17.地の守護聖(2)
Oscar
「オスカー様!」
呼びかけられて振り向くと、木立の向こうから臙脂のチュニックをまとった長身の影が現れた。
「ジルオールか。」
俺は足を止めて新入りの地の守護聖が小走りに歩み寄ってくるのを待った。
「研究院の帰りか?」
俺はジルオールが小脇にかかえている書類の束に目をやって言った。
「ええ。例のデータベースの件で打ち合わせをしてきました。」
ジルオールは微笑んでうなずいた。
「しかしお前もたいしたもんだな。もうほとんど完成なんだろう?」
「いいえ。たまたまここに来る前にシステムに関する仕事をしていたものですから・・・お役に立ててよかったです。」
ルヴァが受け持っていた聖殿と研究院を結ぶ情報のデータベース化は、ルヴァの自殺騒ぎがあって以来、長いこと棚上げになっていた。そこにたまたまこのジルオールがやってきて
「私が引き継ぎましょう」と自分で言い出したのだ。
ジルオールは主星で会社を経営していたという変り種だった。20歳過ぎてから守護聖として召し出されるというのも、あまり例のないケースだった。
ジルオールが切り盛りしていたのは、システム開発を請け負う小規模だが極めて利益率のいい会社で、そろそろ投資家たちが目を付け始め、これから増資して一気に事業拡大・・・というその矢先に聖地に呼ばれてきたらしい。
にも関わらず、目の前のこのいささか超然とした男はあっさりと運命を受け入れ、会社を畳み、従容として聖地にやってきた。
迷いはなかったのか?と聞く人に対して、本人はいたって飄々と、こう答えた。
「家族も親戚もいるわけじゃないですし・・・こんな私でも皆さんのお役に立てるならそれもいいなと思って・・・」
主星で企業戦士としてやってきた経歴からか、ジルオールは非常に人当たりがよく、仕事ぶりものっけからソツがなかった。 俺たち仲間内での評判もまずまずだった。
前任者と・・・・ルヴァと比べるわけにはいかない。
あいつは特別だったんだ。
もともとそんなに目立つ存在ではなかったルヴァは、ゼフェルを育て、アンジェと恋に落ち、聖地で結婚し子供を作って我々を散々驚かせたあげく・・・・結局、あんな形で去っていってしまった。
誰にも忘れることなんかできないだろう。
あの古風なターバンに隠された深い知恵と、穏やかで暖かい魂・・・。
「オスカー様は?執務室に戻る途中ですか?」
ジルオールの言葉に俺はふと現実に引き戻された。
「オリヴィエに呼び出しを食らってるんだ。なに、茶でも飲みながら与太話に花を咲かせようってんだろう?お前も来たらどうだ?」
「でも、ご迷惑じゃ?」
「あいつなら誰でも歓迎だろうよ」
「・・・でしたらお供します」
ジルオールは嬉しそうにうなずいた。
そのまま世間話をしながら並んで歩いていると、
「あっ・・」と言うなり、ジルオールが突然足を止めた。
ジルオールの視線の先にはゼフェルがいた。ジルオールは晴れやかに笑うと、ゼフェルに向かって歩み寄っていった。
「ゼフェルさん!ちょうどいいところでお会いしましたね。私たちこれからオリヴィエさまのところにお邪魔するんですけど、あなたもどうですか?」
「さわんな!」
突然、唐突と言っていいくらいの激しさで、ゼフェルが腕にかけられたジルオールの手を振り払った。
「あっ・・・すみません」
ジルオールは一瞬、その勢いにひるんだように後ずさりした。
「おい、ゼフェル、お前その態度はなんだ!」
「・・・うるせえ。」
唸るように低い声で言い捨てると、ゼフェルは俺の横をすり抜けて、大またに歩み去って行ってしまった。
ルヴァがいなくなってからこっち、ゼフェルはまるでここに来た当時に逆戻りしたみたいだった。 ジルオールが着任してからは更に手がつけられなくなり・・・・それはついに大事件に発展しそうになったのだ。
ジルオールがルヴァたちの住んでいた館に手を入れずそのまま住むと言い出したとき、ゼフェルは烈火のごとく怒り出した。
「ざけんなよ!あん中一歩でも足を踏み入れてみろ!オメー!ぶっ殺してやる!あそこはあいつらの家だろ?あいつらのものがまだ全部残ってるんだぞ?」
いきなり怒鳴られたジルオールは、かなり驚いたようでしばらく唖然としていたが、それでも苦労人らしく、ゼフェルの神経を逆なでしないように言葉を選びながら説得を始めた。
「でも、あのままにもしておけないのでしょう?あれだけ本があるのに運び出して取り壊したり、改装したりする・・・そんなの大変ですよ。前の方の持ち物には手を触れないようにしますから。私には二部屋もあれば十分ですしね。・・・それでどうですか?」
「俺は・・・俺はゆるさねーからな!」
ゼフェルは一同があっけに取られている中、盛大に椅子を跳ね飛ばして猛然と部屋を出て行ってしまった。
そして・・・・・。
その晩ゼフェルは地の守護聖邸に火をつけた。
火はすぐに消し止められた。 第一発見者はジルオールだった。
たまたまその晩、俺とジルオールは打ち合わせがあって、ついでに下見がてら地の守護聖邸の前で待ち合わせていたのだ。
少し遅れて俺が着いたときには、ジルオールはマントを振るって広がりかけた火をあらかた消し止めたところだった。
俺の姿を見つけると、ジルオールはやや慌てたような顔で言った。
「・・・・・すみません。その・・・私が不注意でカンテラを落としてしまって。」
あきらかに嘘だった。焼け跡からは、はっきりと灯油の匂いがした。カンテラなんかじゃない。
「・・・・俺がやったんだよ。」
振り向くと、そこにはゼフェルが挑むような目つきで立っていた。
ゼフェルは結局頑として理由を話そうとはせず、2週間の謹慎処分を受けた。
放火は立派な犯罪だ。本当は謹慎なんかで済むような話じゃなかった。
それが済んだのは、ジルオールが信じがたいほどのしつこさでジュリアス様に食い下がり、説得したからだった。
それからも折に触れゼフェルとなんとかうまくやっていこうとするジルオールに対して、ゼフェルは頑ななまでに心を開こうとしなかった。
俺は最初、ルヴァとゼフェルのこれまでの付き合いを考えると、それも無理もないかと思っていた。 だが、このところのゼフェルの行動はいささか常軌を逸している。どうもおかしかった。
ゼフェルは頑固なやつだが筋の通らないことをするやつじゃない。
俺にはどうも腑に落ちないことだらけだった。
そして夕べのあのロザリアの言葉。
―――お願い。ジルオールから目を離さないで。・・・理由は聞かないで・・・・。
「オスカー様?」
「んっ・・・?ああ・・・すまん。少し考えごとをしていた。何か言ったか?」
「もういいですよ。・・・・・オスカー様でも上の空ってことがあるんですね?」
俺の言葉にジルオールは目を細めてくすっと笑った。
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