22.再会

Luva


結局、私は正面から宮殿に戻った。
所詮私には冒険小説のような真似はできない。アンジェを奪い返すには彼らと交渉するか、彼らの裏をかくしかない。


宮殿に戻った私をシャンユンはまるで何事もなかったかのように出迎えた。
「まあ、ルヴァ。ひどい人ね。急にどこに行ってしまったの?本当に心配しましたのよ。」
「戻るつもりはなかったのですが、実はひとつ忘れ物をしてしまいました。・・・返していただけませんか?」
「何を・・・・ですか?」
シャンユンは笑顔で小首を傾げて見せた。もちろん、とぼけているのだ。
「あなたはご存知のはずですよ。返していただけなければ、もう友達ではいられなくなりますよ。」
「・・・・・いやです、友達なんて」不意にシャンユンが拗ねたように唇を尖らせてみせた。
「恋人同士だったら・・・考えますけど」
私は不意にこの聞き分けのない小悪魔をひっぱたいてやりたいほど腹立たしく感じた。その後でそんな自分の感情に驚いた。危ない・・・・もう彼女のペースに引き込まれそうになっている。怒りに身を任せたら彼女の思う壺だ。
「ご心配なさらなくても補佐官様はお元気ですわ。兄が彼女のことをとても気に入っておりまして。自分でお世話すると申しておりました。」
この一言は冷静になろうと努力する私に再び大きな衝撃を与えた。
アンジェを食い入るように見つめていた、あの若い国王の酷薄な、そのくせ獣じみた様子が目に浮かぶ。
私は大きく息を吸った。動揺しているのを見破られるのは承知の上だ。隠したところで所詮隠ししおおせるものではない。
案の定シャンユンは嬉しそうに目を細めた。
「大丈夫だと言ってますのに・・・・・まだ補佐官様のことがご心配ですの」
私は不覚にも返事ができなかった。ただ黙ってシャンユンの顔をにらみつけた。
「そんなにあの人のことが好きなんですか?」
こんな質問にはそもそも答える義務はない。
「もう、きれいな体じゃないかもしれないのに?」
この言葉に私は完全に理性を手放しそうになった。思わずかけていた椅子から腰を浮かす。
思わず「アンジェを返せ!」と叫びだしそうになって・・・・・私はふと気が付いた。
今日のシャンユンはいつになく性急だ。私を動揺させようとしてやっきになっているようにすら見える。
彼女が私を篭絡しようとして焦る理由は―――。アンジェはまだやつらに屈服していないのだ。
シャンユンの顔を見ると、向こうもこちらの反応をうかがっている。私は確信した。
アンジェは無事だ―――とりあえず、今のところは・・・。
私は静かに座りなおすと、シヤンユンににっこりと微笑みかけて見せた。
「とにかく彼女はここにいて無事だと言うことですね。安心しました。」
私が怒らなかったことでシャンユンは拍子抜けしたようだった。少しだけ悔しげな表情が浮かび、それがすぐいつもの媚を含んだ甘い笑顔になった。
「そうですわね。お元気ですわ。無事かどうかは分かりませんけど。」
「もう一度だけ、アンジェに会わせていただけませんか?」
「いいですけど・・・おつらくなるだけでは?」
シャンユンは小首をかしげて私の顔を覗き込むように見た。
「そうかもしれませんね。でもやっぱり会わせていただけませんか?」


シャンユンが目を閉じる。その姿が薄くなり、アンジェリークの姿がそれに重なった。
そうか。彼らはこうやって手に入れた人間をあやつるわけだ。
その瞬間。私は陽炎のように揺れるアンジェリークの姿に渾身の力を込めて呼びかけた。
「アンジェリーク!!」
シャンユンの姿に重なったアンジェリークがぽっかりと瞳を開いた。
「ルヴァ・・?」
「アンジェ。気をしっかり持つんです。あなたがシャンユンをコントロールするんです。」
「・・・?」アンジェリークは混乱している。時間が無い。私はシャンユンの―――彼女の手を強く握り締めた。
「周りを見て!あなたは今どこにいるんですか?」
「窓が無くて・・・額に入った大きな絵があります。」
「シャンユンの意識を読むんです。部屋の位置はどこですか?」
「意識を・・・そんな・・・分かりません。どうしたらいいんですか?」
「大丈夫です。つながっているんだから、出来ます。気を落ち着けて。やってみてください。」
アンジェリークは眉を寄せて真剣に試みている。
根拠があって言ったことではない。やはりダメかもしれない。更に強く手を握りしめる。
あきらめかけたときにアンジェリークが目を開いた。
「分かりました。地下です。部屋を出て右に曲がったところに階段があります。階段をあがった正面がルヴァのいる広間です。」
「分かりました。今、行きます。」
手を放した瞬間にアンジェリークの姿は消え、そこには恨めしげに私を見上げるシャンユンの姿があった。
「やりましたね・・・。」
「すみません」再びシャンユンの手を取ると、後ろ手にねじ上げた。シャンユンの顔が苦痛に歪むのを見て思わず手を放しそうになる自分を叱りつけ、彼女の腰から抜いた短剣を彼女の頬に擬した。
「切れないくせに・・・」
シャンユンがあざ笑うように嘯いた。
「切れますよ。」私も負けじと彼女に微笑み返した。
「私はアンジェのためなら地獄に落ちたって構いませんからね。」
シャンユンがまたのどの奥で笑った。
「ひどい人・・・あなたって本当に、最低級にひどい男だわ。」




