3.三日月
Luva
丁度うとうとしかかったその時、私はアンジェに揺り起こされた。
「ねえ・・・何か、聞こえない?」
「えっ?」
耳を澄ますと、確かに・・・・壁の向こうからかすかに子供の話し声のような高い声が聞こえてくる気がした。
「ユーリ?」
どちらからともなく跳ね起きて廊下に飛び出し、子供部屋のドアを開けると、どうしたことかベッドで寝ていたはずのユーリが床の上にぺたりと座り込んでいる。
閉めたはずの窓が開いて、そこから風が吹き込んでいる。 窓の外には黄色い尖った三日月が見えた。
ユーリは手のひらの中で何か黒っぽいものをしきりと弄んでいる。
「ユー・・・」
声をかけようとするアンジェを私はドアの影で引きとめた。
ユーリの様子がおかしい・・・・。 何かぼそぼそと独り言を呟いているようだった。
「仲間が8人揃ったわ・・・。あなたが最後のひとりよ。」
ユーリの口から出た言葉に、アンジェも私も棒立ちになった。
それは明らかに子供の声ではない。女性の・・・・それも成人した女性の声だった。
「誰・・・・?僕、知らないよ?」
「目覚めて、ユーリ。時が近づいて来ている。最後にして最強の力をみんなが待っているわ。」
ユーリはまるで誰かと会話でもしているかのように、2種類の声色を交互に使ってしゃべりつづけている。 アンジェリークの体がガクガクと震えだした。
「知らない人と話しちゃダメだって、おじいちゃんが言ってたもん。」
「それ・・・何だか分かる?」
「・・・・知らない。」
「直して。あなたが壊したんだから・・・・。」
「いやだ。分かんないよ。・・・来ないでよ。」
「教えてあげる。力を使うのよ・・・・。」
「いやだったら・・・・。」
「ユーリっ!」
アンジェリークが制止を振り切って金切り声をあげながらユーリに駆け寄るのと、ユーリの指先から得体の知れない黒い霧が噴出すのと、ほぼ同時だった。
黒い霧は、ユーリの小さな指先から部屋中を埋め尽くさんばかりの勢いで迸り出ていた。ユーリを抱えたアンジェリークの姿まで霧の中にかすんでしまいそうだった。
だけど、禍禍しいほど黒い霧の中、私には確かに見えた。
ユーリの幼い手のひらの中に握られた黒い塊が、霧に纏いつかれて徐々に姿を変えていくのが。
その、形は・・・・。
「やめなさいっ!ユーリ!」
アンジェリークが悲鳴のように叫びながらユーリの手から黒い物体をもぎ取った。
それは・・・・・黒光りする拳銃・・・・・ しかもそれは私にも『見覚えのある』ものだった。
「お母さん?」 ユーリがきょとんとした顔でアンジェリークを振仰ぐ。
黒い霧も異様な気配も、一瞬の内にかき消すように消えていた。
アンジェリークはユーリを固く抱きしめて蒼白になって震えていた。
私はゆっくり二人に歩み寄ると、ユーリの体をそっと母親から引き剥がしてこちらを向かせた。
「これは・・・どこから持って来たんですか?」
黒光りする拳銃をユーリに示して静かに尋ねると
「・・・・知らない。」
両親のただならぬ様子に怯えたのか、ユーリはいつになく頑な様子で言い渋った。
「ユーリ。ちゃんと言いなさい。」
厳しく問い詰めると、ユーリはたちまち両目に涙をいっぱいにためて俯いてしまった。
「あのね。黒いおじさんが・・・持ってきたの。」
「いつですか?」
「・・・・・きのう・・・。」
「知ってる人ですか?」
「ううん。知らない。」
「知らない人が来るのは、今日が初めてじゃないんですね?」
「・・・・知らない。」
「ユーリ!」
「僕、知らない・・・・。」
「止めて、ルヴァ、もう止めて・・・怖がってるじゃない!」
アンジェリークは私の前で体を固くしているユーリを奪うように抱き上げると
「大丈夫よ。可哀想に・・・ちょっと寝ぼけちゃっただけよねぇ」と、ユーリに笑いかけた。
余程緊張していたのか、母親の腕に抱き取られた瞬間に、ユーリは声をあげて泣き出してしまった。
寝ぼけたわけじゃない。
偶然でも、夢でもない。
私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
今のとよく似た現象を私は『知って』いる。
現実ではなく、書物と資料の中でだが・・・。
遠い昔、この地に長い暗黒の時代をもたらした忌まわしい力――。
邪悪な力の主は、封印される時に確かにこう言ったのだ。
『私はいつか再び蘇る。見るがいい。その鍵を持つものは、再びお前達の中から生まれるのだ――』
|