2.遺跡からの招待状

Luva



あの、恐ろしい砂の惑星から帰ってきてほどなく、私はやっとの思いでアンジェリークと結婚した。
仲間に囲まれてささやかな式をあげてから、間もなくもう1年の歳月が過ぎようとしている。


結婚して、ふたりの関係は徐々に変わってきた。
私はアンジェが怒ったり泣いたりしても、以前ほどおたおたしなくなった。
考え方を変えてみれば、アンジェリークはとても簡単なのだ。

彼女がぴりぴりして私に八つ当たりをする時、彼女は私にSOSを出しているのだ。
だけど、だからといって彼女は別に私にどうこうして欲しいわけではなくて、そんな時の彼女には、ただ優しくしてあげればいいのだ。泣かせてあげて、落ち着かせてあげて、抱きしめてあげれば・・・そうすると彼女はあっという間に泣き止んで元気が出てきて、そして泣いていたのが嘘みたいに「そうだわ。やっぱりがんばらなくっちゃいけないわ。」なんて、立ち上がって鼻歌まで歌いだしたりするのだ。このメカニズムは私にはどうにも理解できなかったが、とにかくそんなところが可愛いんだから、それでいいのだ。


彼女がいるだけで家の中の雰囲気はびっくりするほど変わった。かつて静寂に満ちていた空間は、日曜日の広場のように活気に満ちたものになった。彼女ときたら日曜日の朝食のパイに「あたりくじ」を仕込んでみたり、埃だらけの屋根裏部屋を真っ黒になって大掃除して「ヒミツの部屋」とやらを作ってみたり、「私はどこでしょう?」と書置きを残して地下の書庫でかくれんぼしてみたり、私に構ってもらおうと次から次へ新しい手を繰り出してくるのだが、困ったことにそれが私にも、楽しくて仕方ないのだ。

天井に頭がつかえそうな屋根裏部屋で膝を抱えて二人でお月見をしたり、ベッドの中で何時間もいろんなルールでしりとりしたり、彼女といると「退屈」ということばの意味を忘れてしまいそうだった。


無邪気で、可愛くて、自由に振舞っているように見える反面、彼女が実はかなり細かく気を使ってくれているということも分かっている。彼女は私が迷ったり行き詰まったりしているのを敏感に察知して、実にさりげなく私を慰め、励まし、勇気付け、叱咤して、驚くほど巧みに私の気持を切り替えさせてくれる。私はいつの間にか以前のようにちょっとしたことで自信喪失したり、ぐずぐずと思い悩むということがなくなった。もともと、こんな賑やかな天使と暮らしていて、落ち込んでいろというほうが無理なのだ。

私の大事なアンジェリーク。世の中にこんなに愛しいと思えるものが他にあるだろうか?
とにかく、さしたる取りえもない私が彼女を妻にすることができたのは、とてつもない幸運を引き当てた、というべきだろう。私はこの平和で幸せな生活がいつまでも続いて欲しいと願った。

続くと信じていた。

ところがまたしても起きてしまったのだ。この平和で満ち足りた日々を揺るがすような新たな事件が。

事の起こりは、1枚の招待状だった。







その日私は陛下に呼び出され、1通の封筒を渡された。
「これは・・・?」
「招待状よ。古代遺跡からの・・・・。」
「・・・・・・はあ・・・。」
「あなた確かイドゥーン文明の発祥地について論文を書いていたわねえ。」
「はあ・・・1年以上前のことですが・・・・。」


その論文とはまだ候補生だった頃のアンジェリークに勧められて発表したものだった。
イドゥーン文明の発祥地が東西二つの大陸のどちらかという二つの説があり、それぞれが出土品の古さで自説を戦わせていた。私は西の大陸説を取っていたのだが、それは古文書の記述を根拠としたものだった。
当時の文化の伝播について様々な紀行文や旅行記のような文章があったのだが、私はふとその中で、距離を表す量詞にいくつかのバリエーションがあるのに気が付いたのだ。ひょっとして陸路と海路では量詞が違うのではないだろうか?思い立った私は前後数千年に及ぶ年代の紀行文を引っ掻き回し、どうやら間違いなさそうだと言う確証を得たのだった。陸路と海路の区別をつけて日数を計算してみると、どうしてもイドゥーン文化の発祥の地は西の大陸ということになるのだ。
最初は発表するつもりはなかった。実に単純なことだし、もう誰かが気が付いているかもしれない。それに、私が古文書を紐解くのはあくまでも道楽で、別に研究しているわけではないし、実際に確かめに行くすべもない。所詮は机上の空論といわれればそれまでだ。
・・・・なんて言うのは言い訳で、要は臆病だったのだ。
ひたすらポジティブなアンジェリークに背中を押されて発表した論文は、当時学会でもちょっとした評判になったのだ。


