14.ヘイロン
Luva
いつ果てるとも知れない長い石段を、私はかなりの時間をかけて下りきった。
石段の突き当りはせまい踊り場のようになっていて、そこには遺跡にはそぐわない、明らかに最近付けられたと見られる鉄の扉が付いていた。
無造作にとってつけたようなその扉に、私は一瞬、炎や煙以上の危険を感じた。
石室からは既に10メートル以上は下っている。ここは既に地下宮殿の一部なのかもしれない。そんな遺跡の最奥部に、発掘隊より先に何者かが侵入している?
明らかに危険信号だった。先ほどの火災もこのことと関係がありそうな気がした。
引き返そう。―――私は瞬時に決めた。煙さえやり過ごせば、まだ上のほうが何とかなりそうな気がした。
石段に取って返そうとしたその瞬間、背後の扉がゆっくりと軋んだ。
「どうしたんですか?・・・・突っ立ってないで、お入りなさい。地の守護聖どの・・・・。」
扉の内側から、低い、暗い声がした。思わず身震いが出るほどの、陰鬱な声だった。
鉄の扉がゆっくりと内側から開き、急に視界が明るくなる。私は思わず眩しさに目をそむけた。
中から光と、濃いタバコの煙が溢れ出してくる。 ようやく目が慣れてくると、奥に二人の男が立っているのがおぼろげに見えた。 ダークスーツを着た背の高いやせぎすの男と、もう一人・・・・そこにジャレドの姿を見つけて、私は愕然とした。
「ジャレド・・・・・?」
どうしてあなたがここに?と、聞こうとする前に、ダークスーツの男が椅子から立ち上がってパチパチパチと手を叩きながら歩み寄って来た。
「さすがは地の守護聖どの・・・・・合格ですよ。突然の事故の中で、あなたは常に冷静に、一番生存率の高いルートをたどって行動された。しかもあの娘を逃がして見せた。・・・・お見事です。」
「・・・・・・・・・・。」
わけがわからない事件の連続の中で、一つだけ事実が見えてきた。つまり、どうやら私が今ここにいるのは、彼らによって仕組まれたことのようである。
「これは、ご挨拶が遅れましたな。」ダークスーツの男が唇をゆがめて笑った。
「モーグイという組織はご存知ですか?まあ、ご存知ないでしょうな。もっぱら辺境を根城にするチンピラの集りですよ。私はそいつを仕切っております。ヘイロンと申します。」
ヘイロンと名乗る男は芝居がかったしぐさで頭を下げて見せた。
”モーグイ” ――その名前は知っていた。オスカーから聞いたことがある。最近辺境で急速に勢力を伸ばしてきている組織ということだった。チンピラどころじゃない、悪魔のような連中だった。彼らは貧しい星に麻薬や武器を撒き、秩序を失わせ、政治を骨抜きにした挙句、星単位で経済面から征服してしまう。工場や農場を建て、生きる力を無くした人々を牛馬のように使い、更に別な星域に売り払う。企業乗っ取り、株価操作から核兵器の売買まで、なんでもやる連中ということだった。
新女王のサクリアを受けて、ようやく活力を取り戻しかけた辺境の星域が彼らの主なターゲットだった。女王の指示で調査が行われたこともあったが、どういう情報網を使っているのか、調査隊が到着した時には彼らはすでに土地の資源を根こそぎ奪い立ち去った後、ということが何度かあった。
「どういうことか、説明していただけませんか?」
私はジャレドに向かって言った。ジャレドは黙って顔を背け、替わりにヘイロンが言葉を続けた。
「あなたのような頭のいい方は、こんなままごとみたいな発掘現場ではとうていご満足いただけないと思いましてね、スペシャルコースを用意して差し上げたんですよ。」
ヘイロンはゆっくりと紫煙をくゆらせながら、私と体が触れそうなくらい傍まで歩み寄ってきた。
「この陵墓に地下宮殿が存在することは、もうお察しでしょう?本当のヘヴェル王の財宝が隠されているのも、もちろんその中です。あなたには、地下の迷宮を通り抜けて、それを見つけてきてほしいんですよ。
」
「無理に決まっているでしょう?」
私はせいぜい淡々と答えた。これは正直な事実だった。「二百キロ平方メートルの巨大迷路ですよ。一人で行ってどうなるものじゃないでしょう?」
