紅のしずく.6
Julious
翌朝早く、目を真っ赤に泣き腫らして、それでもコライユは部屋にやってきた。
「そこは開けておくが良い。」
ドアを閉めようとするコライユに、私はつとめていつもと変わらない口調で言った。
「閉めなくて良い。・・・そのままで そこに座ってくれぬか?」
コライユは大人しくドアを開け放つと、ソファに腰をおろした。
私はデスクを離れると、ゆっくりと彼女の向かいに腰を下ろした。
「夕べはすまなかった・・・・。許してくれとは言わぬ。許されることではない。そなたの気が済むようにしよう。跪けというなら跪こう。」
コライユはうなだれたまま微かに首を横に振った。
「・・・もし、まだ仕事を続けたいということであれば、他の守護聖の屋敷を紹介しよう。希望があるなら聞かせてほしい。そなたほどの能力があれば、どこの屋敷でも歓迎されるはずだ。」
うなだれていたコライユが顔をあげた。瞼の赤さが痛々しい。
「ただ、一つだけ、・・・・言い訳をしても良いだろうか?」
言わずもがなな言い訳であったが・・・やはり私は言わずにいられなかった。
「決して悪戯な遊び心で触れようとしたわけではない。・・・・耐え難かったのだ。 そなたが笑顔で他の男にかしずいているところを思い浮かべてしまった。・・・それがどうにも・・・耐えがたかったのだ。」
「旦那様・・・・。」
「・・・・良い。忘れてくれ。いずれにせよ、もう二度とあのようなことはないと思ってくれてよい。他の守護聖たちの中には私のような不届きものはおらぬはずだ。・・・それは私が保証する。」
「わたくし・・・・もう、ここには置いていただけないのでしょうか・・・?」
真っ白な頬を一筋の涙が伝った。
「コライユ・・・。」
「戯れの遊び心ではないとおおせられましたね?伺ってもよろしゅうございますか?・・・・それはどのような意味でございますか?」
「ありていに言えば、そなたに好意以上のものを感じているのだ。・・・しかし、これはあくまでも私の感情に過ぎぬ。迷惑であれば、忘れてくれてよい。」
「忘れてもよろしいのですか?・・・それだけのお気持ちですか?」
「・・・このような話は苦手なのだ。」
潤んだ視線に耐えられずに、私は席から立ち上がった。
「うまくは説明できぬが・・・。 愛しいと思う気持ちと我が物にしたいという気持ちは別だ。愛しいと思う気持ちは私のものだ。そなたには迷惑かも知れぬが抑えられぬ。・・・・しかしそなたの気持ちはまた別だ。・・・・それを踏みにじってしまった。・・・・二度とこのようなことはせぬ。女王陛下の御名にかけて誓う。・・・・許して欲しい。」
「他の方のお屋敷に行ってよろしいのですか?」
うつむいたまま、呟くようにコライユが言った。
私は大きくうなずいた。
「もちろんだ。誰であれ、きっと私が何とかしよう。」
「それで・・・あなたさまはよろしいのですね?」
「それは・・・良いと言う以外あるまい?」
「そうですか・・・・。そうですわね・・・・。どうせはした女でございますものね。替りなどいくらでもおりますものね。私など・・・私のことなど・・・いなくなればすぐにお忘れになりますわね・・・。」
突然コライユが泣き出しそうな語気になったのを聞いて、私は慌てた。
「何を言い出すのだ・・・。」
「けっこうです。どちらもご紹介いただくには及びませんわ。私が疎ましくなったのでしたらお言葉を飾られる必要はございません。私がどこへ行こうが捨て置いてくださいませ。」
「誰がそのようなことを・・・・人の話を聞かぬか・・・」
「失礼します!」
「コライユ!」
身を翻して飛び出してゆこうとするコライユの腕を思わず捕らえると、コライユはバランスを失って、そのまま背中から私の胸の中に倒れこんできた。
柔らかな金髪から、甘い花の香りがあふれ出た。
コライユは背中を私にあずけたまま、うつむいて両手で顔を覆ってしまった。
「わたくし・・・・どうして逃げてしまったのでしょう・・・?こんなことになると分かっていれば・・・でも、もう取り返しがつきませんのね?」
「何を言っているのだ?」
「怖かったのですわ・・・・。急で・・・だから、つい・・・。そうでなければわたくし・・・・」
一瞬、ためらった後、コライユは指の間から消え入りそうな声で言った。
「・・・・うれしいと・・・思ったはず・・ですわ。」
「・・・・本当なのか?」
意味を取り違えてはいけない。私は慎重に聞き返した。
「・・・・存じません」
コライユは真っ赤に頬を染めて俯いてしまった。
「・・・・急でなければ良いのか?」
「・・・・そんな・・・分かりませんわ。」
「それが分からねば私にもどうしようもないではないか?・・・例えば・・・・今なら良いと・・そういうことなのか?」
「存じません・・・どうしてお尋ねになどなるのですか?・・・そんなことお答えできません」
「断らなかったらそなたは怒ったではないか?・・・だからこうして断っているのだ。答えてくれねば私はどうすればいいのだ。」
「わたくし、下がらせていただきます。」
「分かった・・」
私は身を翻して立ち去ろうとするコライユの肩を慌てて掴んだ。
そのままゆっくりとこちらを向かせて、少しずつ、引き寄せる。
「嫌なら言ってくれ・・・。」
ゆっくりとコライユの体が近づいてくる。
桜色に上気した頬がすぐ目の前に見えた。
ほんの少し力を加えると、ぱさりと音を立てて、コライユの小さな体は私の懐にすっぽりと収まった。
どこもかしこもが柔らかく、優しい・・・
それは蕩けるような感触だった。
焼け付くように愛おしさがこみ上げてくる・・・。
抱きしめる両腕に思い切り力を込めたい誘惑と私は必死で戦っていた。
「嫌ではないか?・・・今しばらく・・・こうしていても構わないか?」
念のため、訊ねると、コライユは再び消え入りそうな声で「・・・はい」と答えた。
「コライユ・・・?」
私は胸の中のコライユの様子がおかしいのに気がついた。
私の胸に頬をもたせかけて、コライユは泣いていた。
背中が波打つように震えている。
喜びの涙・・・・。
いくら私が自惚れたとしても、そうは思えなかった。
コライユは泣いていた。
震えながら悲しげにすすり泣いていた。
訳が分からない・・・・。
分からないまま、私は抱き寄せる腕に少し力をこめた。
そうする以外、どうしたらよいのか・・・
私には分からなかった。
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