16.地の守護聖(1)
Oscar
また何度目か毛布の中で真っ白なネグリジェが寝返りをうった。
「眠れないのか?」
そう声をかけると、ロザリアはそっと瞼を開いた。
「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」
「いや。起きていたさ。君の天使のような寝顔を一目見届けてから休もうと思っていたんだが・・・・どうやら俺以外にも君の眠りを妨げる不届き者がいるようだ。」
「夜中なのに・・・よく回る頭と舌だこと。」
苦笑しながら憎まれ口をひとつたたくと、ロザリアは再びシーツを引き上げ瞼を閉じようとした。
(どうせ眠れないくせに・・・・)
俺はベッドの中で半身を起こすと、有無を言わさず毛布の中のロザリアのほっそりした体を抱き寄せた。シーツの間から軽々と引きずり出して枕元に座らせる。
「もう、・・・・・いきなり何をするの?」
軽くにらんで見せながらもロザリアは逆らわなかった。
「眠れないなら無理することは無い。・・・・・二人で起きていれば夜が長すぎるってことはないだろう?」
もう・・・、と口をとがらせてみせたものの、ロザリアが本気で腹を立てているわけじゃないことは分かっていた。
どうせ・・・・・このままじゃ眠れやしないのだ。
このところ彼女がピリピリしていて、毎晩眠れずにいることはとっくに気がついていた。
また何かひとりで心配事を抱えているんだろう。言いたくないならそれまでだが、こう毎晩寝不足じゃ身が持たないだろう。今日は多少無理をしてでも悩みの種を吐き出させるつもりだった。
俺は黙ってロザリアを引き寄せ額にひとつ口づけると、ガウンをひっかけてベッドから滑り降りた。
ベッドの上にちょこんと座っている彼女は、とびきり美しいことを除いてはどこから見ても普通の少女だった。豊かなブルーの髪が色白で繊細な顔立ちと華奢で均整の取れた体つきをくっきりと際立たせている。月明かりに浮かび上がったその姿はこの世のものとは思えないほど美しかった。
自分だけのものだったらどんなにいいか・・・・・。さらってどこかに逃げたいと、何度半ば本気でそう思ったことだろう。しかし今、彼女は俺だけのものじゃなかった。今のところ俺は彼女を宇宙と半分こしているようなものだった。
以前の俺だったら耐えられなかっただろう。
愛するもののすべてをこの腕に抱きしめて、命をかけて愛し、守り抜く・・・・・それが愛だと、ずっとそう思ってきた。
ところがロザリアを愛するようになって、その信念は根底からあっさりと覆された。そんなことじゃ彼女は守れない、それは独りよがりな我が儘だと、俺はあっという間に気づかさせられた。
彼女はこの細い肩に全宇宙の運命を乗せて戦っている。恐れも見せず、頭をあげて、少しでも気を抜けば襲い掛かってくる暗黒と一歩も引かずに渡り合っている。その戦の中に俺は立ち入れない。俺にできるのはただ外側から支えることだけだった。
それを悟ってから俺は自分のちっぽけなエゴをすべて封印した。一人で必死に戦うお前を愛したんだ。お前を幸せにできなきゃ何の意味も無い。いつか二人共に務めを終えて、自分たちのためだけに生きられるようになるその日まで、お前が一歩も引かないつもりなら、俺が足を引っ張るわけには行かない・・・・・。
グラスにワインをついで差し出すと、ロザリアは手を伸ばして受け取りながらほんの少し微笑んだ。
ベッドで酒をすすめる俺に以前は「行儀が悪い」と文句を言ったくせに、いつの間にか彼女もこの「行儀が悪い」行為がすっかりお気に召したようだった。
隣に座って肩を抱き寄せると、ロザリアはぎこちなく俺の肩にもたれてきた。
長い髪をゆっくりとなでる間、ロザリアは時折口元にグラスを運ぶだけで終始無言だった。 グラスを運ぶ手が止まって、眠ってしまったかと思ったその時、ロザリアがつぶやくように口を開いた。
「ねぇ・・・・ジルオールは、どう?」
「ジルオール?」
思いがけない名前に俺は思わず鸚鵡返しした。
ジルオールはルヴァの後任として着任してきた新入りの地の守護聖だった。
「どう?・・・うまくやってる?」
「うまく・・・・やってると思うが?サクリアはもうとっくに送り始めているし、王立研究院での仕事も徐々にルヴァがやってた分を引き継いでる。人当たりのいいやつだから他の連中ともうまくいってるようだ・・・・・ゼフェルは相変わらずつっかかってるみたいだがな。」
「そう・・・・。」
聞いておきながら気のなさそうな返事をしたかと思うと、ロザリアは今度はまた全く別なことを言い出した。
「ルヴァがいなくなったのは痛いわ。」
「そうだな・・・・。」
今はもう、仲間内でもその名前を口にするものは誰もいなかった。俺たちの中では、あの事件はまだ昨日の事のようで、思い出すのはあまりにもつらかった。
