒しているのだ。 恐らく責任感だけではなく別な感情から・・・・。 私は頭を振って妙な思考を払いのけると、困惑している医者達に局所麻酔を使ってくれるように頼み、ベッドの傍らに陣取った。 縫合が終わるまで医師たちの素振りや器具に異常な点がないか監視を続けていた。私は私でオスカーを守らねばならない。 傷口は見事に内臓を外れていた。 もちろんたまたま運がよかったというわけではない。この男の反射神経が並外れているのだ。 確かにオスカーは身を挺してアンジェリークを守ってみせた。私にはとうてい真似できないことだ。 縫合が終わって薬を塗ろうというところで、私は医師を呼び止めた。 「すみません、彼は薬物にアレルギーがあるものですから、このクスリを使っていただけますか?」私は彼らに聖地から持ち込んだ薬を使わせた。 強引な言い訳であることは分かっていた。 オスカーとアンジェリークが驚いたようにこちらを見た。 医師たちは素直に従った。彼らの素振りに異常な点は見られなかった。 「悪かったな・・」 医師達が出てゆくと天井を向いたままオスカーが言った。 「あなたは流石に力がありますねえ。」私は笑って短く答えた。 オスカーが私のことを全面的に許したわけでないことは分かっていたが、今は仲違いしていていい時ではない。休戦協定が結べただけでも充分である。いろんな誤解は聖地に帰ってゆっくり話し合えば解決できることだ。 「お茶でも入れましょうか・・・。」 私はおよそこの場の雰囲気にそぐわないことを言い出した。気分を落ち着けて、ゆっくり話し合うためにはやはりこれが一番だ。 私はアンジェリークに手伝ってもらって三人分の紅茶を入れた。オスカーの分には少しブランデーをたらしておいた。あんまり傷には良くないかも知れないが・・・。 三人で向き合ってみると、何となく聖地に戻ったようで、ここについてからの行き違いが悪い夢でも見ていたような気がした。 まず私が口火をきった。 「まず、すみませんでした。オスカー。私はどうも率直さを欠いていた気がします。ちゃんと自分の考えをあなた達に説明していませんでした。・・・・言い訳みたいなんですけど、ここに来てからちょっとおかしいみたいなんです。自制心を失っているというか・・・・。」 「俺もそうかも知れん・・・。」オスカーがポツリと言った。 「私も・・・・やっぱりここは何だかおかしいです。普通じゃありません。」 私はアンジェリークの言葉にうなずいた。 「あなた達の言うとおり、確かにここはおかしいです。ですが、ここで彼らを詰問したところでまともな答えは返ってこないでしょうし、かといっていきなりこちらから武力に訴えるわけにもいかないでしょう。現実問題として私とアンジェリークは戦力になりませんし、頼みの綱のオスカーもこれじゃしばらくは動けないでしょうし・・・。」 「俺の傷は大したことはない」 「そうだとしても一人じゃ無理です。とにかく彼らと戦わなければならないとしてもそれは最悪のケースです。何とか平和的にここを出て行ける方法を考えましょう。それに私は、本当に彼らが私達に危害を加えるつもりがあるのかどうか、だとしたらそのねらいは何なのか、それが知りたいんです。そのためには彼らが何か次のアクションを起こしてくれない限り、彼らの意図がわからないんですよ。」 その時、軽いノックの音が聞こえた。 「次のアクションとやらが来たようだぜ・・・」オスカーがつぶやいた。 入ってきたのはシャンユンだった。 彼女は入ってくるなり、警備の不行き届きを何度も詫びた。 「傷に良く効く薬を持ってきましたの。」シャンユンはグラスに入った真っ赤な薬酒のようなものをオスカーのベッドの枕もとに置いた。 「珍しい薬ですね。よろしければ少し分けていただいて構いませんか」私が言うと 「本当に探究心旺盛でいらっしゃいますね」シャンユンは袖を口元に当ててちょっぴり笑った 「構いませんわ。