28.学校
Yuli
新しいお父さんは家に住むのかと思ったらそうじゃなくて、裏の路地でしばらく僕のキャッチボールの相手をしてくれた後 「じゃあユーリ、またな!」
と言って、夕食も食べずに帰ってしまってそれきりだった。
僕は結局その人のことを、「お父さん」って呼ぶことができなかった。
何だかやっぱり、ちょっぴり嫌だった。
その後も僕達の生活は何も変わらなくて、ただ母さんは僕に「これからは名前を聞かれたら『ユーリ・フレイクスです』って返事してね、それからフレイクス君って呼ばれたら返事するのよ」と言った。つまり僕の名前はちょっぴり長くなったんだ。
それともうひとつ、僕は町なかの小学校に行くことになったんだ。
僕は新しいお父さんが買ってくれたという新品のカバンを持って、ちょっぴりドキドキしながら学校へ行った。
帰ってくると玄関先で待ち構えていた母さんは僕を見つけて大げさに手を振った。
「どう?ユーリ?学校どうだった?楽しかった?」
勢い込んで聞く母さんを前に、僕はしょぼんとうなだれた。 初日からクラスのみんなに大笑いされてしまったのだ。
「どうしたの?ケンカでもしたの?」
僕は力なく首を横に振った。
「母さん・・・あのね、クラスで字が読めないの、僕だけだって・・・・ 。」
僕の言葉に母さんは一瞬ハトが豆鉄砲食らったような顔をして、その後すーっと音を立てて青ざめた。
「えっ・・・?えっ、でも、読み書きってエレメンタリースクールで習うんじゃなかったっけ?」
「みんな幼稚園か家で習ったって言ってた。先生も、こんなの初めてだって・・・・。」
家には本は1冊も無かったし、母さんは新聞も取ってなかった。母さんはどんなことも全部喋ってすませたので、僕は字と言うものをほとんど読む必要が無かったんだ。
母さんは引きつりながら無理やり笑い飛ばそうとして言った。
「あはは、大丈夫よユーリ。心配しないで!何よ字くらい、母さんがすぐに教えてあげるって・・・。」
母さんは家中を駆けずり回って裏紙を集めてくると、僕に26個の文字を教えてくれた。その後で母さんはその組み合わせでいくつも言葉を作って見せてくれた。それは僕にはなんだか不思議なパズルみたいに思えた。
「じゃあ、僕の名前はこう?」
「そうそう!」
母さんは嬉しそうに手をたたいた。
僕が裏紙にせっせと文字を書いて覚えている間に、母さんは近所をまわって何冊か子供用の本を借りてきてくれた。
それが僕と本との出会いだった。
26文字のからくりが分かってみると、面白いことに昨日まで何の意味もなかった記号がいきなりひとつの物語になった。 これは僕にとって、人類が火を発見したみたいな一大事だったんだ。
文字の威力はすごかった。 文字が分かれば、何でも読めるんだ。僕はめまいを覚えるほど興奮した。
僕がいきなり本を読み始めたのを見て、母さんは目を丸くした。
「えっ?うそ?もう読んでるの?読めるの?意味、わかる?」
「うん。だって字のとおりに読めば分かるもん。かんたんだよ。」
僕は母さんが信じられないって顔をしてるので、母さんにその本をつっかえながら読んで聞かせてあげた。
母さんは呆れた顔で「やっぱりカエルの子はカエルねえ・・・」と、よく分からないことを言った。
「えっ?僕がどうしてカエルなの?」首を傾げる僕に、普段何でもごまかさずに話してくれる母さんは、珍しく 「なんでもない、なんでもない・・・」と、笑いながら台所に行ってしまった。
ちなみに僕はカエルといわれたのがどうしても引っかかったので、後になって図書館で辞書で調べたんだ。
それで僕はあることを知った。どうやら僕のお父さんも、本が好きな人だったらしい、ということ。
エレメンタリースクールで、僕はもうひとつの出会いを体験した。
初めて図書館に入ったんだ。
今にして思えばそんなに大きな図書館じゃなかったんだけど、初めて入った時、僕はその本の量に圧倒された。
