20.箴言 Luva 一晩中まんじりともせず座っていたものの、結局ほとんど眠れなかった気がする。 こんなことではいけないと分かっているのだが、目を閉じるとアンジェリークの顔が浮かんだ。 今ごろどこでどうしているのだろう。彼女のことを思うと不安と焦りで胸が焼け付くようだった。 オスカーは憔悴しきっていた。アンジェリークを探し当てるために、傷を負ったわが身も省みず走り回っている。少し休ませないとオスカーが先に参ってしまいそうだった。 仮に、最悪の場合を考えてみよう。 アンジェリークが彼らに捕らわれたとして、彼らはアンジェリークを殺しはしないだろう。それだけは決して有り得ない。彼らの狙いはアンジェリークのサクリア―――殺してしまっては目的は果たせないはずだ。 しかし、アンジェリークに言うことを聞かせ、彼女からサクリアを奪うために、彼らがどんな手段を彼女に加えるかは分からない。すぐにでもアンジェリークを探し出さねば。危険な状態であることに変わりはないのだった。 オスカーの言うところによれば、宮殿を脱出してからアンジェリークは一度、聖地との交信に成功している。アンジェリークを無事探し当て、時間を稼げば、ここから無事逃れることができるのだ。 (焦ってはいけない――――。) もう何度目か、この言葉を自分に言い聞かせた。アンジェの身柄を探し当てたら、どこに逃れ、どのルートで逃走するか?どうやって彼らの目をくらますか?まだ、考えねばならないことは山のようにある。 つるだらけの森の中、オスカーが苛立って剣を抜き、つるや潅木を切り払い始めた。 「オスカー。」 私はたしなめるようにオスカーに呼びかけた。そんなことは体力の無駄だと何度も言っているのに・・・。 振り向くとオスカーは額に汗を浮かべ、荒い息をついていた。当然だ。他の人間ならとうに音を上げているところだ。休めと何度もいったのだが、オスカーは頑として聞こうとしなかった。本当にこの男の精神力といったら奇跡のようだ。 「私が先に行きます。」 私はオスカーの前に立ち、低い潅木を押しのけながら進んだ。本当はもっと歩きよい道もあるのだが、彼らもそのあたりは押さえているに違いない。 磁石を手にしばらく歩いたところで、私はふと空気が変わったのに気が付いた。 この惑星に着いてからずっと感じ続けていた重苦しい禍禍しさが消えて、自然の森の香りがする。 「どうした・・・・」急に足を止めた私にオスカーが訝しげに尋ねた。 「いえ・・・。」答えようとした私の視界に、灰色の塔が飛び込んできた。 まっすぐ宮殿を目指そうと強く主張するオスカーをなだめながら、私は塔のある方角を目指した。空気だけではない。はっきりとではないが、あの塔に気になるものが見えたのだ。 塔の上には宮殿にあったものと同じ、伝説の動物、竜を象った紋章が飾られていた。人里はなれた森の奥深くに、どうして王家の紋章があるのだろう。私はあることが気になっていた。 先代の国王に会いたいという申し入れはことごとく断られた。シャンユンは、父王は精神の病にかかり城を離れて療養していると言っていた。可能性は高くはないが、私にはどうしてもひっかかった。 遠く見えた塔は意外と近く、しばらく歩いたところで我々はいきなり開けた土地に出て、そのはずれに小さな塔の入り口が見えた。門に積もった埃を払うと、果たして王家の竜の紋が出てきた。 「何やってるんだルヴァ。探究心をたくましくしている時じゃないだろう!」オスカーがわめきたてた。 「ちょっと黙っててください!」思わず私も負けずに怒鳴り返した。 オスカーが口を閉ざした隙に、紋章をつまむとゆっくり右にひねった。竜の周りには十二の文字のような記号のようなものが刻まれている。いつだったかシャンユンに奥庭に連れて行かれたときに、彼女がこれと同じような仕掛けで門を開けていたのを見た。ゆっくりと記憶をたどる。あの時彼女は右のこの記号まで円盤を回して、それから左に回した。それから・・・・。手順をたどりながらゆっくりと円盤を回すと、何回目かでロックが外れる音がした。 中は薄暗く、全くといっていいほど人気がなかった。テーブルも燭台もうっすらと埃が積もっている。 しかし、私にはこの中に、どうも誰かがいるような気がしてならなかった。我々は、螺旋状の階段を上り階上をめざした。 細い螺旋階段を上りきったところに、ただひとつ部屋があった。 