扉の向こうには愛しい人が立っていた。
数日間会えなかっただけなのに、愛しさがこみ上げてくる。
瞼が熱くなった。自分がどんなにこの人を愛しているのか、よく分かった。
「アンジェリーク」
彼女の名を呼ぶ。愛しい人の名を呼ぶだけで、どうしてこんなにも心が温かくなるのだろう。
「ルヴァ・・・。」アンジェリークが今にも飛びついてきそうになるのを、私は目で止めた。今はまだシャンユンを放すわけには行かない。
「ついてきてください」
アンジェは黙ってうなずいた。私はシャンユンの首筋に短剣を押し付けたまま言った。
「エアポートまで一緒に来てもらいますよ。」
飛行艇を探し当て、オスカーと合流できれば箴言を使わなくて済むかも知れない。
国王の遺言ではあるが、私はまだ心のどこかでためらっていた。


アンジェが閉じ込められていた部屋を抜け、階段を上がろうとしたその時。
アンジェが悲鳴をあげて階上を指差した。
そこには抜き身の青龍刀をさげたウェイが立っていた。


「どこへ行く」相変わらずたどたどしい公用語でウェイが凄んだ。
「我々を逃してくれれば妹さんはお返しします。」努めて冷静に振舞おうとしながらも、私の声は震えていた。アンジェの頬は痛々しく腫れ上がり、顔は血で汚れていた。こいつの仕業だ。怒りにはらわたが煮え繰り返りそうなのを必死で押さえた。シャンユンの体に触れている状態で怒りに我を忘れるのは危険だ。
「そいつは好きにしろ。」
信じられないような言葉がウェイの口から発せられた。
「あなたの妹でしょう」
ウェイは私には答えず、狂人じみた視線でアンジェをじっとみつめている。
「お前は俺のものだ」ウェイは彼らの言葉でそういうと獲物を狙う獣のように唇の端を舐め上げた。


絶対絶命―――。まさしくそんな状況だった。シャンユンを人質にする作戦は失敗した。私の力ではウェイを倒すことは不可能だ。箴言を唱えるのは危険すぎる。オスカーはうまくいったのだろうか?彼が戻るまでは・・・。

ウェイが襲い掛かってきた。私はとっさにシャンユンを放すとアンジェを後ろにかばった。
手近にあった燭台を力任せにウェイになげつける。
ウェイは刀を振るうと燭台をはじき落とした。
「逃げてください」私は後ろを向くとアンジェに言った。
アンジェは首を横に振って動かない。私は焦った。
「空港にオスカーがいます。早く!」
アンジェが大きく息を呑んだ。


ウェイの叫び声が踊り場に響き渡った。
振り向いた私の視線に血まみれのウェイが目に入った。腹から一本の白刃が突き出している。
その向こうには、オスカーが立っていた。


その時のオスカーはまさに悪鬼のようなすさまじさだった。全身は血と泥にまみれて、怒りにまなじりが裂け、赤毛が文字通り炎のように逆立っていた。
オスカーはそれが最後の力だったらしい、気合と共に剣をウェイの体から引き抜くと、そのままひざをつき、肩で荒い息をしている。
ウエイは体から血を吹きだしながら、まだ刀を放してはいなかった。信じられないようなタフさだ。おもむろに刀を握りなおすとオスカーに向き直り、振り上げた。

「やめなさい!」私は渾身の力をこめて叫んだ。
ウェイが顔だけでこちらを振り向く。
「箴言を唱えます。」
ウェイの顔が微かにゆがんだ。
「あなたの父君に教えていただきました。」
「嘘だ。」
「試してみますか。」
私の唇が開こうとすると、ウェイは狂ったように叫んだ「止めろ!言うな!」
私は肩で荒い息をついているウェイを見ながら言った。
「もう、止めましょう。ここを緑の星にしたいのであれば、きっと私たちはお役に立てるはずです。魔性の塚は封印しました。あなたも・・・目を覚ましてください。」
急に今まで黙っていたシャンユンが狂ったように笑い出した。
ウェイが再びアンジェリークを見た。
「・・・・・・・」ウェイは再び奇妙な叫びをあげると、今度はアンジェリークに向かって襲い掛かってきた。
その目はもう完全に正気を失っている。
私はアンジェリークを背後にかばうと、目を閉じた。


「・・・・・・・・・・・」頭を空っぽにして、古代の音で綴られた神秘の言葉を一息に叫んだ。
一瞬の間に、宮殿の柱が裂け、天井が崩れて土煙が我々を飲み込んでいった。



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