10.罠
Luva
ジャレドとの話を終えた私はいったんテントに戻った。
エドワードとの約束にはまだしばらく時間がある。これまでの遺跡に関する資料をまとめたノートに手を伸ばし、パラパラとめくってみたところで、入り口の幕の外からユーイーの遠慮がちな声が聞こえた。
「あの・・・・あのね、ルヴァ、今ちょっと、いい?」
「どうしたんですか?」
幕から顔を覗かせると、ユーイーがいつになく緊張した、落ち着かない様子で立っていた。
「あのね、ちょっとルヴァに話って言うか、相談があって・・・・・」
「どうぞ、入ってください。」
中に入るように促すと、ユーイーは首を振って私の腕を捉えた。
「ここじゃダメなの・・・・・来て。」
私の腕を引っ張るようにして、ユーイーは足早に歩き出した。 ユーイーは、どうやら遺跡に向かっているようだった。
夕方に入って急速に気温が下がってきている。作業者達はすでにテントに引き返していて、発掘現場にはいくつかのカンテラが揺れているだけで人影もなかった。
ユーイーは懐中電灯をつけると、私の腕をひっぱったまま、どんどん遺跡の中へと入っていく。
入り口付近の石室の一つに入ると、ユーイーはやっと立ち止まり、あたりをきょろきょろと見回し始めた。
「どうしたんですかユーイー?話っていったい・・・?」
ユーイーは私の問いには答えず、再びきょろきょろとあたりを見回した。
「おかしいなあ、ここで待ってるっていったのに・・・・」
独り言をつぶやいたかと思うと、ユーイーは、くるっと私の方に向き直って申訳無さそうに言った。
「ごめんね・・・・ルヴァ。あのね、話があるって言ったのね、あれ、嘘なの・・・。」
「嘘・・・?どうしてまたそんなことを?」
「ホントはジャレドにこっそりルヴァを呼んで欲しいって言われたの。やだって言ったんだけど、ルヴァのためにもいいことだからって言うから・・・・。」
「ジャレドが・・・・?」
奇妙な感じがした。ジャレドにはつい今しがた会ったばかりである。用があるにしても、こんな手の込んだ呼びつけ方をする理由は何なんだろう・・・?
「あたし、ジャレドを探してくる!その辺にいるかもしれないし・・・」
ユーイーはくるりと踵を返すと、奥の石室の方へ走り出そうとした。
その時、私はふと石室の奥のほうから薬品の嫌な匂いが漂ってくるのに気が付いた。
「ユーイー!危ない!」
慌ててユーイーを引き寄せると抱きかかえる。同時に爆音が起こった。 天井から小石がバラバラと降り注ぎ、粉塵がいっせいに舞い上がる。入り口付近の壁が音を立てて崩れると同時に、奥の部屋で真っ赤な火柱が上がった。出口は、そこだけ狙ったかのように崩れて塞がっていた。せまい奥の部屋はあっという間に炎に包まれ、炎は今にもこの部屋に回ってきそうだった。
私はユーイーを離すと、奥の部屋との間の、作業のため取り外されていた石の扉を引きずり上げ、なんとか扉に立てかけた。重みですぐに倒れかかってくる石の扉を、とりあえず背中で支える。
ほんのわずかだが時間が稼げると、私はあわただしく周囲を見回した。
呆然として為すすべもなくへたりこんでいるユーイーを叱咤する。
「ユーイー!しっかりしてください!」
「はっ・・はいっ!」
ユーイーがぴょこんと立ち上がった。
私は部屋の隅の、作業用に開けた空気取りの穴を指差した。やせっぽっちのユーイーなら何とか通れそうな大きさだった。
「ユーイー。あそこに通風孔がありますね。あなたなら通れます。行ってください。」
「ルヴァは・・・・?ルヴァも一緒に行こう。」
私は苦笑した。扉を離したらあっという間に炎が吹き込んでくるだろう。それに、通風孔の大きさはさすがに私では無理だった。
「これを・・・・」
私はユーイーを手招きすると、ノートを手渡した。これまで調べたこの遺跡についてのさまざまな情報を書き留めておいたものだった。
「それから、急いでエドワードに伝えてください。『気をつけるように』、と・・・」
爆発の前に薬品の匂いがした。炎の様子を見ても明らかに自然発火ではない。何者かが遺跡を、もしくは私を狙っているのだ。万一ジャレドが何らかの形で関わっているとしたら、キャンプにいるエドワードの身も危険だった。
「早く・・・・火が回らないうちに行きなさい。」
私は硬直しているユーイーを促した。
「落ち着いて。落ち着けば大丈夫です。煙が回ってきたら口を何か布で押さえて、体勢を低くして吸い込まないようにするんですよ。」
ユーイーは、泣きながら小さく首を横に振った。
「行きなさい!」
私が怒鳴ると、ユーイーはちょっとためらった後、はじかれたように走り出した。
ちりちりと布がこげる音がして焦げ臭い匂いがした。
ユーイーの姿が見えなくなると、私は周囲を見渡しながら扉を離すタイミングを計った。背中が焼けるように熱かった。このままこうしていても焼け死ぬのを待つばかりだ。しかし扉を離せば、酸素を得て一気に炎が吹き込んでくるのは明らかだった。