扉には南京錠のような鍵がかけられている。 私は控えめに扉を叩いた。 「もしもし。どなたかいらっしゃいますか?いらしたら返事をしてください。」 答えはなかった。 「このありさまだ。きっと中でくたばってるんだろうぜ。」オスカーが吐き捨てるように言った。 「分かったら、さっさと行こうぜ。」 オスカーが身を翻した瞬間に、中から本の微かな、聞き逃してしまいそうなほど微かな物音がした。 「お待ちなされ・・・女王の使者殿」 かなり年老いたらしいしゃがれた細い声が聞こえてきた。 「国王陛下ですね?」私の問いに対して、聞こえてきたのはかすかなため息だけだった。 「貴方の剣で切れますか?」私はオスカーに南京錠を指差して尋ねた。 「どいてろ。」オスカーは、私を下がらせると剣を抜き、鍵めがけて打ち下ろした。 鍵はもともと朽ちてもろくなっていたらしい、カツンと鈍い音をたてて簡単に床に転がった。 私たちは部屋の中に飛び込んだ。 がらんとした室内にはテーブルとベッド・・・ほんの申訳程度の家具以外には何もなかった。 質素なベッドにはこれが人間かと驚くくらいやせ細った老人がひとり、胸の上で枯れ枝のような両手を組み合わせて横たわっていた。 「陛下・・・。」私はベッドの脇にひざまずき、オスカーがそれに習った。 「地の守護聖どの・・・・あなたが僅かでも魔力を受け止める力をお持ちで良かった。私の声があなたには届いたようです。」 国王はこれだけ語ると苦しげにのどから北風のような音を立てて息をついだ。 「補佐官殿の姿を私は見ることができますが、私から補佐官殿に話し掛けることはできません。やつらが気づいてしまうのです。ですから・・・・あなたしかいませんでした。」 「アンジェリークはどこにいるんだ!」押さえきれずにオスカーが叫んだ。 「宮殿ですね?」私が国王に問い掛けると、彼はほんの微かに首を縦に振った。 「あなたがたの女王陛下は、ご退位あそばされたのですね・・・・。それを知ってやつらは・・・・」 それから国王は、深いため息をつくと、この星で起きた出来事について訥々と語り始めた。 「もはや伝説とも言うべき長い長い昔。この土地にその暗き力をつかさどる魔性のものが降り立ちました。遠い宇宙での戦いに敗れ、傷ついてこの土地に舞い込んだかのものは、美しい女に姿を変え、この地で王族とかりそめの婚姻を結んだのです。 魔性のものはこの土地を足がかりに病を癒し、力を蓄え、ふたたび慈愛の存在に闘いをしかけんと企てておりました。王家に使えるいくたりもの人々が彼女によって堕落の縁に沈められました。しかし、王を支える人々はついには彼女の悪行に気づき、力を合わせて彼女を封じ込めたのです。 しかし、彼女の黒い血は我々王族の血の中に残りつづけました。我々は何代かのうちには、あの魔性のものの魔力を受け継ぐものが現われるのではないかと恐れました・・・・・。そして、あの娘が・・・シャンユンが・・・。」 「彼女は魔術を使うのですね?」 私の問いに国王はかすかにうなずいた。 「この地に降り立った魔性の司る力は蛇の力。・・・蛇の力は人を傷つけるようなことはできません。蛇の力は人を誘惑し、その心の弱さに付け入って怒らせ、嫉妬させ、疑わせ、争わせて、傷ついた心を乗っ取るのです。娘は補佐官殿の心を乗っ取って聖地に戻り、そこでまた多くの人を惑わそうとしているのです。」 国王は私の手を取った。乾いた指先はかすかに震えていた。 「許してください。私は情に惹かれ、あの子らを滅ぼすことができませんでした。この星はいずれ人の住めない砂漠の地となります。いずれ魔性の塚もろともすべては滅びると思うと、自ら手にかけることはできませんでした。しかし、子供達はこの滅びの運命を受け入れることができなかった。シャンユンは兄を誘惑し、ウェイは塚を暴き、私をこの塔に幽閉しました。」 国王は再び深いため息をついた。 「あなたがたの女王陛下は、この星のことをずいぶん心に掛けてくださいました。塚を浄化するために陛下自ら足をお運びいただいたこともありましたが、結局魔性の力を根こそぎにすることはできませんでした。「慈愛」は「憎悪」の対極であるがゆえに、「憎悪」を完全に消し去ることはできないのです。」 ここまで話すと国王は激しく咳き込んだ。 「補佐官殿は今、たいへん危険な状態に置かれています。