「オスマン博士はご存知かしら?」
「ええ、論文のことで何度かお手紙をいただきました。」
「彼の息子が、あなたを遺跡発掘に招待したいと言っているの。」

陛下が言うには、イドゥーン最大の王と言われたヘヴェル王の陵墓が西大陸の砂漠の中で発見され、その発掘プロジェクトが発足されることになり、プロジェクトの責任者であるジャレド=オスマン氏が、私をプロジェクトの一員として招待したいと言っているのだそうだ。

「本来なら守護聖の任務を放ったらかしにして、何週間も聖地を空けるなんて許されないことなんだけど・・・・・・行きたい?」
「行きたいです!」
珍しく私は即答した。本当にヘヴェル王の陵墓であれば宇宙の文明史全体にかかわる大発見だった。例の論文の真偽を確認することにもなる。こんな機会はめったにあるものではなかった。

「今なら地の力はとても安定しているし・・・向こうも普通に招待したんじゃ断られると思ったのか、学術団体を通じて正式にあなたを招聘したいと申し入れてきてるのよ。」
「はあ・・・。」
「そんなわけで、今回特別に許可します。行ってきていいわよ。ただし期間は現地時間で三ヶ月。仕事じゃなくて休暇扱いですからね。帰ったら当分休みはなしよ。それと・・・・・」
ここで陛下はぴたっと私の目を見て、念を押すようにゆっくりと言った。
「・・・・・ひとりで行ってね」



退出してからも陛下の言葉が頭を離れなかった。
(ひとりで行ってね・・・・・)
つまり、アンジェリークは措いてゆけということだろう。
それはそうだ、約1ヶ月の長期にわたって守護聖一人が欠けることですら既に充分破格なことなのに、この上補佐官までいなくなったら聖地は大変なことになる。
行くとしたら、当然一人で行くことになるだろう・・・・・・。

イドゥーン文明発祥の地、ヘヴェル王の陵墓発掘――考えただけで胸が高鳴るような話だった。やっぱりどうしても行きたかった。
だけど、アンジェリーク・・・・・・今の私にはアンジェリークがいるのだ。彼女はどう思うだろう?
結婚間もないのに、1ヶ月近く家を空けるなんて、きっととても淋しがるだろう。彼女は反対するかも知れない。


その日アンジェは珍しく少し早めに帰ってきた。
彼女は執事さんが作った夕食を見て「わあ。天婦羅だ。大好きなの、これ。」と嬉しそうに箸を取った。私はいつも彼女が怪しげな手つきで箸をあやつって嬉しそうに食事をとっている姿を見るのが好きだった。
彼女が機嫌が良さそうなのを見て、私はそろそろと切り出した。
「ねえ、アンジェリーク。・・・・私が3週間くらいいなくなっても、あなたは大丈夫ですか?」
アンジェリークの箸を持つ手がぴたっと止まった。
「なんでですか?・・・・・ルヴァ、どこかに行っちゃうんですか?」大きな目がこれ以上ないくらい大きく見開かれて、視線が痛いほどであった。私はしどろもどろになりながら、今日の陛下からの話を話して聞かせた。
「・・・・・・・」黙り込んでいたアンジェは、ふいにコトリと箸を置いた。
(・・・・・泣かれる!)大雨前線を予測して、私は思わず身構えた。

ところが。

パチパチパチ・・・・・・。
箸を置いたアンジェリークはいきなり両手で拍手を始めたのだった。
「すごおい。すごおい。ルヴァったらすごいじゃないですかあ!見られるんですよ、自分で、遺跡を!しかも、発掘してるところを!こないだの研究のことも、自分で確かめられるじゃないですか!」

予想外の反応に私はしばし言葉を失った。
「でもね。あなたは一緒には行けないんですよ。」
「うーん。そうですねえ。私はそんなには休めないし・・・・。ごめんなさい。ルヴァひとりで行って来てください。」アンジェリークは素直にうなずいた。
「じゃあ、いいんですか?行っても?」
「はい。大丈夫です。淋しいけど、私、待ってます。」

ちょっと拍子抜けしたものの、お許しが出たことではあり、私はアンジェリークの気が変わらないうちにと、早速オスマン氏に招待に応じる旨の返事をしたためたのであった。




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