5. 誕生日(2)

Angelique


私は結局その日、出仕を休んだ。

子供ができてから仕事の量はできるだけセーブするようにしていたし、その日はたまたま至急の件も無かった。

ユーリは夕べのことがまだ尾を引いているみたいで怯えていた。少し熱っぽいようで食事もとらなかった。とてもじゃないけど放ってなんかおけない。
陛下とは別にルヴァにも伝言を飛ばしたけど、ルヴァからは何も返事がなかった。

昨夜のルヴァのあの様子・・・・・。
笑い飛ばしてくれればいいのに。 いつもだったら「心配いりませんよ」って、そう言ってすぐに慰めてくれるのに・・・。
昨日のことを思い出すと、なんともいえない憂鬱な気分になった。


夕方になって、ルヴァは戻ってきた。

玄関を入ってきたルヴァの表情を一目見て、私はルヴァがあくまでも昨夜の件をうやむやにするつもりがないことが分かった。

「ただいま」も言わずに入ってくるなり、ルヴァは厳しい表情のまま私に言った。
「ユーリは?」
「部屋にいるわ」

ルヴァがそのまま子供部屋へ入っていこうとするのを見て、私は慌てて後を追った。
部屋の中ではルヴァがユーリの前に膝を折ってかがみこむと、ユーリの前に玩具の金属の笛を差し出していた。
「これ、曲げてご覧なさい。」
それはいつだったかユーリが執事さんに連れられてお祭見物に行ったときに買ってもらったものだった。
「・・・・いや。」
ユーリは父親の厳しい顔に怯えたように後ずさった。
「ルヴァ・・・・。ユーリ、熱があるのよ。」
控えめに口を差し挟んだ私を全く無視してルヴァは続けた。
「・・・・・できますから、やってご覧なさい。」
父親に促されて、ユーリはしぶしぶと笛を握った。熱のせいか顔全体が赤らんでいるのが痛々しかった。
「おとうさん・・・・」
ユーリがもう一度、救いを求めるような表情でルヴァを見上げた。
「やりなさい。ユーリ。」
厳しく決め付けられて、ユーリはたちまち泣きそうな顔になった。
「ルヴァ・・・」
馬鹿なことは止めて、・・・・と、そう言おうとした瞬間、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。

ユーリの手のひらからは蒸気のようなものが立ち上っていた。
真っ黒な蒸気。
小さな手のひらの中で銀色の笛が毒蛇のようにうねり、捻じ曲がってゆく。
不吉な形に折れ曲がった笛は、カラン、と乾いた音を立ててユーリの手から床に転がり落ちた。

「元に戻せますか?」
乾いた・・・・そのくせ、いやに冷静な声でルヴァが聞いた。

ユーリは不承不承に父親から笛を受け取ると、今度はその手のひらから緑色の光の粒が湧き上がった。

光の粒は後から後から湧き上がり、手のひらから床に零れ落ちた。
それは確かに見たことのある光景だった。
ユーリの手のひらから滾々と湧き出してくる光は、あの日、地下道の中で私の手のひらから溢れ出た光とそっくり同じものだった。

ユーリがおずおずと差し出した銀の笛を受け取りながら、ルヴァの手はあきらかに震えていた。


「ユーリ・・・・・・。どうして・・・・・・。」
搾り出すようにルヴァがつぶやいた。


次の瞬間、目の前で起きた出来事に私は自分の目を疑った。
ルヴァが、ユーリに覆い被さるように重なって、ユーリの小さな体はあっけなく床に転がされた。ユーリの細い首にルヴァの手がかかっているのを見て、私は思わず悲鳴をあげていた。

「止めて!気でも狂ったの!」
「異端なんです!この子の黒いサクリアは!あなたも見たでしょう!」
むしゃぶりついていった私を振り払って、ルヴァは更にユーリの首を締め上げようとしている。私は必死にルヴァに取りすがった。
「ルヴァ!落ち着いて!バカな真似は止めて!」
「過去にも例があるんです!聖地に、女王陛下に災いをなす力なんです。」

もうダメかと思ったときにドアから黒い影が飛んできて、ものすごい勢いでルヴァの体に体当たりした。
ルヴァが後ろに倒れた隙に、私は床にぐったりしているユーリの体を懐にひきずりあげた。首筋には痛々しいほどくっきりと赤い後が残っている。心臓に耳を押し当てて呼吸を確かめると、私はユーリを抱いたまま再び床に座り込んでしまった。

「どうしてこのようなことを!!」
走ってきた黒い影は執事さんだった。
執事さんは、泣きながらルヴァを押さえつけていたけれど、ルヴァはそれ以上ユーリに襲い掛かろうとはせずに、呆然としたように床に座り込んだままだった。

腕の中でぐったりしていたユーリが、ふいにびくっと痙攣するように震えた。
「ユーリ!」
覗き込むと、ユーリはぽっかりと目を見開いていた。

「ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・怒らないで・・・・お父さん、怒らないで・・・・・。僕もうあの人達とお話しないから。」
「坊ちゃま・・・・こちらへいらっしゃいませ。」
執事さんは一刻も早くユーリをルヴァから引き離そうとするかのように、私の腕からユーリを抱き取ると部屋を出て行こうとした。
「おとうさん・・・・僕のこときらいになったの?」
ユーリが泣きながら言ったこの言葉に、呆然としていたルヴァが顔を上げた。
「ユーリ・・・・・。」
「嫌いにならないで・・・。いや。おとうさん、僕のこと嫌いにならないで。」
泣きじゃくるユーリを連れたまま、執事さんは慌しく部屋を出て行った。
私はルヴァのことも気がかりだったけど、それ以上になにしろユーリが心配だった。私は未だ呆然とした様子のルヴァをそのままに、執事さんの後を追って部屋を出た。


 

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