私は慌しく石室の構造を頭の中で思い返した。ここは真ん中の石室を中心に反対側の石室と、間取り的には対の構造になっていた。向こう側の石室でおとといエドワードが隠し扉を見つけたばかりだった。エドワードは非常に目が利くから、ささいな石壁の状態からめざとく入り口を見つけ出してみせたが、あの芸当は私にはできない。落ち着いて探している時間もない。
私にあるのは記憶だけだった。私は若干部屋の形は違うものの、向こう側の石室の隠し扉があった位置とほぼ同じ位置にあたりをつけた。同じ場所にあるという根拠はない。だが、もう選択の時間は残されていなかった。
・・・・このまま死ぬかもしれない・・・・。ふとアンジェリークの顔が脳裏をよぎった。
私は思い切って堪えがたいほど熱くなっている石の扉を離すと、向こう側の壁に体当たりした。せまい石室の中には一気に炎が吹き込んで、空気まで真っ赤に燃えているように見えた。
石壁がゆっくりと半回転して、私は背中を押されるようにして続きの間に転がり込んだ。
回転扉が音を立てて閉まると周囲は闇に閉ざされた。
助かった・・・・と言えるような状況ではなかった。
炎がこないだけいいようなものの、石壁のあちこちの隙間からものすごい勢いでガスが吹き込んでいた。 仮に助けが来たとしても、これではもうとうてい間に合わない。
今度こそ、もう、どうしようもない。私は覚悟を決めた。ユーイーを助けられただけでも僥倖だった。
アンジェリーク・・・・・。
聖地に残してきたアンジェリークのことを思い出した。自分が死んだら彼女は泣くだろうか?かわいそうなアンジェリーク・・・。 遺言くらい残しておかなかったことが悔やまれた。他のことはどうでもいいけれども、彼女には幸せな一生を送って欲しい。あの若さで未亡人なんてあまりにも不憫だ。オスカーあたりと再婚でもしてくれれば、彼なら一生アンジェを守ってくれるだろうけれど・・・。
(ルヴァ・・・・・。)
煙を吸い込みかけて激しく咳き込みながら、なぜか彼女の声が聞こえるような気がした。
「ああ。アンジェリーク。人間死期が迫るといろんな思い出がよみがえるって言いますけど、本当ですね。」
「なにバカなこと言ってるの。しっかりしてよ!」
今度は妙にリアルに聞こえた。なんだか煙の中でぼんやりと姿まで見えるような気がする。私は思わず幻のアンジェに向かって言った。
「アンジェ、もし私が死んだら、あなたはずっと一人でいる必要なんかないんですからね、誰かいい人がいたら再婚して・・・・。」
いきなり―――ものすごい勢いでアンジェの平手打ちが襲ってきた。
「意気地なし!しっかりしなさいっ!!」
「はっ・・・はい!」 怒鳴られて私は思わず飛び上がった。頬がジンジン痛む。これが本当に幻なんだろうか?
「地の守護聖なんでしょう?知恵を司ってるんでしょう?考えなさいよ。努力してよ。火の習性は?土は?気体は?何か方法があるでしょう!?」
殴られた痛みと共に、思考が戻ってきた。そうだ、何もできないけれど、少なくとも考えることはできるわけだ。
「あなたが死んだら私、一生不幸になってやるから!宇宙で一番クライ女になってやりますからねっ!」
捨て台詞と共に、アンジェは現われた時と同様の唐突さでかき消すように消えてしまった。
私は呆然と立ち尽くしていた。 室内の煙が段々濃くなってくる。私は慌てて身をかがめた。
「分かりました。あなたのために最善を尽くします。」
つぶやくと、 体の位置を低くして、袖を裂いて水筒の水で湿らせた。それで口をふさいで私は手探りで土房の中を歩き回った。
目が慣れて来たのかガスが立ち込める室内でも、周りがぼんやりと見えるようになってきた。壁に生えている光ゴケの薄ぼんやりした光を頼りに室内を見渡すと、ふと床の一角に五芒星に似たマークが埋め込まれているのが目に付いた。五角の先端には暗くてよく見えないが、梟と烏、蛇、山猫、そして山椒魚のような水棲生物の刻まれた石が埋め込まれている。このデザインには見覚えがあった。何かの資料で見たことがある。ただし、5つの動物の順番は資料のものとは少し違っているようだった。私は指で動物の文様に触れてみた。文様が刻まれた小石は手もなくスルリと動いた。
これは・・・・何かのカラクリの鍵なのだろうか・・・・?
小石は一度に一つずつしか動かせない。煙を吸わないように気をつけながら、パズルを解く要領で動かしていくと、数分の後にはパチリと音がして、最後の小石が収まった。
そのとたん、軋むような奇妙な音が石室の中に響き渡った。かすかな振動と共に、天井から小石が降ってくる。私は袖で小石を避けながら、音のしたほうに体を低くして移動した。
既に室内には煙が充満して、目を開けているのも苦しいほどだった。
石室の端に置かれた石棺が目にとまった。音はこちらから聞こえたような気がする。
かなり気味悪かったが、私は石棺の蓋に手をかけて、一気に持ち上げた。
石棺の中を覗き込んだ私は、そこに信じられないものを見て、息を呑んだ。
石棺の底は真っ暗な空洞で、そこからは一筋の、地下へと続く長い石段が伸びていた。
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