3.出発 Angelique 翌日、陛下が仕事の切れ目に私にちょいちょいと手招きをした。 私が歩み寄ると陛下は、 「行かせてあげることになったの?」と、小声で私に話し掛けてきた。 「もちろん!」私は片手でピースサインを作って陛下に笑って見せた。 「もちろんって・・・・意外ねえ、てっきりあんたは淋しがって反対すると思ってたのに」 「まっさかあ」私は思わずふふっと忍び笑いをもらしてしまった。 「だってえ・・・その間、自分の好きなことできるじゃないですかぁ。ランディ様たちとスカッシュしたり、オリヴィエ様とショッピングに行ったり、ゼフェル様のところでホラー映画を見せてもらったり、和食じゃなくて毎日洋食食べて、それで夜は10時くらいには、もう寝ちゃうの。」 「あっきれた・・・。ルヴァが聞いたら泣くわよ。」 「ルヴァのことはちゃんと愛してるもん。たまにはいいじゃないですかぁ。あっ!ねえ。ロザ・・・陛下のところにも泊まりに行ってもいい?」 「・・・・仕方ないわねえ。」 陛下はおおげさに肩をすくめて見せた。 悪いけど私はちょっとだけワクワクしていた。 もちろんルヴァのことをとーっても愛しているのは事実だけれども、でもたまにちょっぴり窮屈に感じることだってあるのだ。例えば結婚してから、仕事以外で他の守護聖様と遊ぶことは、ぱったりなくなった。ルヴァだって始終好きな本を読んでるんだし、私だってたまには遊びたいもの。 それにここだけの話、ルヴァはちょっぴりやきもち焼きだった。私が他の守護聖様と仲良く話しているのを見るといつも機嫌が悪くなるんだもの・・・・。 招待状に返事を出してから出発までの日は驚くほど慌しく過ぎた。ルヴァは遺跡についての参考文献を山のように引っ張り出して、重くて持ってはいけないから必要なものは覚えるか(信じらんない!)抜書きを作るのだと言って書庫に入り浸っていた。私は私でちょっぴり浮き浮きしながら、ルヴァがいない間の遊びのスケジュールを立てていた。 そうこうする内に、瞬く間に時は過ぎ、いよいよ出発のその日がやってきた。 その日のルヴァのいでたちを見て、私はちょっとびっくりした。 麻袋のような粗末な砂色の長衣を着たルヴァは、すごく若く・・・私と同い年くらいに見えた。いつもよりちょっぴり精悍に見えて、しかも、それが当たり前のように板についていた。 私がびっくりしているのを見て、ルヴァは少し照れたように、それが自分の故郷の一般的な服装なのだと教えてくれた。 それからルヴァは留守中のことについてあれこれと心配し始めた。 「戸締りと火の元は気をつけてくださいね。それから、仕事はあまり無理をしないように。私の部屋は、使ってない時は掃除なんかしなくて大丈夫ですからね。それと、えーと、遅くなった時は歩いて帰っちゃだめですよ。多少待っても馬車を呼んで帰ってくださいね。家のことは執事さんに任せて、あなたはあまりあれこれしなくてもいいんですからね。寒い日は面倒でもちゃんと上着を持っていくんですよ。あなたはいつもちょっと薄着すぎますからねー。そうだ。風邪を引きそうだと思ったら、その時にすぐにクスリを飲んでおいた方がいいんですよ、後でじゃ効きませんから。寝る時はふとんをちゃんとかけて、あなたはすぐにフトンをけとばしちゃうでしょう・・・毎晩私が何回もかけてあげてるんですよ。いない間はどうしましょうかねえ・・・。執事さんにでも頼んでおきましょうか?」 「ルヴァ・・・・。私もう、子供じゃないんだから・・・・。」 「毎晩目覚ましをちゃんとかけるんですよ。鳴ったら止めちゃわないで起きるんですよ。それと、私がいないからって朝ご飯を抜いちゃだめですよ。ダイエットなんてあなたには必要ないですからね。朝ご飯を抜くと却って太りますよ。糖分の吸収率が上昇しますからね。それと、ええっと・・・・ああ、どうにも心配ですねえ。」 「大丈夫ですってばあ・・・・。」 慌しく私にキスをすると、ルヴァは馬車に乗り込み、遠ざかっていった。次元回廊の入り口まで見送ると言ったのだけど、 「朝早いし、平日ですから、家の前で送ってくれればいいですよー。あなたは出仕しなきゃなりませんしねー。」と言われたのだ。 馬車が見えなくなると、私はとたんに脱力してしまった。 「行っちゃったんだ・・・・・。」 あんまりにもあっけなかった。急に淋しさが押し寄せてきた。あんなに楽しみに(?)してたのに・・・。 「へんなの・・・。」自分で言ってから、私は振り切るようにして家の中に戻っていった。 その日の朝ご飯はパンだった。私が執事さんにリクエストしたのだ。「ルヴァがいない間は洋食が食べたいの」って・・・。 もともと朝で眠たいときにご飯を食べるのって億劫で苦手だった。しっかり朝ご飯を食べるルヴァを見て「よく朝から入るもんだ」と思っていたのだ。だけど、いざ洋食のメニューが並んでみると、私は愕然とした。・・・・・ご飯がない・・・・。私はほかほかと湯気の立つ真っ白いご飯を思い浮かべていた。テーブルの上に小奇麗だけどそっけなくセットされたお皿を見ても食欲は全く沸かなかった。いけない。僅か1年の間にすっかりルヴァに洗脳されている。私はもともと洋食派なんだから・・・。スクランブルエッグにベーコン、クロワッサンをミルクティーで流し込みながら、私は「おいしい。おいしい。」と自分に必死で呪文をかけた。 その日は何だか執務にもちっとも身が入らなかった。朝がパンだったせいか、お昼前にはもうお腹がすいてふらふらしていた。執事さんには何も言ってないから、きっと晩御飯も洋食に違いない。それを一人で食べるんだ・・・。何だかもうそれだけで帰る気がしなくなっていた。 こっそり地の守護聖の執務室に滑り込むと、いつも彼が座っている椅子に腰掛けた。きちんと片付けられたデスクの上にちょこんと乗せられた写真立には、候補生の頃のリボンをつけた私の写真が飾られていた。何度も来ている執務室なのに、私は今までちっとも気が付いていなかった。いつもこうして私のことを見守ってくれていたんだ・・・。 ぽろ・・・・と涙がこぼれて来た。 「寂しいよう・・・・」 ひと言つぶやくと、涙がそのまま止まらなくなってきた。 「ルヴァ・・・・。早く帰ってきて・・・・・。」 私はいつしか机につっぷしてしくしくと泣き出してしまった。 |