「確かに、他の人には無理でしょう・・・・だからこそ、あなたをお呼びしたんです。試してもみたんですよ。金に詰まった研究者どもを十数名投入しましたが、一人も帰っちゃ来ませんでしたよ。大方途中で野たれ死んだか発狂したか・・・・そこで我々もやっと気が付いたわけです。クズは何人集めても所詮クズ・・・・だからこうして宇宙一の知識にお出ましいただいたわけです。」
ぞっとするような話だった。私が初めてではないのだ。この悪魔のような男は既に何人もの命をこの遺跡の中で、もっとも残酷な闇と飢えの中で終えさせているのだ。恐怖よりも、まず怒りが湧いた。偉大なる歴史に対する、これは明らかな冒涜行為だった。
「そんな話を聞かさせられて、私が承知すると思っているんですか?」
ヘイロンはゆっくりと微笑むと私の肩に手を置いた。
瞬間、腹部に焼けるような衝撃と痛みが走った。
身構える隙もない、一瞬の間の膝蹴りだった。
私はあっという間に床に膝をついていた。
胃が激しく痙攣して、胃液と一緒に吐いた血が床に流れた。
そのまま襟をつかまれ引きずりあげられると、続けざまに二度、三度と息も止まりそうな勢いで、腹部に拳を打ち込まれた。
私は激しく咳き込んだまま、焼け付くような痛みに、しばらくは立ち上がることも出来ずにいた。
ヘイロンは何事も無かったかのように上着のすそをはらうと、私に向かって微笑みかけた。
「すみません。手荒な真似をして・・・・・あなたがどうもご自分のお立場を忘れていらっしゃるようなので・・・・・。そんな偉そうな口は聖地では通用するかもしれませんけど、ここでは無意味ですよ。本職を舐めてもらっちゃ困ります。」
私は激しく咳き込みながらも何とか顔を上げることが出来た。 こんな暴力は許されるものではない。
「選択肢なんてありませんよ。行くか、死ぬかどっちかに決まってるでしょう?死ぬとしてもラクには死ねませんよ。・・・・・まあ声を上げなかったことは誉めてあげましょう。流石はXiamomian(砂漠の民)の末裔・・・・・辛抱強いのが取り得というわけですね・・・・。」
「あなたは・・・?」
その言葉を聞いた瞬間、私の全身を雷が落ちたような衝撃が貫いた。
" Xiamomian”、今、彼が完璧に発音して見せたその言葉は、私の故郷の古い土語だった。私は信じられない気持で、彼のくすんだブルーの髪を見上げた。
男は私を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「腐った星ですよ。・・・・・あなたは早く出られて良かった。大概の連中はわずかな土地や水にへばりついて、虫けらみたいな一生を終えるんです。ただ我慢するだけが取り柄でねえ・・・。外へ出る甲斐性があるやつなんてほとんどいやしません。」
「なるほど・・・・。あなたはその外へ出た一人と言うわけですか?」
ヘイロンは私の問いには答えず、ただニヤっと口辺に歪んだ笑みを浮かべて見せた。
「私はいやですねえ。自分があんなところで生まれたかと思うとぞっとしますよ。むしろ目障りです。早晩消去してしまおうかと思ってますよ。」
ヘイロンは、まるで私の反応を楽しむかのように、私から目線をそらさずに言葉を続けた。
「・・・意外とカンタンですよ。 まず、貧弱な流通網を押さえて食物にクスリを混入させます。その後クスリの売人を数十人単位で送り込みます。最初は安く売るんですよ。すぐにみんな、それナシでは生きていけないようになります。その後で徐々に値を吊り上げていく・・・・そうすると、どうなると思います?面白いですよ。クスリの値段が上がるに連れて、他のものの価値がどんどん下がっていくんです。男はみんな誇りを捨て、金持ちのクツを舐めるようになります。女はわずかな金のために往来で下着だって脱ぐんですよ。どうですか?あなた、そうなってもあの星を自分の故郷だって・・・・」
「止めなさい!」
耳を覆いたくなるような言葉に、私は思わず叫んだ。