補佐官殿は戦っておられる。もし敗れて補佐官殿のサクリアがウェイらに奪われるようなことがあっては・・・。」 「宮殿だな」オスカーが剣のさやを鳴らして立ち上がった。 「お待ちなさい」国王が強い声でオスカーを押しとどめた。 「剣では魔性の力を封じることはできません。」 国王が私を差し招いた。 「時間が無い。あなたに最後の箴言をお伝えしましょう」 「箴言?」 「我々の祖先から伝わる古の箴言です。最後にして最強の箴言をただ一つお伝えします。 これはこの星を滅ぼすための究極魔法です。私にはもう、これを唱える力がない。 ―――女王のサクリアは破壊の能力を持ちません。炎の守護聖殿は膂力はあるが魔力はお持ちではない。可能性が有るとしたら、地の守護聖殿―――あなただけです。よろしいですかな」 私は戸惑いながらもうなずいた。もちろん自信が有るわけではない。しかし他に方法がないのであれば逃げることは出来ない。 「箴言を口にすることは出来ません。あなたの精神に直接箴言を送ります。復唱してはいけません。口にした瞬間に崩壊が始まります。今はまだその時ではない。一度で覚えてください。よろしいか?」 「はい。」私は再びうなずいた。 国王はゆっくりと私を手招いた。額に王の手がかざされた。 瞬間――――脳裏に強い光がはじけた。衝撃とともに頭の中に信じがたい大音量で『箴言』がひびいた。 額を抑えて衝撃に耐えながら私はその音節の一つ一つを頭の中で繰り返し、脳に刻みつけた。 「覚えましたか?」国王が立ち上がった私を見上げていった。 「はい」私が王に微笑んで見せると、王はひどく疲労した様子で深い息をついた。 「気をつけて。心乱れたときに箴言を唱えると、それは己の身にはね返ってきます。あなた自身を滅ぼすことになります。」 「分かりました」私はうなずいた。 「もう一つ。この箴言はこの瘴気に満ちた空間では威力を発揮できません。瘴気を止めるには魔性を封じた塚を再び封印する必要があります。」 「どうすればいいのですか?」 「城の西方にあるバイヘン山の頂に彼女の墓があります。そこで、このクルスを棺に戻してください」 「これは・・・?」 「彼女がただ一人愛したひとり子。英明王ウェン王のクルスです。」 「分かった。それは俺が行く。」オスカーが手を伸ばし、クルスを取った。 「オスカー。一人じゃ危険です」彼はまだ傷が癒えていないのだ。 「あなたが適任でしょう。」 国王はオスカーに言った。 「山では多くのまやかしが惑わそうとするでしょう。お気をつけて。あやつらは魔法を使いますが、物理的に人を傷つけるような魔法は使えません。精神を攻めて来るでしょう。しかし、貴方なら・・・その強さがあれば・・。」 「決まったな」 オスカーは私を見て不敵に笑って見せた。 「陛下。もし私が箴言を唱えたとして、この星に住む多くの人々を滅ぼしてしまうことになりませんか?」 私の問いに対して国王は淋しげに笑って見せた。 「お気遣いなく、地の守護聖どの。この星にはもう誰も残ってはおりません。去るべきものはみな去りました。あなた方の随従も、近くの星域で飛行艇の燃料を抜かれて立ち往生しています。今有るものはウェイらがあやかしの力を使って生み出したまがいものです。この星と運命を共にすべく残ったいくたりかのものも、私の死に殉じました。」 この言葉を語り終えると、国王は大きく息をついた。 「この星に安らかな終末を・・・・私に代わって・・・・頼みます・・・・。」 ここまで言うと、国王の体はゆっくりと消し炭のような色に変色していった。乾いた肌が徐々にひびわれて灰となり、窓から吹き込んだ風にさらわれて静かに消えていった。 塔の前で、私とオスカーは別れた。 「山を降りたらまっすぐにエアポートに向かってください。聖地から迎えが来るとしたら、あそこしか着陸できる場所はありません。宮殿に戻ってくる必要はありません。我々が戻らないうちに崩壊が始まったら、あなただけでも先に逃げてください。」念を押すように私が言うと 「お前らこそ、迎えが来たら俺に構わず先に行け。まちがってものこのこ迎えに着たりするな。すれちがいはこりごりだろう」オスカーは、片目をつぶって見せると、そのまま身を翻して坂道を下っていった。 私は高台から再び宮殿を見下ろした。 「アンジェリーク。あなたをきっと助け出しますから・・・・。」 |