21.幻影

Oscar


ルヴァと分かれた俺は、枝を燃やすわずかな灯りを頼りに暗い山道を黙々と歩いていた。
確かにこの山の空気の禍禍しさはただ事ではない。昼間のうちから光は全く差し込まなかったし、生臭い空気が体に重ったるくまとわりつくようだった。

突然木立の影から蝙蝠のような黒い影が飛び出してきた。
身をよじって避けたがそいつは思いのほか敏捷で、俺の腕を掠めて飛び去った瞬間に、腕に鋭い痛みが走った。
血がとんだ・・・ような気がしたが、俺にはもうこいつらが全部まぼろしであることが分かっていた。
痛みも血も、こいつらの怪奇なすがたも、みんなこの瘴気が生み出す幻に過ぎない。俺は実際怖がっているひまもないほど急いでいた。

ルヴァには知恵がある。だが武力ではウェイの敵ではないだろう。一刻も早くこの瘴気を静めて宮殿に戻らねばならない。
登るにつれて異形のものは数を増した。そのほとんどを俺は無視して進んだ。


ふいに、道端にぼうっと白く光るものが見えた。
白く光を発するその中心には―――アンジェリークがすすり泣いていた。

「オスカー。助けて・・・・。痛いの。もう、動けない。」

―――俺は、硬直した。

これはアンジェリークじゃない。
「痛いの。オスカー。助けて」泣きぬれた目が俺をすがるように見た。
アンジェリークがこんなところにいるはずはない。
「オスカー。お願い・・・。」アンジェが俺に向かって両手を伸ばした。
俺は思わず後ずさった。
「オスカー。・・・・どうして・・・・。」アンジェの表情に絶望の色が浮かんだ。
誘惑が激しく心を揺さぶりたてる。その反面、俺には分かっていた。これは全部嘘だ。これは欲だ。愛じゃない。

俺は自分でも訳がわからない奇声を発して、まがい物のアンジェを斬り捨てていた。
信じられないことに、斬りながら俺は泣いていた―――。

化け物どもは執拗にアンジェの姿で現れた。あるものは甘い笑顔で、あるものは蠱惑的に俺を惑わそうと仕掛けてきた。だけど俺にはもう分かっていた。俺はもう自分を騙すことは出来なかった。なぜって、本当のアンジェだったら俺を愛するはずはないじゃないか。
俺は立て続けに何体ものアンジェを斬った。おろかな自分を斬るつもりで斬りつづけた。


―――もうこんなことは止めよう。

俺はそう思った。
認めるべきだ。アンジェリークはルヴァを愛している。
そしてルヴァはアンジェリークに愛されるに値する男だ。
この旅で分かった。あいつは度胸もある。強さもある。そして、アンジェを本当に愛している。
もし立場が逆だったらどうだろう。アンジェリークが選んだのが俺だったとしたら。
やつならきっと耐えて見せるだろう。アンジェリークの幸せのため己を殺して見せるだろう。 やつにできてどうして俺にできない道理がある。
アンジェリークが不幸せならまだしも、彼女はルヴァに愛されて幸せなんだ。 俺はアンジェリークがルヴァのことを語るときの、あの甘い満ち足りた表情を思い出した。
いいだろう。それなら俺はその笑顔を守るため、この想いを封印してみせる。

手にぬるりとした感覚が伝わる。アンジェリークの幻影は消え、薄気味悪い化生どもがあたりを埋め尽くしていた。
構うものか。俺はそいつらには目もくれず、目の前に立ちふさがる邪魔者だけを次々とぶった切って進んだ。
時間が無い――――夜明けはもう間近だった。




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