「理由を聞かせてください。どうしてですか?どうして自ら自分の体を流れる血を汚すようなことを言うのですか?」
ヘイロンの目が一瞬凶悪な光を浮かべた。
「面白いことをおっしゃいますね・・・・では、伺います。あなたの血は穢れていないのですか?」
ヘイロンは再びゆっくりと私に歩み寄った。
「それじゃあ、見せていただきましょう。あなたが他の虫けらどもと同じかどうか・・・・。」
あっという間に今度は体を床にうつぶせに押し付けられた。上腕部を靴底で床に押し付けられたまま、今度は左手を後ろにねじ上げられた。 不自然にねじり上げられた腕が軋んだ音をたてた。
「あなたは頭のいいかただから最初にちゃんと説明しておきます。これは脅しじゃありません。やせ我慢はしない方がいい。私は本気です。」
ヘイロンはわざとのように、ねじ上げた腕に徐々に力を加えていく。
「どうですか?痛いでしょう?怖いでしょう?許しを乞うてみますか?まだ間に合いますよ。」
反抗するのは敵を挑発するだけだというのは頭では分かっていた。ここで意地を張るのは命取りだし、全く意味がない。しかし、これは許せなかった。理窟ではないのだ。どうしても承服するわけにはいかない。体が、血が、全身で拒んでいた。
「イヤですか?どうして?ゆっくり折られるととても痛いんですよ?」
いやな音がした。 脳天を突き抜けるような狂気じみた痛みが走り、脂汗が全身から一気に噴出した。声を出さなかったのは辛抱強かったのではなく、叫ぼうにものどが詰まって声が出なかったのだ。私は呼吸が止まりそうになりながら激しくむせ返り、それがまた名状しがたいほどの痛みをもたらした。
「ああ・・・・折れちゃいましたよ。驚きました。意外とバカですね。あなたも。」
ヘイロンは薄笑いを浮かべると、私の傍らに屈み込んだ。
「あの星の連中の悪い癖ですよ。意味の無いところで意地を張りたがる。・・・・ 今時流行らないですよ、こんなターバンで貞操を守るなんていうのもね・・・。」
「何を・・・。」
止める間もなく、ターバンはヘイロンの手でむしりとられていた。
「馬鹿馬鹿しい・・・・・。」
ヘイロンはつぶやくと手の中のターバンを床に落として、靴底で、踏んだ。
――許せない。 これだけは絶対に許せなかった。 怒りに全身が震えた。自分のどこにそんな力が残っていたのか、私は何とか両足で立ち上がると、思わずヘイロンの暗い瞳をまっすぐにらみつけた。
「ほう・・・・いい目をなさいますね。」ヘイロンがまた笑った。
「あなたのそんな目が見てみたかったのですよ。あまり平然とされていたんじゃあ、こちらもおもしろくありませんからね」
私は無理やりまっすぐに立つと、きわめて本質的な質問をした。既に回り道をしている体力は無い。
「結局、あなたの目的はなんですか?私を殺したいんですか?それとも財宝ですか?」
「とりあえず、財宝、ですよ。その後はあなた次第です。」
「だったら率直にお答えしますが、今すぐ行くのは無理です。殺されようと無理なものは無理です。」
「今すぐ・・・というのは?」
「せめて2日間、準備させてください。資料も必要です。私は命がかかってますし、あなただって失敗したくないでしょう?」
ヘイロンは私の言葉に手を叩いて笑い出した。
「これは傑作だ。さすがですね。この期に及んで私に交渉を仕掛けるとは・・・しかも、おっしゃることにきちんと筋が通っている。私で無かったら、うっかり乗るところかも知れませんね。・・・・・・
ダメですよ。あなたが言うことが正しいのは分かってます。だけど、こんなに頭が良くて冷静な方に2日も時間を与えたら、どんなことを考えつかれるかと思うと、とても時間は差し上げられませんね。」
ヘイロンは再び悠然とテーブルに戻ると、手にしていた巻きタバコを揉み消した。
「さあ、そろそろ遊びはおしまいにしましょう。あなたは時間を稼ぎたいかもしれないけれど、私はあまり気が長い方じゃない。一気に話を片付けましょう。・・・・これを出せばYESと言っていただけますね?」