でもその薬、煎じた後はすぐに痛んでしまいますの。後で誰かに材料と処方を持たせますわ。ああ、それとも・・・是非、私どもの研究室にいらしてくださいな」 シャンユンが出て行った後、三人は顔を見合わせた。どうも怪しい。 「材料と処方を持たせる・・・か、正直に同じものを持ってくるかどうか知れたもんじゃないな」オスカーが苦笑いした。 私はどうしても彼らの真意が知りたかった。我々に一体何をさせようと言うのか・・・。 私はオスカーの枕もとに置かれた薬を取り上げると、やおらそれを一口含んだ。 「ルヴァ!」 「ルヴァ様!」 二人が驚いたように叫ぶ。 舌の上になんともいえない苦味が広がる。その味を確認して・・・・一息に飲み込んだ。 二人は息を呑んで私を見ている。 残念ながら我々の勘はあたっていたようだ。これは怪我の薬ではない。私の予想が正しければ、この成分は・・・・・。 「大丈夫ですよ。」私は二人が心配しないように笑って見せた。 「命に関わるようなものじゃありません。一口しか飲んでませんから。薬効は二三時間で切れると思います。」 私はオスカーを手招きすると、アンジェリークに聞こえないようにそっと耳打ちした。「二人だけで話したいんですが・・・」 「どうしたの?二人とも何を話しているの?」アンジェリークが不安そうに問い掛ける。 「心配要りませんから」私はアンジェリークに笑いかけると彼女を残して、オスカーと二人続き部屋に入った。 「ルヴァ様!オスカー様!」隣の部屋とつながるドアにすばやく鍵をかける。 「大丈夫なのか?」オスカーが心配そうに私の顔を覗き込んだ。 「大丈夫。命に関わるような薬じゃ有りません。多分、麻薬を使った自白剤の一種みたいなものです。」 「自白剤?」 「ええ。つまり、理性のコントロールが効かなくなって、思っていることを言ってしまったり、やってしまったりするわけです。」 「何だと!」 「つまり彼らはそれをあなたに飲ませて・・・」 「俺達を仲違いさせようとしたってわけか」 「まあ、そんなところでしょう」 「・・・・・・」無言でいるがオスカーが本気で腹を立てているのが分かった。 徐々に体温が上昇してくるのが分かる。そのくせ全身に気味悪い冷や汗が浮いてきた。 「・・・クスリが効いてきたみたいです」 「ルヴァ!・・・大丈夫なのか?どうすればいい?」 「とりあえずそこの椅子に私をしばってください。量が少ないんで大丈夫とは思いますが、とんでもないことを言ったりしたりするとまずいので・・・」 「分かった」オスカーは手近なシーツを裂くと、私を固く椅子に縛りつけた。 「ルヴァ様!オスカー様!」ドアをたたくアンジェリークの声が聞こえる。彼女の声が妙に官能的に五感を刺激した。これは確かに薬物のなせるわざだ。 「あの人を黙らせてください!」私は思わず叫んでしまった。 「それと・・・すみませんが、あなたも出ていてください」 「ルヴァ・・・。」 「本当に仲違いするはめになったら、彼らの思う壺ですから・・・ね。」最後は冗談めかしていったつもりだが、オスカーにどう聞こえたかは分からない。 実際もう私の理性はほとんど申し訳程度にしか残されていなかった。頭が重い。思考がまとまらない。つま先から脳天まで震えが止まらなかった。 どうやらこのクスリには催淫剤の類も混ぜられているらしい。体中を怪しい感覚が這いずり回っている。 「彼らが戻ってくるかもしれません・・・気をつけて・・・あの人を、頼みます・・・。」 「分かった・・2時間だな?」オスカーは身を翻すと部屋を出て行った。 私は彼が妙な同情心で残ってくれなかったことを感謝した とにかくこれから自分に起こることで彼らの思惑が見えてくるはずだ。 私は途絶えそうになる意識を手放すまいと歯を食いしばった。 |