そして、もうひとつ、 僕は図書館の匂いが好きだった。
なんかヘンかも知れないけど、図書館の古い本から立ち上ってくる、ちょっといかめしくて古風で、そのくせどこか誘ってるみたいな匂いが僕は大好きで、その匂いをかぐと何だかちょっと涙がでそうなくらい心が騒いだ。
とにかく本がただでいくらでも読めるというのはすごいことだった。 僕は毎日図書館に通い詰めた。毎日限度いっぱいまで本を借りる僕を、司書の人は呆れ顔で見ていた。
母さんも同じくらい呆れていた。
母さんは僕が夜、母さんに物語をせがまなくなったんで、かなり淋しがっていた。
悪いな、とは思うんだけど、その頃僕は一日に物語一つじゃとても足りないと思うようになっていた。 それに母さんの話は、母さんの個性が詰まりすぎていて、面白いけど想像の余地が無い。
本は、書かれていない部分は全部好きなように空想していいんだ。これはかなり刺激的だった。
「最近、夜更かしばっかりして、全然お母さんの話、聞いてくれないのね」
母さんはなかなかベッドに入らない僕を見て、ぷんとむくれた顔になった。
こんなときの母さんは僕より小っちゃい子供みたいに見える。
「書いてくれたら、読むけど。」
僕が笑って答えると、母さんは 「まあ、にくったらしい」と言って、更に頬を膨らませた。
母さんを怒らせるのが怖い僕は、慌ててフォローに走った。
「でもね、イチバン好きなのは母さん。本は2番目だから。」
そういうと母さんは 「生意気言って!」と言って僕を横目でにらみながら、それでもかなり嬉しそうな顔をする。
コツさえ分かれば、母さんの機嫌を直させるのは実はスゴク簡単だった。
そんなこんなで1年が過ぎ、学期末試験の時期が訪れた。
エレメンタリースクールだから、基本的に落第はないんだけど、逆が有ったみたいで、試験が終わって数日後僕は担任の先生に呼び出された。
「飛び級の試験があるんだけど、受けてみる?」 先生は僕にそう聞いた。
飛び級すれば早く卒業できて就職できると聞いて、僕は一も二もなく申し込んだ。 クラスでも家がダントツで貧乏なのは見てればすぐ分かったし、母さんにこれ以上苦労をかけちゃいけないと漠然とそう思った。
僕は早く大人になって、母さんを守らなきゃいけない。
こうして学年末になる度に飛び級を繰り返して 、
僕は9歳の秋、エレメンタリースクールの6年生になったんだ。
ユニバーシティーまで持っているこの学校では、6年生からは少し学校のシステムが変わる。 ジュニアハイスクールに向けての準備が始まるんだ。
全員が寄宿舎に入ってそこから学校に通うことになる。それと、普通の義務教育に加えて、自分の勉強したい科目を専攻科目として受けることができた。
僕は母さんに相談せずに、自分で航空学科を選択した。
これは軍部の管轄になっている特別学科で、将来軍隊に入りたい子が行くところだった。
母さんは僕が航空学科を希望したと聞いた時、反対はしなかったけど、ちょっとショックを受けたようだった。
「軍部に行きたいの?」 母さんは僕に聞いた。
「必ず軍に入らなくってもいいんだって。だってまだジュニアハイだもん。途中で学科を変えてもいいんだし・・・・」
「でも・・・・、だったらどうして航空学科なの・・・?」
「うん・・・航空学科は・・・図書館が大きいから・・・・・。」
僕はちょっぴりドキドキした。 図書館は全科共通だった。 母さんにウソをつくのは、これが初めてだった。
「なあんだ、それでかあ。」
母さんがあんまりにもあっさりと納得したので、僕は少し胸が痛んだ。
ごめんなさい。母さん。
僕は軍部に行こうと思ってるんだ。
これは、ずっと前から考えていたことだった。
僕は、軍部に行って、パイロットになる。
そして、僕の本当のお父さんを探しに行って、母さんのところに連れて帰ってあげるんだ。
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