そう言ってヘイロンは懐からゆっくりと何かを取り出した。
「それは・・・・!」
ヘイロンが懐から取り出したものを見て、私は愕然とした。
「uxa die buneng lvgai die yuban・・・・・我が離れがたき半身・・・・・・ふぅむ、これは地の守護聖殿としては、いささか陳腐ですな・・・。」
彼が目の前に取り出して見せたものを見て、私は今度こそ完璧に打ちのめされそうだった。
アンジェリーク・・・・・どうしてアンジェリークがここに・・・・・・。
故郷の言葉で誓いの言葉を彫り込んだ細い銀の指輪・・・・・それは私がアンジェに贈った結婚指輪だった。
「・・・・ここにいるんですか?」
私は声が震えそうになるのをどうすることもできなかった。
「さあ・・・・?どうでしょうね?」
「いるならあわせてください。」
「なるほど、指輪だけじゃ証拠にならないとおっしゃるんですね。ごもっともです。じゃあ指ごとお目にかければ分かりますか?指で分からなければ、腕1本・・・足1本あれば分かりますかね?」
「分かりました!」
私はほとんど叫ぶように答えた。頭がどうにかなってしまいそうだった。駄目だ。彼には策略も交渉も通じない。彼は本気だ。ここでNoと言えば、アンジェはどうなるか分からない。
私は咄嗟に心を決めた。迷宮に入る――取り合えず、他に選択肢は無かった。
「迷宮で何をすればいいんですか?財宝を見つけても一人では持ち出せないでしょう?」
「あなたもご存知のヘヴェル王の伝承どおりですよ。王の棺が安置された聖殿の間に財宝の鍵があるそうですね・・・それを持ってきていただきたい。」
ヘイロンの合図で今度はジャレドが私に歩み寄ってきた。
ジャレドは私と視線を合わさないまま、俯いて私の服の襟に何か小さな金属を止めつけた。
ヘイロンがジャレドの替わりに説明した。
「あなたの服に発信機をつけさせていただきます。こうしておけば、あなたが戻られた後に、あなたの通ったルートを通って我々だけでもお宝を運び出せますからね。分かっていると思いますが、発信機を捨てたり壊したりしたら、あなたは戻って来ないとみなしてゲームオーバーになります。そうしたら、我々は奥方を売り飛ばすなりしてせいぜい元を取ることを考えなきゃなりません。」
「ご心配なく・・・・ちゃんと戻りますよ。」
私は敢えて間をおかずに明確に答えた。
これは虚勢だった。自信などあるわけが無い。・・・しかし、ここで彼らに見込みがありそうだと思わせておかなければ、彼らに早まられてはアンジェリークの身柄が危険だった。
「これは、頼もしいですな。」
ヘイロンがくぐもった笑い声を出した。
「迷宮の入り口は分かっているんですか?」
「もちろん・・・この部屋自体が入り口の一部となっています。あそこの扉からゲーム開始です。」
ヘイロンは部屋の隅の、入ってきたときと同じような急ごしらえの鉄の扉を指差して見せた。
「・・・・これをお持ちなさい。」
ヘイロンが、デスクに置かれた粗末な布袋を私に放ってよこした。投げつけられた布袋は私のちょうど左腕にあたり、私は衝撃に顔をしかめて大きくよろめいた。わざと折れた腕をねらったのだ。倒れなかったのはせめてもの意地だった。
「死なれちゃ元も子もないですからな、10日分の食料と水、医薬品が入ってます。」
怒りは感じたが、私は袋をひろった。手ぶらで入っていくのは命をどぶに捨てるようなものだった。
「戻られたらその扉をノックしてください。・・・まさかと思いますが、手ぶらで戻られたりしないように・・・。あなたならそんな心配は不要とは思いますがね・・・・・」
ヘイロンは自分で先に立つと、重い鉄の扉を押し開けた。
ドアの向こうは漆黒の闇と湿っぽい石畳が続いていた。
「幸運をお祈りしますよ。地の守護聖どの・・・・・・・」
皮肉な声とともに鉄の扉が閉ざされ、私の目の前は一転して闇に閉ざされた。
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