39.消息
Luva
昨日まで大事だと思ってきたことが、急に何もかもどうでも良くなってしまった。
どうでもいい。
くだらないことだらけだった。
私はあっさりと砂漠仕様の長衣を脱ぎ捨てた。
素肌に皮を纏うのはどうにも嫌悪感が先に立ったけど、それも、もう、どうでもいい。
ここの気候にはそれがあっているのだ。
ヤギの乳で作ったやたら濃い酒にも無理やり慣れた。夜間にうっかり凍死しないためにはこれも必要なことなのだ。
そう、生きるためには。
それに何の意味があるのか、今となっては甚だ曖昧だけれど、死なないための行為を機械的に繰り返していれば人間は死なないものなのだ。
不思議なことに・・・・・。
ここを出る気は失せていた。
私には何かやることが必要だった。余計なことを考えないためにも。
自衛のために私は自分の行動を完全に、迷う余地も無いくらいにルール化させた。
要請があれば船に乗り、闘いになれば全力を尽くし勝つ。
陸にいるときはとにかく本を読む。へたに空いた時間は作らない。
そして、夜になったら強い酒を飲んで何も考えずに眠るのだ。
それでも、時折は見てはいけない夢を見た。
そして目覚めると共に、もうとっくに死んだと思った心がまだしぶとく生きていて、ぐずぐずと血を流しているのに気が付くのだ。
なんて愚かなんだろう?
自分でもあきれるけど、 仕方が無い。 こんなものにつける薬なんかない。
血が出ようが膿が涌こうが放っておくしかないのだ。
いつか時が経てば塞がるか・・・・痛みに慣れるだろう。
毎日をただ生きる。
死んでいないからという、それだけの理由で・・・。
そんな毎日の中で、私がその名前に出会ったのは、ふとした偶然からだった。
私はその日も、毎朝キャビンの端末に配信されてくる各方面の情報を確認していた。
たまたま数日来この海域では平穏な日が続いていて、取り立てて新しい情報もないままに、私はさっさとその作業を終えてしまった。
予定をくずすことと、時間が空くのが極端にいやだった私は、その日珍しく主星の新聞をチェックした。
新聞は情報が中途半端でどうも好きになれなかった。これで物事を判断するととんでもない落とし穴に落ちそうで怖かった。
主だったニュースを斜め読みして、相変わらずウソばっかりだな、と思ったところで、突然そのニュースが目に入ってきた。
9歳の少年が古代ハン語の翻訳コンクールで並み居る大人を押しのけて特選をとったというものだった。
古代語、というのが興味を引いた。
標準語が普及した今ではほとんど死語になってしまったが、考古学を学ぶ上では欠かせない言語だった。
私の故郷の言語ともかなり近かった。
子供の名前はユーリ・オブライエンとあった。
ユーリ・・・・。
その名前は可笑しいくらいに私の心をぐらぐらと揺さぶった。
主星では珍しい名前のはずだった。
私は引き寄せられるように、本国の情報局に通信を入れていた。
「すみません。調べていただけますか?今朝の主星のデイリー・ニュースの記事です。 古代ハン語の翻訳コンクールで特選になった少年についてなんですけど・・・・・。」
情報局からはものの30分とたたないうちに回答のメールが送られてきた。
メールと同時に、端末が軽い音を立てて、1枚の画像を出力した。
無理やり引き伸ばしてかなりぼやけた集合写真の端の方に、ブルーの髪の小柄な少年が小さく写っていた。
・・・・・・ユーリ・・・・・・。
どんなに小さくても、ぼやけていても見間違うはずがなかった。
写真を握る手が自分でも分かるくらい震えて いた。
そこに写っているのは紛れも無く、私の一番大切な、命より大切な、何よりも愛しいものだった。
小さな砂糖菓子のようだったユーリは、若草のような少年に育っていた。
――― 『おとうさん。お星様は毎晩誰がつけてるの?』―――
その声はまるで今しがた聞いたばかりのように耳に残っている。
時間が停止したようだった。
私はいつまでも手の中の写真を呆けたように見つめつづけていた。
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