「ルヴァのサクリアは少し違っていたの・・・・宇宙にはまだ彼の力が必要だったのに・・・。」
「違うとは?・・・どう違うんだ?」
ロザリアはひざを抱えた自分の爪先に視線を落として、確かめるように話し出した。
「万物の生育を促すのはサクリアの本質的な力だけど、ルヴァのサクリアにはそれと逆の抑制作用があったの。」
「抑制?」
「たとえば鋼の力が強すぎたとしても、そこにルヴァの力が少し加わると、技術の進歩がずっと緩やかになるの。力は失われるわけじゃなくて、使う人間がそれを使いこなせる知恵を身に付けるまで、まるで待っているようにゆっくり成長してゆくの。・・・・ユーリが生まれた頃から段々変わってきて、最初はルヴァの力が衰えてきたんじゃないかと思ったけど・・・だけどそうじゃなかった。ルヴァの力は宇宙に知識のほかに忍耐とか持続性とかそういうものを与えていた。・・・私・・・・きっとあれが本当の、本物の地の力だったんだんじゃないかと思うの・・・。」
「あいつらしいな・・・。」
思わずそう言ってしまった後で、俺はうつむいているロザリアを力づけようと、慌てて付け足した。
「心配することはないさ。ジルオールも経験を積めば変わってくるだろう?」
「・・・・・・・・・。」
ロザリアの手のひらがふいに痛いくらいの激しさで俺の腕をにぎった。
「オスカー。お願い。・・・ジルオールから目を離さないで。」
「ロザリア・・・?」
「ごめんなさい。今は理由をきかないで・・・・・お願い。」
振り仰いだロザリアの目がまっすぐに俺を見た。蒼い瞳が真剣な光を放っていた。
「・・・・・わかった。」
俺がうなずくと、ロザリアは少しほっとしたような表情を浮かべた。
「少しは眠れる気分になったか?」
「・・・・オスカー・・・・ありがとう。」
そう言いながらロザリアはふわりと伸び上がって俺の首に柔らかく両腕をからめた。
そのままぴったりと俺の胸に頬を寄せてくる。小柄な体は心なしか微かに震えているようだった。
「・・・・・ロザリア?」
「もう少し・・・お願い。このままでいて・・・。離さないで・・・・。」
何かにおびえるように俺の胸に頬を押し付けているロザリアを強く抱き返すと、俺は彼女の耳元にそっとささやきかけた。
「君の望みとあらば、宇宙が終わるときまでこうしていよう。」
「縁起でもない・・・・ひどい人ね。」
ロザリアが、俺の首にかじりついたまま、くすっと忍び笑いをもらした。
「ねぇ。オスカー?」
くったりと俺の体に身を持たせたまま、ロザリアがささやくように言った。
「うん?」
「あの三人・・・探しちゃだめかしら?」
「君が探すのはまずいだろう。」
「・・・・・・・・。」
「俺が君の目を盗んでこっそり探す分にはかまわないんじゃないか?見つけたら君が俺を罰すればすむことだ。・・・・・・どうせ、いつもの事だろう?」
俺の言葉にうつむいていたロザリアが顔をあげ、その表情が見る間にいかにも嬉しそうな笑顔に変わっていった。
いつも取り澄ましているくせに ・・・・・たまに、こんな顔をするのだ。それがどんなに罪作りか知りもしないで・・・・・・。
「オスカー!・・・有難う!」
しがみつく腕に力が加わって、俺はその感触を全身で存分に味わっていた。
「こら。不用意にそんな顔すると、本当に今日徹夜することになるぞ。」
もう一度耳元でささやくと、意味が分かったのか、ロザリアはいきなり真っ赤になって体をすくめた。
意外とうぶなのだ。・・・・・そこがまた可愛い。
俺はまじめに押し倒したい気持ちを抑えて、彼女をゆっくりとベッドに横たえた。
エゴは・・・・封印するのだ。彼女は寝不足で、疲れている。
「お休み・・・・もう眠れるだろう?」
「おやすみなさい・・・。」
ロザリアは俺の顔を見て、もう一度柔らかな笑顔を浮かべた。
ベッドに横たえると、ロザリアは意外とすんなりと寝入ってしまった。
なんだかんだいいながら疲れてもいたのだろう。片手に俺の手を握ったままで・・・。
スタンドの明かりを消すと、月明かりがゆっくりとロザリアの白い顔を照らした。
その寝顔を見ているだけで、俺はもう他には何もいらないと思ってる。
この宇宙に、見ているだけで泣きたくなるくらい、叫びだしたくなるくらい、美しく愛しいものがあることを、お前は教えてくれた。
うっとりと目を閉ざしているロザリアの柔らかな巻き毛の一房をそっと手に取ると、静かにそれに口付けた。
・・・・・お休み、天使。
そして月明かりの下、眠る天使を懐に、俺もゆっくりと目を閉じた。
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