37.足跡(3)

Yuli


面会日でもないのに突然学校に現われた母さんは、僕を見つけると
「ユーーーーーリーーーーーー!」
と大声で僕の名前を呼んで、恥ずかしくなるくらい大げさな身振りで両手を振った。

「母さん〜止めてよ!みんな見てるよ。」
文句をいう間もなく、僕は母さんの懐にぎゅーっと抱きしめられていた。
「ユーリィ!元気だった?ご飯ちゃんと食べてる?どうして電話くれなかったの?ひどいじゃない!お母さんすっごぉく、淋しかったんだからー!!」
「母さん、放してよ!みんな見てるし、恥ずかしいよ!・・・それとそんなにいっぺんに喋らないでよ。」
ぼくがバタバタもがいて母さんの腕からすり抜けると、母さんはぷんと頬を膨らませた。
「つまんないの!小さい時は、自分から抱きついてきて放してくれなかったくせに!」
「だって僕、もうそんな子供じゃないよ・・・。」

僕の控えめな抗議を全く無視して、母さんは
「はいっ!ユーリの好きなもの、いっぱい作ってきたから!」
そう言って、大きな手提げ袋を僕に突き出した。
給食があるからいいんだっていつも言ってるのに、母さんはいつもやたらいっぱい料理を作ってくる。それがまた友達にからかわれる種になってるんだけど、母さんはそんなことには全くお構いなしだった。
でも、まだ温かい手提げの中からかすかに漂ってくる玉子焼きの匂いをかぐと、それでも僕はちょっぴり嬉しくなった。

「あのね、ユーリ。お母さんお願いがあるんだけど・・・・」
「なに?」
「あのね、勉強でも作文でも何でもいいんだけど、何か賞を取って新聞に載って欲しいの。」

「えええええ?」

いきなり突拍子もないことを言い出されて、僕は思わず椅子から転げ落ちそうなくらいビックリした。
「・・・・だめ?」
「えっ?・・・だっ、だめとかそういう問題じゃなくて・・・・」
「・・・・けち。」
「だから!そういう問題じゃないんだってば・・・。」
「・・・・・・・・・・」

母さんはちょっぴり口を尖らせたまま、悲しそうな顔をして下を向いてしまった。

「・・・・・・・・・・・」
・・・・僕は母さんのこんな顔にめちゃくちゃ弱かった。

「・・・・分かったよ。・・・ じゃあ、ただで受けられるテストとかコンクールとかあったらなるべく出るから・・・それでいいんでしょ?受かるかどうかは、僕、知らないよ。」

「ユーリー!愛してるっ!」
「だからぁ!抱きつかないでってばぁ!」

再びなんとか母さんの腕の中をすり抜けると、僕は改めて母さんに聞いた。
「ねぇ、 どうして?」
「えっ?」
「賞を取れなんて・・・どうして急にそんなこというの?」
「 うーん。それはね、母親の見栄ってヤツなのよ〜。ほら、よそに自慢できるじゃない。」

嘘ばっかり・・・。僕はため息をついた。
言いたくないことがあるとすぐにバレバレの嘘をつくんだから・・・。母さんは見栄や競争心とはおよそ無縁な人だった。

「それとね、ユーリ。お母さんしばらく旅行にでも行こうかと思うの。」
「旅行?どこに?」
「うん・・・えっとね、あちこち。」
「なんで急に?」
「うんとね・・・社員旅行なの!」
「・・・・・・・・・・」

これも嘘に決まってた。バイトが社員旅行?それも「あちこち」に?
僕は再びため息をついた。どうせ嘘つくならもっとすんなり信じられる嘘をついてくれればいいのに・・・。

「エドワードおじさんの電話番号は知ってるわね?何かあったらすぐに電話して相談するのよ?」

「・・・・お父さんを探しに行くの?」
思っていたことをずばりと聞くと、母さんの顔から一瞬笑顔が消えた。
母さんはとても静かな、真面目な表情になって僕を見た。

「僕も行きたい。・・・僕も連れて行って。」
「・・・・だめよ。ユーリはまだ学校があるじゃない。」
「じゃあ母さんも行かないで!僕が行くから!僕、すぐに卒業して大人になるから!」

「ユーリ・・・。」
母さんはとても優しい顔をして、手を伸ばすとそっと僕の髪に触れた。

「要らないよ!僕はお父さんなんかいなくてもいい!母さんはダメなの?母さんのことは僕が守るから!僕がいたんじゃだめなの?」

「・・・ダメよ、そんなこと言っちゃ。」
母さんは僕の髪をなでながら、とても優しい口調で言った。
「お父さんのこと、そんな風に言っちゃだめ。お父さんはユーリにもお母さんにも一番大事な人なのよ。世界で一番ユーリのことを愛してくれてる人よ。・・・・お父さんはずっとずっと・・・・今だって、きっと、ユーリのことを考えているわ。」

「だって・・・・一人で行くなんて、危なくないの?」
母さんは僕の両肩に手を置くと、にっこりと笑った。
「だぁいじょうぶよ!心配しないで!アルフ叔父さんが一緒だし、今回は手がかりを探しにいくだけだから!見つかっても見つからなくても、ユーリが夏休みに入る頃までには戻ってくるから。」



来たときと同じように大げさに手を振りながら母さんは帰っていった。
手提げ袋の隅にそっと入れられた封筒の中から僕の名前の銀行通帳が出てきたのを見て、僕は泣きたいくらい不安になってきた。


僕は嫌だった。母さんに一人で危ないところに行って欲しくない。顔も見たことも無いお父さんより、僕には母さんが大事だった。
お父さんなんて要らない。
お父さんがいなくても困ったことなんか一度も無い。
だけど、もし母さんまでいなくなってしまったら・・・。

思わず泣き出しそうになって、僕は慌てて唇を結んだ。

僕は生まれて初めて・・・少しだけ、お父さんのことを恨んだ。



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