15.彷徨
Luva
暗闇がすべてを包んでいた。
いくらも進まないうちに、私はもう立ち止まってしまった。
完全にお手上げだった。どうしようもなかった。
正確に言えば、可能性はゼロではない。約200キロ平方メートルの巨大迷路は、明るければ、道さえ分かれば、トラップに当たらなければ・・・・単純に距離だけの問題なら、1週間もあれば踏破できるはずだった。
わずかながら可能性はあるのだ。頭さえちゃんと働いてくれれば・・・・・。
エドワードとも話したが、既に発見されたいくつかの地下迷宮は同じ工房もしくは同じ人物の手によって設計された可能性が高い・・・・同じ構造になっていると言う可能性すら考えられるのだ。現に4つのうち2つは全く同じ構造だった。もしここの構造が、あの3つのどれかと同じであるならば、記憶をたどって最奥の聖殿の間にたどり着き、戻ってくることは不可能ではないかもしれない。
しかし、私は歩き始めてすぐに思い知らされることになった。
精神や知力というものは、所詮、肉体の支配を免れることはできない。とても弱くて、もろいものなのだ。腕の激しい痛みと疲労が思考力を根こそぎ奪っていた。暗闇の圧迫感がそれに追い討ちをかけた。頭の中に地図を描こうと焦っても少しも集中できずに冷や汗だけが無駄に流れた。
私は明らかに畏縮していた。暗闇が、迷路が、どこまでも続く石畳の途方もない距離が素直に怖かった。何も考えたくなかったし、考えようとしてもろくに思考がまとまらなかった。このまま気が狂ってしまうんじゃないだろうかと漠然と思った。
アンジェリーク・・・・。
どうしようもない状況の中で、あなたの笑顔が脳裏に浮かんで消えた。
あなたはいつも無邪気に私を頼ってくれるけれど、本当のところ、私はそれに値する人間じゃない。
弱いのだ、本当は、とても・・・・・。
あなたの前で虚勢を張ってみせているだけで、本当はこれしきの傷や恐怖にすら耐えることのできない弱い人間なのだ。
頭の芯が疼くように痛んで、胃が引きつるように吐き気がした。
私は石畳にずるずると座り込んでしまった。
頭の中にとりとめもなくいろんなことが蘇ってきた。
あなたが執務室で泣き出したこと、執務室に入ってくれなかったあの日、初めての口づけ、あなたの背中の白い羽、初めて二人で過ごした夜、結婚式の紅いドレス・・・あなたに出会って初めて知った喜び、悲しみ、嫉妬、欲望・・・・・。
だけど・・・・だけど、私は、あなたに出会うまでは、もっとどうしようもない人間だった。
多分あなたに会わなければ今でもそのままだったろう。
いつも周囲から一歩身を引いて、争わず、逆らわず。
穏やかな人格者だなんて人からは言われても、とどのつまりは臆病なだけだった。
自分に欠けている、いつも渇いている部分から目を背けて・・・。
手を伸ばして何かを求める勇気がないままに、「これで満足なのだ」と自分に言い聞かせて・・・。
あなたに会って、それが変わった。
私は初めて自分からあなたへと手を伸ばし、あなたはその手をしっかりと握り返してくれた。
私は自分に嘘をつくのを止めた。
私は自分の弱さや愚かしさ、臆病さを否定しなくなった。
だって、あなたは、そんな私すら理解して愛してくれたから・・・・。
私は周囲を気にしてやりたいことをあきらめるのを止めた。
私は少しだけ欲張りになって、自分を大切にするようになった。
そうしたらその分、周りのことももっと大切に思えるようになったのだ。
アンジェリーク・・・・・・。
あなたに会って私は本当の自分を見つけた。
そして、もしあなたを失ったら、・・・・・私は、もう、自分じゃない。
・・・もし、私が戻らなかったら・・・・。
アンジェリークは・・・・・・。
一瞬、瞼の裏にアンジェリークの泣きぬれた顔が浮かんだ気がした。
――彼女が鞭打たれ、血を流し、犯されて泣き叫んでいる姿。
稲妻に打たれたように全身が震えた。体中が総毛だって、冷や汗が滴り落ちた。
息が、止まりそうだった。
その姿を思い浮かべることは、腕の痛みの何倍も耐えがたかった。
考えただけで気が狂いそうだった。
駄目だ・・・・それだけは、耐えられない。 それだけは・・・・許せない。
彼女だけは失うわけには行かない。
「・・・・・・くっ・・・うっ・・・。」
石壁を伝って、何とか立ち上がることができた。
汗が重苦しく背中を伝って流れた。
だらんと垂れ下がった腕が揺れるたびに、脳まで響くような痛みが走る。
懐に手を入れて、手に触れたものを引っ張り出した。
赤いリボン――それに口づける。
「大丈夫。必ず、あなたを助けますから・・・・・。」
私は闇の奥に向かって、もう一度、目を凝らした。
これから入り口付近の地形を調べる。
頭の中の3枚の地図のどれかと一致するものがあれば、それを信じて行くしかない。
赤いリボンを手のひらに握り締めて、よろける足元を何とか踏みしめながら、
私は再び、目の前に横たわる暗闇の、その奥を目指した。
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